第54話 名無し

 あれには勝てない。

 竜の悪鬼あっきを見上げ、御月みつきは直感的にそう思った。自分の知っているあらゆる道具、あらゆる武器、あらゆる兵器を用いても、あれを殺し切ることは不可能だと。

 圧倒的な絶望を前に、御月はただ力なく立ち尽くすことしかできなかった。


 その様子を見た少年は一瞬面白くなさそうにした後、ニヤリと笑い、わざとらしく大袈裟に演技を始めた。

「あれェ? さっきまでの威勢いせいはどこに行ったのかなァ? ……あっ、そう言えば、この村にはキミの他にも強い心を持つ人がいたナァ。それってキミの友達や家族だったりすル? キミを殺したら、そっちにも行ってみようかナァ?」

それは明らかな挑発だった。そんなことは、考えるまでもなくすぐに分かる。しかし御月はすでに少年に向かって走り出していた。思考ではなく、感情によって体が動かされたように、それは反射的な行動だった。御月は拳を握り締め、拳を突き出すスピードに走りのスピードを上乗せし、そこから更に全体重を乗せた渾身の一撃を少年の顔目掛けて思い切り叩きつける。


「いい突きだネ。でも、それじゃボクは倒せないヨ」


 少年は、御月の攻撃を片手で簡単に防いだ。それはまるで子どもの投げたボールを受け止めるように軽く、その程度の攻撃は脅威ではないと、実力の差を見せつける防ぎ方だった。少年はそのまま御月の拳をつかみ、彼女の体を黒い炎で縛り上げ、動きを封じた。御月は必死にもがいたが、全身にからみついた炎を振り払うことはできなかった。そんな状況でも、御月は歯を食いしばりながら少年をにらみ続けた。

「その眼、いいネ。この村にそんなに守りたい人でもいたのカナ? 少し前のやる気のないキミより、今のキミの方が好みダヨ。今のキミなら……食らう価値もあル!」

少年がそう言うと、竜の悪鬼は巨大な口を開き、御月に襲いかかった。

 もうダメかと思った、その時。


かがやけ、天極星てんきょくせい


 聞き慣れない男性の声が聞こえると共に御月の周りに結界が現れた。それは悪鬼の攻撃を防ぎ、同時に御月の体を縛る黒い炎をき消し、少年と悪鬼を弾き飛ばす。

「へェ……妙な力を使うじゃないカ。誰ダイ? キミハ?」

御月の後ろから足音が聞こえてくる。それはとてもゆっくりと落ちついた足音で、悪鬼やそれを操る少年を恐れる心など感じさせない堂々としたものだった。現れた男性はボロボロのスーツを着た一見みすぼらしい姿をしているが、その立ち居振る舞いは只者ではない雰囲気を醸し出している。

「私は大空おおぞら悠悟ゆうご。お前を止めに来た」

「ボクを止めに来たァ? ただの人間のキミがカイ? どうしてそんなこと思っちゃったのかナァ?」

「……礼儀を知らないガキのようだな」

「はァ? 何だっテ?」

「お前の態度が無礼だと言っているんだ。私はお前に『誰だ?』と聞かれた。だから『大空悠悟』だと名乗った。お前も名乗ったらどうだ?」

「名前……悪いネ。ボクに名前はないんダ。色々と勝手に呼ばれたことはあるケド、どれも気に入らなくてネ」

「ほう、名無しということか」

……へェ、いいネ、気に入ったヨ。デーモンやサタンなんかと呼ばれるよりずっといいヤ」

そう言うと、少年の体はふわりと浮き上がり、そのまま十数メートルの高さまで上昇していった。

「さテ、人間のクセにボクに礼儀を説くお前。覚悟はできているんだろうネ? 今度の相手はお前ダヨ」

少年は黒い炎を上空に展開し、そこから大量の悪鬼を呼び出そうとした。


「おい」

大空は御月に声をかけた。

「な、何?」

「お前は逃げろ」

御月は驚いた。自分の力があれば、戦いで役に立てると思っていたからだ。

「お前まだ子供で、女だ。凄まじい力を持っていようが、戦わせるわけにはいかない」

「でも……!」

御月は、驚きと焦りの中で必死に頭を働かせ、自分の意思に合う言葉を探す。

「でも私は、それでもみんなを守りたいの!」

「……そうか」

大空は、少し考えた後に、こう続けた。

「なら、お前にもやれることがある」

そして、スーツのポケットから小さな指輪を取り出した。


「照らせ、月煌輪げっこうりん

大空がそう唱えると、指輪は温かな光を放ち、辺りを明るく照らし出した。

「これはあかりをつけることのできる、不思議な指輪だ。暗闇の中じゃ、お前の友達も不安だろう。仲間のところまで逃げたら、それを使って安心させてやれ」

「でも、光ったら、敵にも見つかりやすいんじゃ……」

「そうだ。だから、友達が不安でたまらなくなったときだけ使うんだ。使い方は……」

「照らせ、月煌輪……って、言えばいいの?」

「ああ、そうだ。頼んだぞ」

御月はその指輪を受け取ることを一瞬ためらったが、それでも大空は無理やり指輪を押し付けてきた。大空の手から指輪が離れた瞬間に、指輪が放っていた光は消えてしまった。

「さぁ逃げろ! 早く!」

先ほどまでの落ち着いた声とは違う、大人の男性の怖い声。しかし、普段叫び慣れていないのか、最後の方は少し上ずっていた。

 すでに悪鬼は召喚され、次々と大空へと襲いかかって来た。大空はそれを結界で防ぐと、御月に背を向けた。

「子供たちが死ぬ必要も、戦う必要もないんだ」

そう言う大空の背中は、頼もしかったが、どこか悲しそうだった。御月はその様子を少しの間見ていたが、やがて大空から渡された指輪を着け、村へと駆けていった。その時の気持ちを、御月はまだ言葉にすることはできなかった。

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