エルフの里は平和ですが、何か?

 朝食を終えたボクは居間で一息つきながら、今日は何をして過ごすのだろうか、なんてことをぼんやりと考えていた。


 それにしても、社会人として仕事に追われるばかりだったボクが、まさかこんなにも悠々自適な日々を送ることになるだなんて……果たして誰が予想し得ただろうか。いや、誰にも予想できるはずがない。

 ほんと、人生何が起こるか分からないものである。


 しかしまあ、目を覚ましたら全て元通り、なんて可能性もなくはないんだよね。そもそもこの世界で目覚めたこと自体、突然の出来事だったのだから。

 生活水準を下げるのは簡単だけど、上げるのは逆にめちゃくちゃ大変なんだって話を聞いたことがある。そんなわけで、あまり怠けすぎないようには気をつけたい。じゃないと、うっかり社会復帰できない身体になりかねないし。ああ、想像するだけで恐ろしい。


 ……よし。とりあえず、この家でボクにも手伝えることがないか探してみよう。仕事を手に入れるのだ。

 拳を頭上に掲げながらそんな風に決意したタイミングで、が部屋に響いた。昨日に続いて今日もまた、誰かがお姉さんたちのもとへとやって来たようだ。いやはや、人気者だね。


 ダークエルフさんが扉を開いて、客人を家の中へと招き入れる。ボクは興味津々でその顔を覗き見た。


「って、わわっ……旅人さんじゃないですか!」

 

 ボクは思わず声を上げる。

 なんとびっくり。入ってきたのは、記憶に新しいあの二人だったから。つまるところ、昨日出会ったばかりの旅人さんと、託児所らしき建物でよく出会う謎の幼女が、揃ってこの家にやって来たというね。


 旅人さんは、もしかするとボクと会うために来てくれたんだろうか。だったら割と嬉しいかも。

 その隣にいる謎の幼女は……どうして旅人さんと一緒にいるのだろう? 相も変わらず謎だらけだ。





 里長がクウを連れて突然うちに押しかけて来た。

 扉を叩く音が聴こえたときには、またトラブルが起こったのだろうかと身構えたものの……どうやらそうではないらしい。ホッと一安心。


 しかし、里長がうちに何の用事だろうか? 理由がぱっと思いつかないものだから、オレは小さく首を傾げる。そんなオレを見た里長が、呆れたと言わんばかりの表情で説教を始めた。

 

「お主ら……誰かと会う約束をするときは、集合場所と時間まできっちり決めておくべくじゃろうが。クウの奴、今朝になってようやく何も決まっていなかったことに気づいたらしくての。一体どうしたものかとオロオロ狼狽えておったのじゃぞ?」


 ……あぁ~、そういえばクウとまた会う約束をしていたっけ。寝起き早々からナーニャの可愛さに夢中になるあまり、オレもフー姐も約束のことなんてすっかり忘れてしまっていた。こんなこと、口が裂けても里長には言えないや。バレてはいないようだけど、一応ごめんなさいと謝っておく。心の中で。


