第9話 それはとても危険な賭けだったが

 巨大な体を引きずり、重い音をたて、悪鬼が真一の元へせまってくる。地面は激しく震え、真一はもう立っていることさえままならない。


 逃げないと。そう思ったが、すぐにそれができないことに気がついた。真一の体は、ミノリの不思議な力によって拘束されていたのだ。

「クソッ! クソッ! 動けよ!」

しかし、限界まで力を入れて引っ張っても、その拘束が外れる気配はない。このままでは、あと数秒で悪鬼に殺されてしまう。あの鎌で斬られるのも、巨体に押しつぶされるのも、絶対に嫌だ。


 近づいてくる悪鬼の気配、近づく地響き。

 もがく真一の背後から、すさまじい勢いで悪鬼が迫ってくるのが分かる。やがてその気配は肌で感じられるほどに高まり、地響きはやんだ。


 月も出ていない真夜中に影などできるわけがないが、真一の体は今、大きな影に覆われているような気がした。真一は振り返れなかった。もう、終わりだと思ったからだ。


 ドォォォォォォォォォン!


 轟音ごうおんと共に、土煙が舞い上がる。

 間違いなく殺された。真一はそう思った。しかし、どういうことだろう。音がやんでしばらくたつが、意識がはっきりとしている。体を貫く衝撃はなく、痛みもない。真一は驚いた。


ギギギギギィィィィ……


 背後から金属同士が擦れるような音がし、ハッと振り返る。

「おい……ケガはないか?」

見上げた先に映る大きな背中。たくましい腕に構えられた異様な剣は、悪鬼の巨大な鎌を受け止めている。

「こ……鋼太こうた、さん?」

「……返事ができると言うことは、無事ということだな」

「どうして。いや、どうやってここまで!」

鋼太がさっきまでいた位置からここまでは相当に距離が離れている。悪鬼の移動速度も人間の追いつけるレベルではなかったはず。それなのに、どうやって悪鬼よりも先にここまで来たのだろうか。

「即興の作戦でうまくいくかは五分五分だったが、彩華のヤツに頼んだんだ。あいつはすごいな」

彩華の方に目をやると、彼女は振りかぶった後のような姿勢をしており、その手の先には長く伸びたむちが握られている。

「あっ! ……えぇぇ!?」

真一の頭の中に、常識では考えられない光景が浮かぶ。まさか、鋼太は彩華の鞭によって投げ飛ばされ、悪鬼よりも早くここに辿たどり着いたとでもいうのだろうか。着地は、コントロールは、危険性は。様々な疑問が浮かび、ふと鋼太の方を見る。すると、先ほどまでは気づかなかったが、彼の体には以前はなかったはずの傷がいくつもにじんでいるのが見えた。間違いない、鋼太たちは、危険を承知で無茶な作戦を立ててまで自分を助けてくれたのだ。

「あの、ありが……」

「礼は後でいい! もうお前の拘束は消えているはずだ。だから今のうちに、遠くに逃げろ!」

言葉を遮られての大声に真一は驚いたが、彼の言う通り、真一の体はもう自由に動かせるようになっていた。

「悪い。あんまり動かれて、彩華の狙いが定まらなくなるのも問題だったからな。俺が来る直前まで縛らせてもらった。……さぁ! 早く逃げろ!」

鋼太の体からは血が滴り、腕も足も震えていた。投げられた時の傷が思ったよりも深く、そして悪鬼との力比べも限界に近かったのだ。


 しかし、真一は逃げることに抵抗があった。

 戦う力のない自分がいても、迷惑にしかならないことは自覚していた。それでも、自分のために戦ってくれる誰かを見捨てて逃げることは、真一のプライドが許さなかったのだ。

「何をモタモタしている! 早く逃げっ……!」

その瞬間。鋼太の持っていた剣は悪鬼によってはじき飛ばされてしまった。鋼太が真一のことを気にして構えを乱した一瞬の隙に、悪鬼は鋼太の防御を崩したのだ。


 剣は回転しながら宙を舞い、悪鬼は巨大な鎌を振り上げる。無防備となった鋼太は、もはや抵抗の手段を持たない。


(自分のせいで、鋼太さんが死んでしまう)

真一は、そう思った。

(そうなったら、きっと仲間の二人も悲しむだろう……そんなのは嫌だ!)

真一は今までの情報を元に、解決策を必死に考えた。

(何かあるはず、自分でも鋼太を守れる方法が……)


 悪鬼のこと、鋼太のこと、彩華のこと、武器のこと。それらを総合的に分析し、一つの答えを導き出した。それはとても危険な賭けだったが、今の真一に迷いはない。


「こっちだ化け物ぉぉぉぉ!」

大声で叫ぶと共に、真一は全力で走り出す。真一の予想が正しければ、今の悪鬼は鋼太ではなく真一を狙うはずだ。

(さぁ来い! 僕を狙うなら鋼太さんに構っているひまはないはずだ!)

悪鬼は彼の予想通り、鎌を下ろして、真一の方へと向かっていった。

これで鋼太は助かった。

 真一はなおも走る続ける。その視線は、常に自分の後方に向けられていた。しかし、追って来る悪鬼を見ているわけではない。視線は悪鬼の更に上に向けられていたのだ。やがで真一は悪鬼に追いつかれ、悪鬼は再び巨大な鎌を振り上げた。


 同時に、真一は空に向かって手を伸ばす。そして。


 パシィ!


 響き渡る音と共に、真一はつかんだ。

 真一の手に握られた物は、先ほど悪鬼に弾かれた鋼太の剣。真一は、剣の軌道を確かめながら逃げていたのだ。


 真一は、今までの鋼太の戦いを全て見ていた。手足の動かし方、重心の移動の仕方、剣の構え方。記憶を元にその全てを再現し、悪鬼の攻撃を受ける準備を万全に整えた。

「さぁ来い化け物! ぶっ倒してやる!」

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