思考を放棄しましたが、何か?

 これは確実に超えちゃいけない一線を越えてしまったね、うん。

 いつか元の身体に戻ることができたなら、すぐさま交番へ出頭しよう。女の子の下着を身につけてしまったボクの罪は重い……


 後悔と自責の念で押し潰されそうになっているボクを尻目に、二人のエルフが問答を交わしていた。

 そういえば、エルフの数え方ってで合っているのかな? 正しくはとか? いや、匹はさすがに失礼な気がする。尖った耳を除けば、普通に人間の女性と変わらないんだし。

 さて、片方はボクをここまで連れてきてくれたお姉さんで、もう片方は……こちらも耳は尖っているけど、肌が褐色のエルフさん。たしか、ファンタジーな世界とかだとダークエルフって呼ばれてるんだっけ。ふむふむ、ボーイッシュな雰囲気を纏っていて、お姉さんより野性味を感じる。


 二人がどんな話をしているのかボクにはちっとも理解できないので、こんな風にどうでもいいことばかり考えてしまう。

 ……いや待てよ。いくら言葉が分からないからって、呑気に呆けていて良いのだろうか。この状況から察するに、二人の話題は十中八九、ボクの処遇についてだ。

 つまり、この問答によってボクの運命が左右される可能性がある。怪しいから尋問しようとか、殺してしまおうなんて方向に話が進んでしまったら最悪だ。そうでなくても、やっぱり捨てるべきだという結論に辿り着く程度なら十分にあり得る。少なくともボクだったら、こんな怪しい幼女を身近に置いておこうなんて思わない。

 ましてや、初対面で泣き喚いた挙句にお漏らしするような奴だぞ。考えれば考えるほど、悪い未来しか見えてこない。


 慌てたボクは必死に耳を傾けるが、やはり何ひとつ分からない。分からなさすぎて、思わず首まで傾げてしまう。

 そんなボクを見たお姉さんが、くすりと笑って目を細める。ちょっとちょっと、何さ。もしかして今ボク、哀れみの表情を向けられた? やっぱり捨てられてしまうのだろうか……

 後生だから、さっきの森に捨てるのだけは勘弁してほしい。こんなボクで良ければ、何でもするからさ、お願いだよっ。そんな思いを込めて、お姉さんのスカートをぎゅっと掴む。


 ダークエルフさんが何か呟いたと思えば、またもやお姉さんがこっちを見て目を細めた。今度は口元をニヤつかせている。嫌な予感しかしない。

 くそぅ……また涙腺が緩んできた。今日これで何度目だよ、まったく。

 

 もはや、なりふり構っている暇はない。言葉が通じない以上、表情で訴えかけるしかないだろう。涙で潤んだ瞳のまま、全力でお姉さんに視線を送る。お願い、ボクを助けてください!

 しかし虚しくも、ボクの必死の訴えが通じた気配はなく、二人は再び問答を交わし始める。語調から察するに、今度は何か言い合っている様子だ。


「…………!?」


 お姉さんが発した声の大きさに、ボクは思わずビクリと反応してしまう。ぐすん。知らない世界、めちゃ怖い。

 そして、何なんだこの緩すぎる涙腺は……すでに先ほどから涙腺が緩んでいたというのに、更に衝撃が加わったことでダムが崩壊し始めた。


「……ぐすっ……ううぅ」


 ダークエルフさんが、哀れむような表情でこちらを見ているが、一度崩れたダムを塞き止めるなんてことは不可能だ。


「ふぇえええんんっ」


 情けないボクの泣き声が、部屋中に響き渡る。何やら感情もぐちゃぐちゃでまとまらない。

 辛い。恥ずかしい。怖い。不安だ。あらゆる感情がごった煮になっていた。


 しばらく泣き叫び続けた後、涙すら枯れて疲れ切ったボクに眠気が再来する。

 こんな状況で寝て堪るか。次に目が覚めたら、あの世にいるかもしれないんだぞ。

 そう思いお姉さんの方を向くが、何やら心ここにあらずな様子で、無我夢中に語り続けている。

 ぐぬぬ……理解できない言葉の羅列なんて、睡魔を呼ぶ呪文か子守歌にも等しい。

 あぁ、これはもう無理だな。ボクは思考を放棄して、深い眠りの世界へと沈み込んでいった。

 




「……とまあ、そんなことがあったわけなのよ」

「いや、冗談抜きで回想が長すぎるっての!

