唐突に緊張が走りますが、何か?
愛しい妹ナーニャちゃんと出会ったあの日から数えて五日目の朝。見回り当番のナナシちゃんが出掛ける準備をしている間に、わたしはナーニャちゃんの髪を整えています。
まあ、わざわざブラッシングなんてしなくても、驚くくらいにサラッサラなんですけどね。なので、この時間は半分わたしの趣味みたいなものです。お姉ちゃんの特権ってことで、そのくらいは許されるはず。というか、わたしが許します。承認!
「そういえば……ナーニャちゃん、昨日リボンをプレゼントされていたよね?」
「はふうぅううう」
ブラシをかけるたび、力の抜けた声を漏らしながら気持ち良さそうに目を細めるナーニャちゃん。そんな様子を眺めて癒されている最中、不意にリボンのことを思い出しました。せっかくですし、あのリボンを使っていつもとは一味違ったナーニャちゃんに仕立ててあげましょうかね。腕が鳴ります。
いつかナナシちゃんの髪を弄らせてもらおうと、密かに練習していたんですよ。肝心のナナシちゃんには振られ続けてきましたが、ナーニャちゃんのお陰でようやく念願が叶いそうです。
さあ、思い立ったら即実行。ナーニャちゃんの金髪を束ねて掴み、彼女から手渡されたリボンでまとめて結びました。我ながら素晴らしい手際だと思いますね。
「ああんっ、可愛い可愛い可愛いよぉ!」
「ん……んううううぅ」
シンプルなポニーテールにワンポイントのリボンが映えて、想像を遥かに上回る可愛さです。
いつもであれば隠れて見えないうなじの曲線も、とっても綺麗で……やはりこの子は将来とんでもない美人さんになりますね。間違いなく。これは変な虫が寄り着かないように細心の注意を払わないと。
普段と違った雰囲気を醸すナーニャちゃんを前にして、わたしは我を忘れてはしゃいでしまいます。その騒ぎに反応したのか、ナナシちゃんが荷物を置いて近づいてきました。
「何事だ……って、うぉおおっ! 我が家に天使が降臨しているじゃないか!」
「そうなのっそうなのっ」
「ーーーーーー!? あわわ……」
流石はナナシちゃん、良い感性をしていますね。そう、ポニーテールを揺らすナーニャちゃんは、紛れもなく天使そのものと言えるでしょう。
奇跡というのは滅多に起こらないからこそ奇跡と呼ぶのですが、我が家ではここのところ毎日のように天使降臨という奇跡が起きています。まさに奇跡のインフレーション。なんだか反動が怖いですね。
「オレが自分用に買ったリボンも貸すからさ。この際、ツインテールも試してみないか?」
「それ、採用!」
そんなの絶対可愛いに決まっているじゃないですか! 天使のツインテールですよ?
ナナシちゃんのナイスな提案に対し、右手を前方へ突き出して親指を立てようとしましたが……
ドンドン! ドンドンドンドン!!
にょわっ……!?
突然、何者かが玄関の扉を激しく叩きました。
不意を突かれた所為で思わず変な声が漏れてしまいましたが、すぐさま冷静になって玄関の方へと近づいていきます。ナナシちゃんがナーニャちゃんの側で彼女を守っていることだけ確認し、わたしは慎重に玄関の扉を開きました。
「あわわっ。フウラさん、ナナシさん、朝早くに押し掛けてごめんなさい! ですが……もしかすると里の緊急事態かもしれないのでっ」
「きんきゅー、じたい……緊急事態?」
「……詳しく聞こうか」
扉を開くと、そこに立っていたのは若い女エルフでした。そういえば、祭事のときに何度か言葉を交わした記憶がありますね。まあ、そんなこと今はどうでも良いのですが。
それにしても、緊急事態とは穏やかじゃないですね。ナナシちゃんの言う通り、これは話を聞くしかなさそうです。
「はい、それでは手短に説明しますねっ」
「そうね。玄関先に立たせたままで申し訳ないけれど、そのまま話してもらえるかしら」
「分かりました。早朝、いつものように母が山菜を取るため森へ出掛けていました。ですが、その道中に不審な影を目撃したみたいなのです」
「不審な影?」
「そうです。影はすぐにどこかへ消え去ったようで、母は慌てて帰ってきたのですが……その母が言うには、不審な影は二本の脚で走っていたらしく」
その言葉を聞いて、わたしたち二人に緊張が走りました。ナナシちゃんに至っては、手に持っていたはずのリボンをぽとりと床に落としてしまっています。まさに放心状態です。
