名前が判明しましたが、何か?
昨日起こった出来事をひと通り説明し終え、わたしはふぅ、と一息つきました。
それをじっと聞いていた里長は、何やら険しい表情を浮かべています。
「なるほどのぉ、この娘っ子にそんなことが……」
「はい。それで、里長に相談なのですが……この子を里に住まわせても構いませんでしょうか?」
「それは、もちろんじゃ。大体、こんな幼子を追い出したとなれば、エルフの里の名折れじゃしの」
里長がそう答えることは初めから分かっていましたが、それでも実際に答えを聞くとホッとします。まずは一安心です。
もっとも、仮に里長が首を横に振っていたとすれば、首を縦に振るまで
「うにゃあ!? おぬしよ。さっきからちょくちょく妖しい視線を向けてくるのは、心臓に悪いから止めてくれんかの……」
「はて、なんのことでしょうか?」
意外と察しがいいですね、このロリババア。伊達に400年以上生きてきたわけではない、ということでしょうか。とりあえず惚けておきましょう。
一方のナナシちゃんは、話がまた長くなりそうだと判断したのか、わたしたちの会話に対して完全に興味を失っているみたいです。
そんなナナシちゃんが向ける視線の先には、表情をころころと変化させながら何か考え込んでいる様子の、天使ちゃんがいます。それを見つめるナナシちゃんの顔は、一見すると平静を装っているようにも見えますが……よく見ると、口元が若干緩んでいます。妹煩悩なお姉ちゃんへの道を、着実に歩み始めていますね。そんなこと、ナナシちゃん本人に言ったら殴られそうですが。
「ナナシの奴も、すっかり優しい顔を浮かべるようになったのじゃな」
「そうですね、里長」
「……まさかとは思うが、おぬし、ナナシがこのようになることも見据えた上で、娘っ子を育てるなどと言い出したのかの?」
「いえいえ、そんなまさか。天使ちゃんがただただ可愛すぎただけですよ」
「うむ……おぬしはそういう奴じゃったな。もう歳かのぉ、的外れな邪推をしてしもうたわい」
まあ、歳なのは間違いないですね。実際、400歳を超えてるんですし……
それと、妹のことを第一に考えるのは、姉として当然のことですよ。ただ、そういうことは敢えて言葉にされると恥ずかしいものなので、できれば触れないでほしいです。
そんなことよりも、里長に相談しておきたいことがありました。
「先ほどもお伝えしたように、天使ちゃんは言葉を理解していません。これから少しずつ、言葉を教えていくつもりではありますが……ちゃんと覚えてくれるのか、少し不安です」
わたしは、内心で抱えている不安を正直に吐き出しました。何だかんだで、最も頼りになるのは里長ですからね。
「何か都合の良いことを考えておる気もするが……まあ良いわ。そのことに関してじゃが、どうやらこの娘っ子、言葉の一切を理解しておらぬわけではなさそうじゃぞ?」
「えぇ!? それはどういうことですか、里長っ」
思わず里長に詰め寄ります。一体、何を言っているのでしょうか。天使ちゃんは、人間がエルフの言葉を学習させなかった所為で、意思疎通ができないのでは……?
「たしかに娘っ子は、我々エルフが使う言語を理解しておらん。じゃが、何かしらの言葉自体は発しておるようじゃぞ」
言われてみれば確かに、わたしが話しかけたときには毎回、天使ちゃんが何かを言い返していたように思います。
そもそも天使ちゃんは人間のもとにいたのですから、彼らの使う言葉を自然に習得していたとしても特別不思議ではありません。何故その可能性に気がつかなかったのでしょうか。恥ずかしい限りです。
「そうなると、天使ちゃんは人間の言葉を使っているのですね? であれば、わたしが人間の言葉さえ学べば、天使ちゃんが何を言っているのか分かるということですよね!」
「……残念じゃが、そう簡単な話でもないようなのじゃよ」
「えっ……?」
里長は、またまた何を言っているのでしょうか。よく分からないです。
「儂も大概長く生きてきたからの。人間の言葉を含め、それなりの言葉は見聞きしてきたつもりじゃ。しかし、娘っ子が話しているような言葉は、聞いたことがないのじゃ」
「それってつまり……」
「少なくとも、この辺りの国で人間が使っている言葉ではないの。一体、どれほど遠い場所からやってきたのじゃろうか……正直、見当もつかんわ」
信じられません。里長の言っていることが正しいなら、天使ちゃんはどうやってあの森にやってきたというのでしょうか。
ですが、里長が適当なことを言っているようにも思えません。上げて落とされたということもあり、わたしの心は重く沈み始めていました。
「分かんないことは、どれだけ悩んでも分かんないよ。そんなことで悩むよりも、オレたちには確認すべきことがあるんじゃないのか?」
「確認すべきこと……?」
いつからか会話に加わっていたナナシちゃんの発言で、場の空気が変わります。
「名前だよ、こいつの名前。どれだけ離れた異国の言葉だろうが、言葉の概念自体を知っているのなら、名前くらい持っているんじゃないのか?」
「うむ、たしかにのぉ」
あぁ、それは盲点でした。さすがはわたしの愛しい妹です。冴えていますね。
わたしたちの視線は、天使ちゃんに注がれます。その視線に天使ちゃん自身も気がついたようで、おろおろと戸惑いの表情を浮かべています。
そんな天使ちゃんが堪らなく愛おしくて……早く名前を呼んであげたい、そんな想いで胸がいっぱいになりました。
「ねえ、あなたの名前を教えて?」
わたしは堪らず天使ちゃんに話しかけました。当然ですが、天使ちゃんは困ったような表情を浮かべます。むむむ、言葉が通じないというのはもどかしいですね。
ならばと、わたしは身振り手振りで意思疎通を試みます。
「あなたの、名前は?」
何度も天使ちゃんを指差し、あなたのことが知りたいのだとアピールします。
けれど、天使ちゃんには意味が伝わっていないようです。天使ちゃんの中でどんどんと戸惑いが深まっていくのが、手を取るように理解できます。
お願い、通じて……! そんな想いを込めて、何度目か分からない問いかけをした瞬間、奇跡は起こりました。
「ナ、ナあにゃ……?」
天使ちゃんが、問いかけに応えてくれたのです。強く想えば心は通じ合えるのだと、わたしは理解しました。ナナシちゃんと里長も、驚いたような表情を浮かべています。
「今、答えてくれましたよね……ナァ、ニ……ナーニャって」
「ああ、間違いない。ナーニャだ……!」
「ナーニャ……そうか、愛らしい名前じゃな」
天使ちゃん……いえ、ナーニャちゃんのことを、ようやくひとつ理解してあげることができました。その事実に、わたしは歓喜する気持ちを抑えられません。
わたしとナナシちゃんは顔を見合わせ、喜びを噛み締め合います。
「天使ちゃんの名前は、ナーニャちゃんっ」
「これからはオレたちも、ちゃんとナーニャって呼んでやらないとな」
盛り上がるわたしたちの陰で、肝心のナーニャちゃんが目元に涙を溜め始めていましたが……それに気がついたのは、ナーニャちゃんの我慢が限界を超え、泣き声が響き渡ってからでした。
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