すっかり懐いていますが、何か?

 不可抗力による二度寝から覚めると、既にお姉さんたちは起床した後だった。

 寝室にボクひとりというこの状況……先ほどまで身動きが取れなかったこと自体、夢だったのではないかと思えてくる。が、見知らぬベッドで寝ている以上、現実に向き合うべきだろう。


 この世界にやって来てから数日が経ち、お姉さんたちとの生活にも少しずつ慣れてきたとはいえ、所詮ボクは居候の身である。朝からベッドに籠って惰眠を貪り続けているような駄幼女であれば、呆れて捨てられてしまうかもしれない。

 だが、それは困る。ボクは野生で生き抜く術を知らない現代っ子だ。その上、今はか弱い幼女の身体でもあるという……。もしまた森に投げ出されでもしたら、三日と経たずにこの世界からおさらばすることになるだろう。なんなら、半日と持たないかもしれない。


 というわけで、ボクはベッドからぴょこんと飛び降りる。おっとっと。身体が小さくなっている分、バランスを崩さないよう慎重に。

 さあ、お姉さんたちのところに行かないと。




「おはよ……ございますっ」

「ナーニャ! ーーーー」

「ーー、ーーーー!」


 挨拶というのは社会人の基本だ。言葉自体は通じていないにしても、元気よく挨拶することで悪い印象は避けられるだろう。この世界にも、挨拶という概念は存在しているようだし。その証拠に、今も挨拶に返事をしてくれた。


 ちなみに、まだまだ聞き取れない言葉が大半ではあるものの、「いってらっしゃい」や「ただいま」に該当すると思われる単語はふんわり聞き取ることができた。だから、昨日思い切って真似してみたところ、上手く発声できていたらしく……かなり嬉しそうな表情で頭を撫でられた。

 大人になると、ちょっとやそっとの成長ではなかなか褒めてもらえないものだから、こんな風に他人から手放しで賞賛されるのは久しぶりな気がする。照れくささも多少あるけど、正直喜びの方が勝る。

 そんなわけなので、まずは少しずつでも挨拶を習得していきたいと思っている。




 さて、現実に意識を戻そう。

 一昨日は三人一緒で過ごしたわけだけど、昨日はほとんどお姉さんと二人きりだった。ダークエルフさんにどんな用事があったのかは知らないが、今日はどうするんだろうね?


 まあ、ボクとしては、お姉さんが側にいてくれるなら特に問題ない。

 こんなことを言うと子どもみたいで恥ずかしいのだけど、森で助けてもらって以来、ボクはお姉さんにべったりくっついて過ごしている。だって、知らない世界でまたひとりになったらと考えると、不安で身体が震え出すし……。要するに、お姉さんは今のボクにとって心の支えのような存在なのだ。

 情けないなんて指摘はしないでほしい。そんなことは重々承知しているから。でも、以前より感情の振れ幅が大きいし、情緒だって安定しないんだ……ぐすん。

 




 あぁ、遂にやってきてしまいました……ナーニャちゃんと離れて過ごさなければならない日が。

 そう、今日はわたしが見回りの担当なのです。


「この世界はなんて非情なのかしら」

「安心しなよ、フー姐。代わりにオレが、ナーニャとがっつり楽しむからさ」


 悲壮感を隠せないわたしとは対照的に、ナナシちゃんはニヤニヤが止まらない様子です。困ったことに、目に入れても痛くないほど可愛いはずのナナシちゃんが、小憎たらしく見えてきました。こんなことは初めてですよ。

 ちなみに、ナーニャちゃんは朝食のパンに夢中になっています。小さなお口で幸せそうに噛りつく姿には、見る者全てを魅了するようなあざとさがありますね。自然体があざといなんて、末恐ろしい子。


「ナナシちゃん、そろそろ見回りしたい気分になってきたんじゃない? ……仕方がないから、優しいお姉ちゃんが役目を譲ってあげるね!」

「あぁ? 寝言は寝ているときに言おうか」


 都合が良……いえ、素晴らしい提案だと思ったのですが。ナナシちゃんに容赦なく切り捨てられてしまいました。その瞬間の妹の視線があまりにも冷え切っていたものですから、お姉ちゃんは震えて泣きそうです。


