第78話 お兄ちゃんは幸せだなって思っただけだよ

「真一……ちょっと真一、返事くらいしなさいよ!」

そう言って、真一の部屋のドアをたたくのは彼の妹の真理奈まりな

 彩華あやかとの試合を終え、神社で七志ナナシに精神攻撃を受けて以降、真一は完全に精神を病んでしまっていた。

 食事は喉を通らず、外出もせず、トイレと風呂など最低限の用事以外は部屋からは出ることもなく、ずっと自室でゲームにふけっていた。そのゲームをしているのも、楽しいからではない。ただ単に現実逃避がしたかったからだ。ゲームをしている内だけは、現実の様々な嫌なことが忘れられる。ゲームはいい。やればやるだけ強くなれる。敵を倒せばレベルは上がるし、お金も増え、新しい技だって覚える。決して、弱体化することなどない。そう、自分は進んでいる。止まってなどいない。自分は成長しているのだ。真一はそう思いたかった。しかし、現実はどうだろう。運よく鋼太こうたや彩華に勝っただけでいい気になり、C級の希望の星にでもなったように思っていたが、そうじゃない。自分は心の中でみんなを見下していた。そのことを嫌というほど思い知らされた。こんな状態でみんなの仲間になれたと思う方がどうかしている。もうSOLAソラには行きたくない。自分の未熟さを思い知らされるだけだから。

「いつまでもゲームしてないで、いい加減出なさいよ。今日は大切な試合の日じゃないの?」

部屋の外から真理奈の耳障みみざわりな声が聞こえる。クソ。嫌なことを思い出させる。試合の日程なんて言わなければよかった。真一はそう後悔した。今日は総天祭そうてんさいの準決勝。S級代表の風間かざま大智だいちとの決戦の日だ。正直言って勝てる見込みは皆無。ただでさえ相手は強敵なのに、こんなガタガタな精神状態で、対策もせず、訓練も重ねずに勝てる相手ではない。これではみすみす負けに行くようなものだ。もういい、不戦敗してしまおう。もう十分戦った。目標であった昇級もほぼ確定している。体調を崩したことにして試合を放棄してやろう。

『ダイチはキミより年下ダヨ?』

仮病の連絡をしようと携帯端末を取ったとき、七志の嫌な言葉を思い出す。

『年下相手には絶対に負けられないはずサ。プライドが許さないからネ』

「クッ……!」

真一は唇をんだ。負けたくない。戦いたくないという思いとは相反する思考。しかし、これもまた真一の本心だった。

 年下相手に敵前逃亡。考えれば考えるほどに恥ずかしい。そんなことはしたくない。あんなガキ相手に負けたくない。

「あんなガキ……か」

また誰かを見下した。相手を見た目や年齢で判断した。大智はS級。SOLA最強の戦士の一人だ。そんな彼を自分は無意識に見下していた。つくづく自分の未熟さに腹が立つ。真一はゲームのコントローラーを壁に投げつけ、セーブもせずにゲーム機の電源を落とす。

 試合に出よう。真一はそう決意した。

 戦って、負ければ、スッキリするかもしれない。圧倒的な実力差を前に己の未熟さと思い上がりを恥じればいい。そう考えたからだ。およそ前向きな理由ではない。限りなく後ろむきな理由。しかし、限りなく後ろ向きでも、気持ちは確かに前進した。

 用意してあった制服に着替え、部屋のドアを開ける。

「うわっ! びっくりした……」

部屋の前に立っていた真理奈と目が合う。

「さっき大きな音したけど何? 大丈夫?」

音とは、コントローラーが壁に当たった音だろう。

「別に、何でもないさ」

真一は言葉をにごす。

「まぁ、そんなことどうでもいいわ。真一、やっと出てきてくれたのね」

「あぁ」

「どういう気の変わりようなの?」

「男には、負けると分かっていても戦わなければならないときがあるんだよ」

「はぁ? 何それ? 誰かのセリフ?」

「昔の漫画のセリフ、らしい。僕もよくは知らない」

「……言っとくけど、超ダサいわよ? 厨二病ちゅうにびょう全開って感じで」

ダサくたっていい。今はそんな風にして自分を鼓舞こぶしていないとやっていけない。

「……何? 急にこっち見て、気持ち悪いわね」

真理奈は美人だ。まだ小学五年生であるが、その容姿はかわいいというよりも可憐かれん。こんな子が妹で、自分のことをいつも心配してくれている。真一はそう考えると少しうれしくなった。

「真理奈みたいな美人が妹で、お兄ちゃんは幸せだなって思っただけだよ」

言い終わった瞬間に、真一は殴られた。思いっきり腹を、拳で。

「バカ言ってないで、行く気になったなら、朝食くらい食べなさい」

「はーい」

去っていく真理奈を見送りながら、真一はへらへらと笑って返事をした。 

 笑った? 

 遠ざかっていく真理奈を見つめ、真一は考えた。

 そうか、自分は、笑えるほどには回復したんだな。

「真理奈、ありがとう」

そう言った真一の言葉は、おそらく彼女には届いていない。しかし、それでもいいと思った。

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