次女は意外と冷静ですが、何か?

 この里に来るまで人間たちから酷い扱いを受けていたのではないか……と、そんな過酷な過去を匂わせていたナーニャが取ったまさかの行動に対し、オレとフー姐は戸惑いを隠せずにいた。

 なあ、どうして人間なんかに向かって、そんな一生懸命に喋っているんだ? 本来であれば、人間に恐れ慄き激しく拒絶反応を示したとしても、何ら不思議ではないだろうに。


 もしかすると、オレたちが想像しているような辛い過去など存在しないのかもしれない。

 いやいや、それならばナーニャの境遇をどう解釈するというのだ。やはり、人間から何らかの仕打ちを受けていたと考えるのが自然だろう。うん。

 となれば、クウと名乗るこの人間が、ナーニャの目にはよほど善人にでも映っているのだろうか。世俗に塗れていない幼子ほど、本質を見抜く力を持っているともいうし……。実際、数多の人間と接したことのある里長がこの人間を一定信用し、里の食料まで与えると判断したのだから、悪い奴ではないのだろうけど。

 そうは思いつつも、なかなかそう簡単に割り切ることはできない。オレの中には、未だ人間に対する猜疑心が根強くこびりついているのだ。


 こんな風に俺たちを惑わせている元凶の面を改めて拝んでやろうと、ナーニャに詰め寄られているクウの顔面に視線を向ける。そこには……顔を激しく上気させ、何やら不穏な気配すら漂わせている要注意人物の姿があった。あっ、マズいぞこれ。


「か、かわいい……」


 ナーニャの行動に対しオレたち同様に戸惑っていたはずのクウが、聞き捨てならない一言を呟いた。

 いや、たしかにナーニャは可愛いが、とってもとっても可愛いが……だからと言って、この状況で普通そんな感想は飛び出さないだろう? シスコンでロリコンのフー姐じゃあるまいし。オレたちから変な誤解を受けないようにエルフ語を使って呟いている辺り、今のところ冷静さは保っているようだが。

 本来であれば、呟かれた当人が異変を察して警戒心を高めるべき場面だ。だがしかし、ナーニャは当然その呟きの内容を理解できない。それに加えて、いつも通りの無警戒っぷり。寧ろ隙しか見当たらない。

 まさしく飛んで火にいる夏の虫。すっかり目尻が下がり切ったクウに向かって、尚もナーニャは擦り寄り続ける。


「おい! ナーニャから離れろ」

「ダメよ、ナーニャちゃん! こっちにおいで」


 嫌な予感が止まらないオレたちは、ナーニャのもとへと歩み寄りながら必死に呼びかける。その呼びかけに反応したのか、ナーニャがこちらへ振り向いた。そうだ、それで良い。そのままオレたちの側に帰ってくるんだ。お前は賢い娘だろう?


「うぅう、ーーーー~~!」


 だがしかし、ナーニャは一瞬こちらを見たっきり、視線をクウの方へ戻してしまった。そしてそのまま謎の歓声を上げ……あろうことか、クウの胸へと飛び込んだ。


 ……は、はい? オレの目がこれでもかというくらいに大きく見開く。ええええ、正気か!?


「■■……■■……」


 ナーニャからとどめの一撃を受け、完全にハートを撃ち抜かれたであろうクウは、遂にエルフ語で話す余裕すらも失ってしまったらしい。そりゃそうだろう。オレがクウの立場だったら、キャパオーバーで意識を手放してしまう気がするもん。まったくもって羨ま怪しからん……。

 どうせフー姐みたいに「天使……」的なことを呟いているんだろうけど、今はそんなこと知ったこっちゃない。オレの口から思わず嘆きが漏れる。


「嘘だろ、ナーニャ……」

「ナーニャちゃんどいて。そいつ殺せない!」


 あのナーニャが、よりにもよって人間なんぞに抱き着くなんて……。その現実を受け入れられず、オレは地面に膝をつく。ヤバいな、あまりのショックに一瞬脚から力が抜けてしまったぞ。

 そしてオレより数段ヤバそうなのが、すぐ隣で目を血走らせているフー姐だ。かつてないほどの殺気を全身にまとっている。あぁ、本当にヤバいかもしれない……


「フ、フー姐、ちょっと一旦落ち着こう? ね?」


 フー姐の気持ちは痛いほど理解できるが、いくらなんでもそれはまずい。クウ自身には非がないから、というのも当然理由のひとつではある。だがそれ以上に、この場で理不尽に人間を襲ったという事実を作ってしまうことが宜しくない。万が一、彼女を手にかけたことが人間たちに伝わりでもすれば、エルフ狩りの口実を与えることにもなりかねないのだから。まさか、クウがそれを狙っているとは思わないけど。

 というか、ぶっちゃけ今回はナーニャが悪い。大体、なんでそんな簡単に懐いてるのさ、このバカ!