「そういう小芝居はいらないっての……。

あっ。ナーニャ、口元にジャムがついてるぞ」

「ーーーー? ぅんん~」

「ほら、オレが拭いてやるからじっとしてろ」

「むごむご……ーーーーー! んへへっ」

「……まだわたしもいるのに、朝から二人きりの世界に浸らないでほしいかな。ふふふ、お姉ちゃん本当に泣いちゃうよ?」


 普段のように余裕があるときならば、微笑ましく思えたであろう光景ですが……これから別行動することを考えると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。

 そんな気持ちを振り払うように、わたしはぶんぶんと首を振りました。守り人の役目だって大切なのに、こんな後ろ向きなことばかり考えていてはいけませんね。里と、里で暮らす大切な人たちを守るためですから、ちゃんと切り替えないと。

 お姉ちゃん、頑張りますよ!




 そう決意したはずなのに……朝食を終えて見回りに出発しようとしている今、わたしの心は激しく揺さぶられています。はい、現在進行形です。


「ナーニャちゃん、夕方頃には戻るから手を放してほしいの。いい子だから、ね?」

「……っ!? あぁう……ふぇえええんんっ」


 それは、ほんの少し前の出来事でした。

 荷物を背負い玄関へ向かっているわたしに気づいたナーニャちゃんが、信じられないものを見たような表情を浮かべ……慌てて縋り付いてきたのです。

 ナーニャちゃんは、同年代のエルフと比べて非常に聞き分けの良い子です。その上、昨日ナナシちゃんが出掛ける際には素直に見送っていましたから、この反応はまったくの予想外でした。


 困り果てたわたしは、ナーニャちゃんの後ろに立っているナナシちゃんに援護を求めます。


「助けてナナシちゃん! このままじゃ、わたしの決意が崩れちゃうぅ」

「ナーニャ、お前……オレのときは、そんな風に取り乱してくれなかったのに……」


 あぁダメです。ナナシちゃんはナナシちゃんで、激しくダメージを受けている様子です。心ここに在らずといった状態で、頼れそうにはありません。

 こうなったら、自力で何とかするしかありませんね。う~ん、どうすれば…………ええい!


「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて?」

「うぅうう……ひっく、ひっく」


 迷った果てにわたしが取った行動は、泣いているナーニャちゃんを抱きしめることでした。

 わたしに拾われたことで、ようやく孤独から脱した彼女の境遇を考えてみれば、わたしと離れることを不安に思うのも不思議じゃないですよね。

 だったら……わたしが今できることは、ナーニャちゃんをギュッと抱きしめて安心させてあげることだけでしょう。


「わたしはナーニャちゃんの家族で、お姉ちゃんなのよ。だから、貴女を傷つけたり、ましてや放ったらかしで消えたりなんて絶対にしないわ」

「ぐすん……ーー? ーーーー?」

「安心して? 大丈夫よ」

「ーーーー……ん」


 言葉こそ通じませんが、わたしたちにとってそれはもう障害ではありません。だって、心はたしかに通じ合えていますから。

 泣き止んだナーニャちゃんの頭を撫で、わたしは改めて声を掛けます。


「お姉ちゃんはナーニャちゃんや里を守りたいの。だから、そろそろ行ってくるね。ふふ。今夜はまた三人で一緒に寝ましょ」

「んんん……いっーーーー!」


 天使が降臨しました。この子、可愛すぎます!

 今の今まで泣いていたので、瞳は潤んだままなのですが……それを打ち消すように、満面の笑みを浮かべています。しかも、昨日同様に「いってらっしゃい」まで添えて。なんて健気なんでしょう。

 これはもう、さっさと見回りを済ませて、ナーニャちゃんのもとへ帰ってくるしかありませんね。




「なんで……なんで取り乱すのはフー姐のときだけなんだ……ナーニャ」


 ……ドンマイ、ナナシちゃん!

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