「落ち着いて、ナナシちゃん」
「そ、そうだよな」
ナナシちゃんはひとつ大きく深呼吸をすると、床に落ちているリボンに気づいて、慌てた様子で拾い上げました。とりあえず、周りの状況が見える程度には冷静さを取り戻せたようですね。
しかし、
周辺の森に迷い込む二足歩行の生き物なんて、里のエルフか人間族くらいしか考えられません。一部を除いて、ほとんどの種族は自分たちのテリトリーから離れないですから。ゴブリンですら、エルフの里近くには近づきませんし。
もちろん、彼女の母親が見間違えただけという可能性も十分にあり得ますが……ナナシちゃんやナーニャちゃんのような前例もありますし、更に言えばナーニャちゃんを連れ戻しに来た奴隷商という線もゼロではありません。ここは一度念入りに森の中を見回っておくべきでしょう。
そうなると、当然ながらナナシちゃんひとりに見回りを任せ切ってしまうわけにはいきません。今こそ、わたしとナナシちゃんの二人が総力を挙げて守り人としての役目を果たすべきときです。
で・す・が! 頭ではそうするべきだと理解していても、なかなか気持ちの整理がつきません。
だって、だって……
「せっかく今日はナーニャちゃんを愛でまくって、癒し癒され合おうと思っていたのにぃいいいい!」
「気持ちは痛いほど察するけどさ……ナーニャと里の平穏の為だ、仕方がないだろ?」
「わ、分かっているけどぉ」
そんな具合にナナシちゃんから諭されつつ、わたしも見回りの準備を始めます。渋々ですけどね。
そうこうしているうちに、ナナシちゃんは先行して森の西側へ出掛けていきました。
さて、暫くしてわたしも出発の準備が整いましたが……姉二人が揃って出払う前に、ナーニャちゃんについてどうにか手を打たなくてはなりません。
昨日の朝、わたしひとりが離れようとしただけで号泣していたのですから、ひとりぼっちで留守番させるという選択肢はなしです。ですが、一緒に森へ連れて行くという選択肢もあり得ません。絶対に。
さて、ここで残った選択肢がもうひとつ。それは、ナーニャちゃんの顔見知りで、尚且つわたしが信頼できる者に預けるという選択肢です。
「なるほどの。それで儂のところへ来たのじゃな」
「理解が早くて助かります。そんなわけで、今日一日この子のことをどうかよろしくお願いします」
「良い良い。娘っ子は儂が責任を持って預かるのじゃ。安心せい」
こういうとき、里長は本当に頼りになります。流石は里一番の年長者ですね。わたしの胸は感謝の思いで一杯です。それを存分に伝えておきましょう。
「
「ん? んんん?」
「
「心の声が隠しきれておらんのじゃが!?」
「ふふっ、冗談です」
「嘘つけ、今のは絶対に本音じゃったぞ……」
相変わらず良い反応をしてくれますね。それでこそ弄り甲斐があるというものです。ですが、里長
続いて、ナーニャちゃんと向き合います。
「ごめんね、本当はずっと一緒に居たいんだけど……どうしても外せない用事が出来ちゃったの」
「ん、んぅ?」
「だから今日だけ、里長のところで良い子にして待っていてね?」
「ーーーー……ーーーーーー!」
互いに言葉は通じていませんが、ナーニャちゃんの表情を見る限り何も問題なさそうでしょう。これは、ここ数日の間で着実に信頼関係を築けてきた証拠とも言えます。
それに、これは恐らくですが……わたしの恰好を目にした時点で、ナーニャちゃんはなんとなく状況を察してくれたのではないでしょうか。何せ、昨日と同じ守り人の装備を身に付けていますからね。
さて、名残惜しいですがそろそろ出発です。
「それじゃ、いってきますっ」
「……いっーーーー!」
「気をつけるのじゃぞ」
今日も可愛い「いってらっしゃい」を聞くことが出来ました。わたし、とっても幸せです……。
しかし、二日連続でナーニャちゃんに見送ってもらうことになるとは思いもしませんでした。これで、見回りの成果が迷子のエルフ発見などであれば仕方ないことだったと割り切れますが……狩り目的の人間族が忍び込んでいた場合には、到底容赦できそうにありません。ギルティです、ギルティ。
可愛い妹と戯れる時間を奪った罪は重いですよ。覚悟しておいてくださいね。ぷんぷん!
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