「んっふふ~~」

「……■■■■■■」


 当のナーニャは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。だからその表情はズルいって。何も言えなくなっちゃうじゃん……。

 もう一方のクウはと言えば、尚も荒れ狂うフー姐とは対照的に随分と落ち着きを取り戻したらしい。まだ若干の戸惑いは残しつつも、すっかり慈しみの表情を浮かべている。それにしても、なんて穏やかな表情なんだろう。


 そんな二人を見ていたら、オレたちが一方的に警戒心を向けていること自体、何だか馬鹿らしく思えてきた。だってこの光景、オレたち姉妹の日常と何ら大差ないじゃないか。


「なあ人間……いや、クウ。あんた、本当にエルフの里に害をもたらす気はないんだよな?」

「ほへぇ~…………え? あっ、うん。敵意ない、当然!」


 おい、なんだ今の妙な間は。というか、ほへぇ~って完全に意識どこかへ飛んでいってただろう!

 まさかとは思うけど、さっきまで穏やかな表情を浮かべていたのはだったが故とか言わないよな!?


 ……まあ良い。いや、賢者タイム云々はちっとも良くないけれども、それ以外はね。

 彼女に敵意がないのなら、これ以上無駄に反発し続ける理由もないだろう。この里は、べつにエルフ以外不可侵ってわけでもないんだし。

 というか、この状況で無理やりナーニャを引き離してクウを追い出そうものなら、ナーニャに嫌われてしまいそうな予感がする。それは嫌だ。

 ついでに言えば、隣でエキサイトしているフー姐が目に入る度、スッと冷静になれるんだよね。所謂、エルフの振り見て我が振り直せってやつさ。


「里長。ナーニャの奴がしばらく離れそうにないし、こいつが悪い奴じゃないってんなら数日滞在を許すくらいは問題ないんじゃないか?」

「むっ……ふぅむ。まあ、儂とてこやつが害意を持っておらぬことくらいは見抜いておる。故に、お前さんらが拒まぬというのであれば受け入れても構わぬが……ナナシ、フウラよ。それで本当に良いのじゃな?」


 オレの提案に対し、里長からは予想通りの前向きな回答が返ってきた。先ほどクウに追放を言い渡したのは、オレたち姉妹に配慮した側面が大きかったのだろう。


「良いわけないでしょ!」


 当然、殺意むき出しのフー姐は拒絶の意思を示してきた。これも予想の範疇だ。


「でもさ、本当にこのまま追い出して構わないのか、フー姐? もう二度と会えないとナーニャが気づいてしまったら、また泣き出してしまうかもしれないぞ」

「ぐっ……でもぉ」

「いろいろ重なって結果的に意固地になっているだけで、フー姐だってこの人間が悪い奴じゃないことくらい薄々感じ取っているんだろ?」

「そ、それは……そうかもだけどっ」


 まあ、逆にフー姐と同類のヤバい奴ロリコンである可能性が浮上してきているんだけどね。オレの中でじわじわと。面倒なので、今はまだ言及しないでおこう。

 それに、オレはなにも善意だとかナーニャに嫌われない為とかって理由だけで、こんなことを言い出したわけではない。


「この人間、さっき言ってたよな……友人から教わって。って」

「えっ……? そういえば、たしかにそんなこと言ってたかも」


 そう、重要なのはそこだ。


「それに、こいつはさまざまな種族を相手にして商売をしているんだろ? 共通言語なんて存在しないはずなのに、どうやって意思疎通を図っているのか興味が湧かないか?」

「それは気になる……わね」


 現状オレたちは、言葉を知らないナーニャとほとんどコミュニケーションが取れていない。

 いやまあ、まだ出会ってからほんの数日しか経っていないし、特にこれと言って何か教えようともしていないだけなんだけど。もう少し経っていろいろと落ち着いたら、お勉強の時間はちゃんと設けるつもりだったからね? 慌てずとも、エルフの寿命は長いのだ。


 とは言え、現状がそんな有様であることには変わりない。実際のところ、クウの話が参考になるかどうかなんて分からないが……ひとまずこの場の落としどころとしては、ちょうど良いんじゃないだろうか。


「というわけで、クウ。もし良かったら、明日またオレたちと会って話さないか?」


 こうなった以上、否とは絶対言わせないけど。

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