 ほら見ろ、こいつも眠っちまったじゃないか」


 これまでの経緯を語り終えたわたしは、何やらひどく疲れた様子でツッコミを入れている、ナナシちゃんの方へ向きます。

 そこには、ナナシちゃんの膝の上で無防備に寝る天使ちゃんの姿がありました。


 わたしは思わず天使ちゃんに抱きつこうとしましたが、それをナナシちゃんの右手が妨害します。

 なんですか、ナナシちゃん。もしかして天使ちゃんの寝顔を独り占めにでもする気でしょうか?

 いくら可愛い妹であっても、そのような横暴は許されません。天使ちゃんを拾ったのは、わたしなんですからねっ。


「いや、そんなんじゃないから。床で寝かせたままにもできないだろ……?」

「むぅう。そういうことなら、仕方がないわね。渋々だけど納得してあげるわ」

「なんで渋々!? はぁ……とにかく、起こしたら可哀想だから今はそっとしておいてやれよ」


 そんな風に言われてしまっては、引き下がるしかありません。わたしが諦めて腰を下ろしたのを確認し、改めてナナシちゃんが問いかけてきます。


「それで、こいつ……このエルフの子どもをどうするつもりだって?」

「うちの子にするわ」

「うわっ、返事が早いな!?」


 当然です。それ以外の選択肢なんて、存在するわけがありません。


「まあ、そう答えることは分かっていたし、フー姐が決めたことなら、オレに異論はないよ。ただ、こいつはアレなんだろ……」

「ええ。この子は言葉を理解していないわ。恐らく、人間から酷い育てられ方をした所為でね」

「っ……糞ったれ。いっそのこと、人間なんて滅んじまえばいいんだ」


 目の前で気持ち良さそうに眠る天使ちゃんが、言葉すらも理解していない。そしてそれは人間の所為なのだ。そのことを再認識したナナシちゃんが、人間への憎悪で表情を歪ませました。

 それはナナシちゃん自身の過去から考えれば、当然の反応でしょう。わたしだって同じ気持ちです。

 けれど今重要なのは、これからこの子の人生をどう導いてあげるか、なのではないでしょうか。

 わたしの想いを、改めてナナシちゃんに伝えておきます。


「わたしは、この子を妹として迎えるわ。そして、辛い過去なんて忘れてしまうくらい、幸せにしてあげる。そう決めたの」

「……わかった。なら、こいつはオレにとっても妹だ。よし。大事な妹のために、できることはなんだって協力するよ」

「ありがとう、ナナシちゃん。あっ……でも、この子を一番可愛がるのはわたしよ?」

「……最後の一言で、全部台無しだからな!?」


 とっても大事なことですからね。釘を刺さないわけにはいきません。


「もしかして、こいつにとって目先の危険は、フー姐の存在なのかもしれないな……しゃーない、オレが守ってやるか」


 何だかんだ言いながら、新しい妹ができてナナシちゃんも嬉しそうです。さっそく姉としての自覚も芽生えてきたようで、非常に頼もしいですね。

 ただ、わたしとナナシちゃんとの心の距離は、何故か少しだけ離れてしまった気がします。もちろん、本当に少しだけですが。わたしには全幅の信頼を寄せてくれていいのですよ?

 その想いを込めて、ナナシちゃんに抱きついてみましょう。


「ナナシちゃぁああん」

「しっしっ」


 ……なっ!?

 これから、両手にという姉として最高に幸せな生活が始まるはずなのに、何だかいきなり雲行きが怪しいですね。

 うーん、これって反抗期なんでしょうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る