ようやく前進しましたが、何か?

 クウと里長がうちにやって来てから暫くの間、オレたちは他愛もない雑談を続けていた。いや、雑談なんて言いつつ、ほぼほぼフー姐が里長を弄り倒しているだけなんだけどさ。


 ちなみに今日、守り人の役目である森の見回りはお休みだ。何せ、フー姐と二人がかりで隅々まで見回ったばかりだからね。


 さて、里長もツッコミ続けることに疲れてきた頃合いだと思うし、この辺りで本題に入っても問題ないだろう。オレはタイミングを見計らって口を開いた。


「で、そろそろ本題に入りたいんだけど……」


 オレの発した一言で、だらしなく緩んでいたクウの表情が引き締まる。いや、緊張しすぎだって。べつにそんな身構えるような話でもないんだけど……。昨日フー姐が威嚇しすぎた所為だな、こりゃ。

 まあいいか。話を進めていくうちに、きっと落ち着きを取り戻すだろうし。それじゃ、単刀直入に質問をぶつけるとしよう。


「クウ。あんたって、どうやって他の種族と意思疎通を図っているんだ?」


 そう。今日またクウと会う約束をしたのは、これを知りたかったが故なのだ。

 さまざまな種族を相手に商売を展開しているというクウ。言葉は当然通じないだろうに、どうやって意思疎通を図っているのか。割と気になる部分である。その内容によっては、今後のナーニャとのコミュニケーションにも生かせるかもしれないからね。


 あっと驚くような手段を聞き出せるのではと期待してクウの顔を見つめてみるが、クウは「何故そんなことを尋ねるのか」とでも言いたげな表情でこちらを見つめ返している。


「いや、だって、身振り手振りや表情だけでの意思疎通なんて所詮限界があるだろう? 昨日、エルフの言葉は野良のエルフから教わったって言っていたけど、新しい言葉を学ぶにしたって、ある程度は意思疎通の手段がないと苦労するだろうし」

「それは、そう」

「……ってことは、やっぱり何か特別なコツとかあるんじゃないの?」


 だがしかし、クウは小さく首を振る。


「ううん、してない。特別なこと、何も」

「いや、でもさ」

「本当。だって……うち、絵、描いて、見せている、ただそれだけ」


 オレがしつこく食い下がると、クウは申し訳なさそうな顔でそう答えた。

 彼女は更に言葉を続ける。言葉が通じないのなら、視覚情報を用いれば良いだけの話だ。だけど、そんなものわざわざこの場で説明するような特別な手段ではないから、と。


「だから、役に立つ、情報ない。ごめんなさい」


 いやいや、べつに謝る必要はないさ。ところでひとつ質問なんだけど……。


「えっと、その、ってなんだっけ?」

「……えぇ!?」


 耳に馴染みのない言葉なもので、オレは首を傾げずにはいられない。里長とフー姐も、大凡似たような反応である。そんなオレたちの反応に、クウが困惑の表情を浮かべる。


「うそ、でしょ……」


 嘘じゃないです。大マジです。はい。

 気まずい空気が流れるが、暫く経ってクウの隣にいた里長が拳でポンと手のひらを叩いた。どうやら、いち早く言葉の意味を理解できたらしい。


「あぁ、なるほどの。とはつまり、絵画や図形のことじゃな。いやはや、懐かしいのぉ」

「それって…………あぁ、か!」


 里長の一言によって、ようやくオレの頭の中でも言葉意味が結びついた。

 絵かぁ……たしかにそんなものもあったね。しかし随分と久しぶりに聞いたな、その言葉。


 困惑し続けているクウに対し、オレはその理由わけを説明してやることにした。




 絵という概念そのものは、もちろんエルフの里にだって存在している。ただ、概念が存在するからと言って、それが必ずしもオレたちにとって身近なものであるかと言えば……そうではないのだ。

 その背景には、エルフという種族の価値観が非常に大きく影響している。


 オレたちエルフは、自分たちの種族こそが美の最たるものだという確固たる信念を持っている。まあ、そんなの当然なんだけどね。実際、エルフは例外なく美男美女ばかりなのだから。

 故に、オレたちは芸術というものに価値を見出すことができない。だって、冷静に考えてもみてほしい。自分たちの美を引き立てるような装飾品の類ならまだしも、美としての価値が自身に劣る絵画や彫像を鑑賞することに、何の意味があるというのか。