「おい、儂の話を聞いておるのか?」

「おっと……もちろん!」


 里長の指摘はたしかに実際その通り。どこで会うとか全く決めていなかったからね。いや、でも昨日はあの場を上手く収めるので精一杯だったしなぁ。


「まったく。仕方がないから、とりあえずここまでクウを連れてきてやったのじゃ。精々儂に感謝せい」


 なるほどなるほど、そういうわけか。流石は里長。

 本人は絶対否定するだろうけど、里長って何気に面倒見が良いんだよね。昔のオレたちのこと然り、昨日のナーニャのこと然り。


 それはそれとして……幼い子どもにしか見えない容姿の里長に説教されても、正直なところ微笑ましさしか感じないわけで。オレは思わずくすりと笑う。


「……何故に今笑うたんじゃ!?」

「すまんすまん。悪かったって、里長。次また会う約束するときには、ちゃんと気をつけるからさ」

「なんとなく釈然とせぬが……まあ良いじゃろう」


 笑ってしまった理由わけについてはしれっと誤魔化しておきつつ、オレは話題をすり替える。


「なあ、里長とクウの距離感、何だか妙に近くなってないか? 一晩共にしたことで、すっかり仲良しってわけか?」

「……にゃにゃにゃ何を阿呆なこと言うとるのじゃ、この戯け!」


 おっ? 話題をすり替えるつもりで適当に冷やかしてみたら、案外良いところを突いていたらしい。

 とはいえ、里長は安易に動揺しすぎだぞ。べつに変な意味なんて込めていないのに。


 ほら、里長がそんな反応を見せるから、フー姐がまた警戒心を強め始めたじゃないか……。


「ぐぬぬ……。たしか名前はクウだっけ? 人間のくせに、貴女なかなか侮れない子ね」

「あれ? もしかして、うち、認められた?」


 まあ、たしかに認められたっちゃ認められたのかもね。もっともそれは要注意人物幼女たらしとして、なんだけど。

 噛み合っているようで噛み合っていないフー姐とクウのやり取りに、里長が思わず頭を押さえる。ちなみにオレも里長と同じ気分だ。何だかちょっぴり面倒臭いぞ、この二人。





 ダークエルフさんたちが何やらガールズトークに花を咲かせている中、ボクはといえばすっかり手持ち無沙汰になっていた。この場で唯一ガール本物じゃないボクは、当然その輪に加われないからね。

 そもそも、ガールじゃないとかそんなの以前に、彼女たちとわいわいトークする為の言葉すら持ち合わせていないんだけど。


 ボクはふと、つい先ほどの決意を思い出す。

 そうだそうだ。何かボクでも手伝えること、役に立てることがないか探そうとしていたんだった。かつての社会人生活で培ってきた経験を活かして、今の自分にできること……う~ん、一体何があるだろう。


 せっかくお客さんが来ているんだから、とりあえずお茶でも出してみようか。

 いや、これは駄目だ。お茶……というかお水の入った透明なボトルは、随分と高い棚の上段に仕舞われていた気がする。

 うんうん、幼い子どもがうっかりボトルを割ってしまって、どこか怪我でもしたら大変だからね。割れ物は幼児の手が届かないところに仕舞っておくのが正解だ……って、誰が幼児やねん! ボクは頭の中でノリツッコミを繰り広げる。


 それならお客さんの肩でも揉んで差し上げようか。

 いやいや、これもちょっと違うな。お客さんこと旅人さんは、どう見たって肩が凝るような年齢じゃないし。それは却って失礼な行為と受け取られかねない。

 それに、いくら下心はないと言っても……ボクの方から女の子の身体を揉もうとするのはなぁ。どう考えたって良くないでしょ。

 彼女の胸に自ら飛び込んだ昨日のことなんてすっかり忘れて、今更ボクはそんなことを考えていた。


 その後も、アイデアが浮かんでは消えていき……なかなか良いお手伝いが思いつかない。ボクってこんなにポンコツだったっけ? うぬぬ。


 そんな具合に、あーでもないこーでもないとボクがひとりで百面相している間も、ダークエルフたちのガールズトークは続いている。時折こちらに視線を向けている気配を感じるけど、まあ気のせいだろうね。

 ほんと、ボクってば自意識過剰なんだから。





「おい……なんじゃあの可愛い生き物」

「あら、里長もようやくナーニャちゃんが天使級の可愛さだってことを理解できたのですね。偉いですよ、よしよし」

「お主は何故そんなに上から目線なのじゃ!?」


 ナーニャは何か考え事でもしているのだろう。表情をコロコロと変化させている彼女の様子を見つめながら、里長が思わず言葉を漏らした。

 それを聞いたフー姐が、水を得た魚のように里長を弄っている。なんだかんだ言って、フー姐は里長のことも大好きだからなぁ。

 それはそれとして、フー姐の発言にひとつだけ聞き捨てならない部分があった。その点については、しっかり指摘しておかねば。


「何度でも言うけど、ナーニャはべつにフー姐のものじゃないからな?」

「うむ、よく言うたな、ナナシ。まったくもってその通りじゃ。娘っ子は誰かの所有物ではないからの」


 すかさず里長が加勢してくれる。

 流石は里長。容姿以外は至って常識的だ。


「ごめんなさいナナシちゃん。ええ、もちろんちゃんと分かっているわ。正しくは、ナーニャちゃん、だったわね」

「ふんっ……分かっているなら良いけどさ」

「いやいや、いやいやいやいや。それで納得しちゃいかんじゃろ!?」


 ん? 何が駄目だというのだろうか?


 オレたち姉妹と、ツッコミに追われる里長の組み合わせ。いつもと変わらぬお馴染みの光景である。

 ちなみにクウは、ナーニャの観察に夢中な様子。オレたちの会話に混ざる余裕など無さそうだ。


「里長ったら、声を荒げてどうしたのですか?」

「……少し落ち着けって、里長」

「エルフ、幼女……可愛い」

「おーい、儂の味方はおらんのか!? もう嫌じゃ、この馬鹿共の相手をするの……」


 エルフの里は今日も変わらず平和である。

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