9.佐藤の砂糖入りコーヒー(後編)

 この時期に出されるおしぼりはじんわり温かい。初対面の時は「温かいおしぼり」にビビったのだが、今ではこれが当たり前になっているのが未だに可笑おかしい。

「私、チキンカレーにしようかな」

 不意に聞こえてきた声にハッとする。過去の思い出に浸る時間は一旦お休みだ。

「おけ、私オムライス~」

 聞かれてもいないのだがとりあえず自分が選んだメニューも共有するのってあるあるではないだろうか。知らんけど。私は言っちゃう。こういう所が自己主張の強いところなのかな、それは嫌だな。

「すみませーん」

 私は手を軽く挙げて、丁度店長の方に戻ろうとしていた店員さんを呼ぶ。

 こういうとき、どういう風に声をかけるかには派閥があると思って生きている。堂々と声をかける人、申し訳なさそうに(そもそも「すみません」だから若干謝ってはいるんだよな)控えめに声をかける人、無駄に大声な人、十人十色に感じる。男子と一緒に食べる機会があって、男子が店員を呼ぶ機会があったら、どういう対応をするのか観察してしまうのは、私が創作者だからというだけではない自覚はある。

「はい、ご注文伺います」

「チキンカレー一つと」

「えっと、オムライス一つで」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 注文は、連れから言うことが多い。私がいの一番に注文したことは数えるくらいしかないのではないか。不思議なことだが。

 さっと後ろを振り返って去って行く店員をある程度見届けながら、マスクのために表情は見えないが、今のは真顔だったのではないかと推測してみる。マスク生活になってから、人の表情を推測することが癖になっていた。以前も人の顔色はまじまじと観察するタイプだったが、それはこのご時世でも変わらないようだった。ちなみに私は顔の半分が覆われた状態でも笑っていることがわかるくらいの満面の笑顔がデフォルトである。ついこの前も「あ、目から笑ってるね」と言われた。まあ、だからどうということも今のところないのだが、コミュニケーションに役立っているくらいだろうか。

「さて、じゃあ本題に入るか~?」

 店員を見届け終わった私から口を開く。本題に切り込む役は、私が担うことが多い。これは不思議でも何でもなく、私の性格に理由がある。

「好きな人、できたん?」

 まずは事実の確認と状況の把握が大切だ。前提条件という土台がしっかりしていないと後で話を聞きながら余計な確認をいちいち取ることに繋がる。

「そう、なんだよね」

 他人が聞けば歯切れが悪いように聞こえるかもしれないが、嬉しそうに笑っているところを見ると、恐らくこれは自分の感情に自信がないのではなく単なる照れだろう。幸せオーラが結構羨ましいぞこんにゃろう。

「えー、まぁじかぁー!誰だれ?」

「今受けてる対面授業で一緒の子なんだけど」

 ということは察するに同じ学部だろうか。同じ学部の友達ではなく私に相談するのはどうしてだったのだろうという気持ちにはなったが、もちろんそれ以上に嬉しい。疑り深いというか様々な可能性を想定してしまうのは私の癖だ。

「へー、かっこいいん?話が合うん?それとも何かイベントでもあったん?」

 きっかけが知りたい。相手がどんな人かよりも興味がある。どういう経緯があってどうして好きになったのか、結果ではなくその過程の方が興味ある。

「同じ授業で、私の前に座ってる人なんだけど」

 本当に些細で正直どうでも良いことなのだが、ここで好きな人を「子」ではなく「人」と表現する辺りに彼女の大人っぽさを見出してしまう。こんなことにまで突っかかってるから私は生きにくいんだと改めて実感する。

「授業受けてる姿勢がかっこいいな、から入ったんだよね。ぼんやりと見えるわけじゃない?だから漠然とそう思ってたの。『授業真面目に受けてる人』っていう認識、みたいな?いや、真面目に集中して授業は受けてたよ?対面だし尚更ね。けど、もう昨日一昨日くらい最近なんだけど、ふと気を抜いた瞬間彼が視界に入ってきてー、そのときに、バキュンよ」

 どうやら不意に打ち抜かれたパターンだったらしい。補足を交えながらたどたどしく話す口調に、彼女の春が初春であることが表れている。はあ、微笑ましい。

 ここまで話したところで、自由に一杯だけ選べるドリンクサービスが運ばれてきた。恋バナを中断してしおらしく座る。

「紅茶になります」

「あ、はい」

 相方がハッキリと答え小さく手を挙げる。思えばこの、手を挙げて自分が注文したことを示す動作も幼い頃からの習慣だ。もしかしたら、家庭によってはこの習慣がないところもあるかもしれない。

「コーヒー、ブラックになります」

 二人組なのだから自ずと私に決まるわけだが、それでも返事と挙手は反射で出る。返事はかき消されそうなほど小さいものとなったが、それでも、無言で店員が差し出してくれるのを待つという選択は、申し訳なくてしない、できない。

「サトウノキッサ」、それがここの店名だ。私は最近ブラックコーヒーにはまっているし、入れてもミルクのみ派ということに気づいたため、ここで砂糖とはあまり縁がないのだが(無論スイーツは頂く)、スティックシュガーの包装紙を見つめながら「佐藤の砂糖入りコーヒーかぁ」なんてしょうもないことを思うのだ。このしょうもないギャグだか何だかわからないことを思いつくのは、父が幼少の頃からこういうことばかり言う人だったせいだと思っている。嫌いじゃないけど。ただし同世代の友達には通じにくいというハンデ付き。わかってくれる友達は神か天使かと軽率にあがめる。

「ブラックコーヒー?すごいね、私なんも入れずには飲まないかなー。飲めないって言っても間違いじゃないかも」

「ミルクと砂糖だったらやっぱり砂糖入れる?」

 何が「やっぱり」なのかに明確な根拠はない。そんなものだろうが。

「そうだね、やっぱり『甘くする』って思うと砂糖だって思うよね、単純だけど」

 ふふっと笑う彼女は普通に可愛い。全然余裕で彼を落とせるんじゃないかと思うのは同期で友達の贔屓目だろうか。もっとも、彼の方にすでに彼女がいる可能性もゼロではないのだが。本題の冒頭だけでも良い人っぽいことは伝わった。授業をまじめに受けているだけで大学生の中では「偉い」部類に放れる。

 砂糖を選ぶことに関しては安直だよな、と率直に思ったものの、そういうもんだよね、とどの立場からかわからない諦念が湧いた。

「でもミルク入れたら飲めなくはなくなる、って感じ?」

「そうだねー、何も入れないのはちょっとあれだけど、ミルク入ってるならまだいいかもー」

「そかそか」

 選ばれたのは、砂糖でした。でもミルクは、選ばれなかったけど、「大丈夫」ゾーンに入っているみたい。選ばれないけど常にそこに当たり前にいてくれる存在って、かなり大事だからそのポジションは全然悪くないと思う。むしろそれがあってこ初めて優勝成立だ。


 砂糖がなくても、ほんわり甘い。包むような優しさや安心できる安定があってみんな飲んではくれる、拒絶はされない。そんな毎日を構築すべく、私は今日解散した後も、そのあとやってくる夜も、明日も、明後日も、来週も来月も奮闘するのだろう。自分との小さな小さな戦いの果てに、「素敵な暮らし」と「豊かな人生」を夢見て。

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