 肖像画? いやいや、実物の美しさには到底敵わないでしょ。仮にナーニャの肖像画とナーニャ本人が並んでいたとしても、オレの視界にはナーニャ本人しか映らない自信がある。


 なんでも噂によれば、他種族からエルフは一際プライドが高い種族だと評されているらしいが……まったく、妙な言いがかりは止めてもらいたいね。


 加えてもうひとつ。エルフは比較的狭いコミュニティーで完結した閉鎖的な暮らし方をする者が多い。この里で暮らすオレたちなんて、まさに良い例だ。

 で、そうなると、意思疎通に困る場面なんてそうそう発生しない。程度の差こそあれ、誰もが知り合いみたいなものなのだから。しかも長命だから、付き合いの長さも人間たちとは比べ物にならないし。

 結果、言語が成立する数千年前ならまだしも、現代においては情報伝達の手段に絵画や図解が必要になることなんて滅多にないってわけだ。


 要するに、エルフにとっては美としても情報伝達の手段としても弱い存在、それが絵なのだ。




「な、なるほど……! 一応、理解」


 そう言ってこくこくと頷くクウ。もっともその顔には、理解したけど納得はしていないぞという内心が滲み出ているが。

 まあ、クウが納得するかどうかはこの際どうでも良いことだ。事実は事実なのだから。そんなことより、もっと重要な話がある。


「話を戻すけど……つまりあんたは、それなりに絵が描けるってことだよな?」

「うん、描ける!」


 それは非常に都合が良い。昨日、あのままクウを追い出してしまわなくて良かった。オレ、グッジョブ!


「喜ぶといいよ、クウ。あんたをこの里に滞在させる理由が、たった今できた」

「……どういう、こと?」


 そういえば、オレたちの事情については何も伝えていなかったな。別に隠す必要もないし、さっさと説明してしまおう。


「もう何となく気がついているかもしれないけどさ、オレの妹……ナーニャは言葉を知らないんだ」

「……言葉、知らない?」

「そう、まあいろいろと事情があるんだよ。そんなわけで、あんたにはナーニャに言葉を教える際の手伝いを頼みたいんだ。もちろん、それ以外の時間は自由に過ごしていいから」


 オレたちは、クウに一時的な滞在場所を提供する。その代わり、クウにはオレたちの役に立ってもらう。持ちつ持たれつな関係ってやつだ。


「それで構わないよな、里長?」


 一応里長にも許可を求めておく。先ほど目にした親交の深まりっぷりから予想するに、恐らく異論はないだろう。


「うむ。もちろん儂は構わんよ。此奴のことは、昨晩のうちにそこそこ理解できたからの。商いも、里の商人に迷惑をかけぬ範囲であれば認めても良いのじゃ」

「……喜び! 感謝!」


 案の定、ふたつ返事で許可が下りた。後はフー姐の反応次第なんだけど……。


「ぐぬぬぬ、これはナーニャちゃんとお喋りするためだから……! ええ、わたしもそれで良いわっ」


 おっ、意外とあっさり受け入れてくれるんだ。フー姐のことだから、もう少しごねるんじゃないかと思っていたんだけど。何だかんだ言って、フー姐もそれなりにクウのこと認めているのかもね。

 ……いや、そうでもないか。よく見たらめっちゃ唇を噛み締めているし。まあ、とりあえずここは褒めておこう。


「偉いぞフー姐、落ち着いて冷静に判断できたな」

「……ナナシちゃん、お姉ちゃんに対する期待値が低すぎるんじゃない?」

「アハハ、ソンナコトナイデスヨ、オネエサマ」

「ちょっとぉ!?」


 でもまあ本当に意外だったからなぁ。オレのそんな顔を見て、フー姐が大きな溜息をつく。


「だって、わたしは絵なんて描けないもの……」

「それはオレも同じだな。オレがこの手で使いこなせるものなんて、精々守り人の弓くらいなものさ」

「ナナシちゃん、実はとっても不器用だものね。そんなところも可愛いんだけどっ」

「うっさい! フー姐にだけは言われたくないから」


 何はともあれ、これで一歩前進だ。

 いつの間にやらフー姐の膝上に移動うつされているナーニャを一瞥してから、再びクウと向かい合う。


「そんなわけで、これからよろしく……クウ」

「うん、よろしく!」

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