第38話 笑って

「僕に、できることはないか⁉︎」

そう叫ぶ真一の声を聞いて、大空は不思議そうな顔をして振り返った。

「何を言っているんだ? お前がやるべきことはさっきからミノリが指示を出しているじゃないか?」

大空は、あまりに当然なことを言うような口調で話すので、真一は驚いた。

「えっ指示って、ミノリは何も言ってないじゃないですか?」

それを聞いた大空は、何かを察したようにうなずいた。

「あぁそうか……お前、のか……」

聞こえないとは、ミノリの音が、と言うことだろう。

「確かにミノリの音は聞こえませんが……だからこうしてあなたたちに直接聞いているんです! 僕にやれることはありますか?」

「私が説明してもいいんだが、それをするなら、私よりも適している者が他にいる」

そう言って、大空はミノリの方を見る。


 それを受けたミノリは大きく息を吸い込み、楽器に吹き込むと共に高速で指を動かした。笛を奏でている時のミノリは普段の様子とまるで違っている。彼女の丸く大きな瞳は細く鋭くり上がり、遠目に見ているだけでも暖かさを感じる優しい雰囲気は、今は鬼気迫る程に緊迫していた。指遣いは精密機械のごとく素早く正確で、息遣いには自身の魂を込めているかのような恐るべき集中力を感じさせた。そうしてミノリは、長い長い一息を楽器に吹き込み、ぷはっと息継ぎをすると真一の方へと早足で歩み寄り、手を取った。先ほどまでのミノリを見ていた真一は緊張でびくりと身を震わせる。しかし、その時にはもう彼女はいつもの優しい表情に戻っていた。

「真一、一緒に戦ってくれるのはとってもうれしい。でも、真一はみんなと一緒に戦うのは初めてで、それはとても危険なこと。だから守ってもらいたいお願いが二つあるの」

ミノリは先ほど息を吐き切ってしまったためか、少し呼吸を乱していた。

 楽器の心機を使うミノリにとって、息を切らすことはとても危険な行為だ。しかし今、ミノリはあえてそれをやった。真一はそんな彼女の様子を見て、細かい事情は分からなかったが、何やら無理をしてまで自分に言うべきことがあるのだと察した。

「分かった、二つだろうが百個だろうがやってやる。それで、何をすればいいんだ?」

ミノリは乱れた息を整えてから、少し早口で、しかし聞き取りやすいようにはっきりと言った。

「一つ目は、

「あぁ」

自分たちを信じて欲しいと言うミノリに、真一は迷わずに答えた。

「みんなは強いから、ちゃんと信じてほしいんだ。戦いになったら、個人の判断で動いてもいいよ。私や大空さんの指示を待つ必要はないし、みんなもそうしてる。だから、みんながやっていることを信じて、真一も戦って欲しい」

「分かった。みんなのやっていることを信じて、その上で自分で考えて動くよ。二つ目は?」

「二つ目はね、真一、

「あぁ。……て、はっ?」

真一はその場の勢いで「あぁ」と返事をしてしまったが、すぐに困惑の声を漏らしてしまった。無理してまでわざわざ伝えるべきことの二つ目が「笑え」とはどういうことなのだろうか、自分はそんなに硬い表情をしていただろうか、それとも、からかっているだけだろうか。色々なことを考えてしまったが、真一がそれを口にするより先に、ミノリはさらに言葉を重ねる。

「今の真一、ちょっと怖い顔してる。『自分も何かしなきゃ!』って必死になってる感じの顔。頑張ってくれるのは嬉しいの。でも、無理して自分が何とかしなきゃって思って欲しくない。顔が強張ってると心までかたくなになっちゃう。大丈夫、真一は今の真一のままでいいよ。今のままで、できることを頑張ってほしいの。私たちも、そして真一も、みんなひとりじゃない。みんなで一緒に戦っているんだから」

無理をしなくていい。今のままの自分でいい。そう言われたことは、真一にとって初めての経験だった。今までの真一は、常に今の自分より素晴らしい自分になりたいと考えていた。今より賢く、今より強く、今よりまともな人間に。そう考えることはきっと、間違ってはいない。しかし、その思いにとらわれ続けることは、とても苦しかったのも事実だ。自分の中に、常に自分を否定し続けるもう一人の自分がいて、それに駆り立てられるように生きている感覚があった。ミノリは今、それをしなくてもいいと言ってくれたのだ。だがしかし、それと笑うことと何の関係があるのだろうか。

 様々なことを考える真一に、ミノリは満面の笑みを見せた。

「だからね真一、笑って」

それを見て、真一は自分の心が少しほぐれ、暖かくなるような気がした。ミノリの言葉を心で納得したのだ。理屈ではない、直感で、感覚で、「笑って」という言葉を受け入れられた。少なくとも、ミノリの笑顔は、真一にそう思わせるだけの力があった。不思議なものだ、彼女の笑顔を見ると、今まで自分の心を支配していた焦りや緊張が、一気に洗い流され、ただ純粋に、みんなと一緒に戦いたいという気持ちだけが残った。

 しかしこれはきっと、ミノリのおかげで一時的にそう思えているだけだ。これを持続させるには、自分自身が笑えるようにならなければいけないはずだ。真一はそう考え、笑って見せた。


「あぁ、分かった、笑おう……こ、こんな感じか?」

そう言う真一の顔は、無理に口角を上げただけのヘタクソな作り笑いであった。こんな笑顔でも、慣れないなりに必死に笑った結果なのだ。しかし、やはり変な表情になってしまったらしく、それを見たミノリはすぐに吹き出してしまった。

「ぷっ……あははははっ! いいね、真一。うん、いい笑顔!」

真一は若干不満そうな表情をしてミノリをにらんだが、それでも彼女の大笑いを見て、自然と少しだけ口角が上がるのを感じた。


「さて! 私も戦いに戻らないと。真一も、一緒に来てくれる?」

そう言って、ミノリは笛を構えた。

「あぁ! 一緒に戦おう!」

「よし、行こう、真一!」

真一は武器を構え、皆が戦う戦場に向かって走り出した。その時、かすかにだが、優しい音色が聞こえた気がした。

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