8.佐藤の砂糖入りコーヒー(前編)

 ブラックコーヒーに最近はまった。「ハマった」のではない、「まった」のだと思う。コーヒーが好きだという人間には何種類か人種があると思う。種類が違うというよりは、大枠の中で何種類かに分けられるイメージであるため、派閥争いの勃発は控えてもらうこととする。

 単純に、素直にコーヒーが好きな人、もう言葉そのまま。むしろこの人種と「その他」でもいいかもしれない。

 回りくどいことをずらずら並べたが、要するに私が言いたいのは、「コーヒーが好き」には色々諸々含まれている場合が多いのではないかということだ。これは、その人がコーヒーに何を求めているか、何を見ているかによって変わるのではないだろうか。

 説明の本題に入ろうとしたところで目的地に着いてしまった。古いことが一目でわかるこぢんまりとした店は、ザ・喫茶店と形容するのが相応しいと思う。茶色ベースでカラーリングされた外装は、壁の下側に少しだけ煉瓦れんがが付いていて可愛い。さらっつらっとした触り心地のいい素材ではなくざらざらと肌を傷つける壁材が良い味出してるな、なんて心の中で偉ぶって論評してみる。外に出て控えめに主張している黒板上の立て看板がまた好きなポイントで、手書きのメニューと呼びかけの台詞が愛らしい。あの店長が描いているとはとても想像し難いと毎度思う。

 待ち合わせ場所に待ち合わせ相手が遅れてやってくるのは珍しいことでも意外なことでもにため、あ、想定内だなで一蹴する。私自身時間に敏感なわけではないので別に構わない。電車やバスの時と同じである。来るのであればそれでいい。アメリカなんて、時間に遅れるどころか平気で「やっぱ着くの止めました」と言う。あれは心底止めてほしいと、疲れきったあの夜は憤ったものだ。

 カランカランという定番の鐘音を奏でて入店する。一瞬目線が集まる(気がする)この瞬間が苦手で大手チェーン店には入りづらいというか入れないのだが、こういう店は心持ち気が楽だ。人が少ないときもあるし、常連さんであれば話に夢中だったり、入ってくる客を気にしていなかったりすることが多い。私なんて気にもとめない雰囲気に救われる。もっとも、今日はもう一つ気楽な理由が隣にいるのだが。

「佐藤さん、こんにちは」という言葉が口を突いて出ることはなく、会釈一わんぺこりで許してもらうことにする。行きつけのコーヒー店、なんて言えたらかっこいいし憧れるのだが、そんなに頻繁に出先で金を落とす余裕はない。仮にバイトをしていてもそんな余裕はないと思う。そう、「行きつけ」というのは経済力の暴力ではないか、なんて私は常々思ってしまうのである。それでもこうしてちょくちょく来ることができているのでまあ良しなのかもしれない。もう一つ「行きつけ」に対する偏見を述べると、「一人でよく来る」イメージが強い。今日の私はまたしてもそんな「行きつけ」を壊しにかかっている。隣の友人がその理由だ。「仲が良い」うちに入る同期である。彼女は私が初秋に止めた馬術部の同期で、さっぱりとしたがさつな性格に何度か救われたことがある。

 事の経緯を語ると、彼女の相談に乗ることになった。相談に乗る、なんて面と向かって行うのは初めてと言っても過言ではないので少しそわそわしている。普通は何かしらの雑談の中で流れてくるものなのだが、今回はわざわざ「相談に乗ってくれ」とLINEが飛んできた。飛んできたのは昨日の午前中、多分彼女の部活動が終わったタイミングで送ってくれたものと予想できる。馬術部の朝は早い。毎朝毎朝六時に馬房に集合し、馬の奴隷と化す。馬術部について興味がある日人は多いかもしれないが、話が大幅に逸れるのでまたの機会にしておく。

 LINEによると、彼女にとうとう春がやってきたそうだ。馬術部の誰かに話すと一瞬で噂が拡散されるため、今は外部の人間となった私に吐き出したいのだという。理由を受け取ったときになるほど合点がいった。あそこはそういう場だった。特に歩くスピーカーとなっている一個上の先輩は情報拡散の鬼だった。活用次第では楽だが一歩使い方を間違えると地獄と化す。歩くスピーカーは実在するのだと初めて知った。先輩、貴重な人生経験をありがとうございます。幸い、春もなければ後ろめたいこともなかったので被害に遭ったことはないが、目の前で洗礼を受けた先輩や同期は沢山見た。ご愁傷様の一言に尽きる。

 とりあえず適当な席に向かい合って座る。こういう店では自分で勝手に席を探して良いのだと、調子が良くて冒険できたあの夏の日に勉強した。あの時期はメンタルが不安定で、良い方向に波が振り切ったタイミングで一人、開拓旅に出たのだった。近所の喫茶店やお菓子屋さんを開拓していこうと決心して家を飛び出し、刺すような日照りの中ずんずん歩いて行った。全然へっちゃらな顔をして、渦巻いて体を震わせてくる不安をマスクの中に隠していたのが懐かしい。結局結構迷ってようやく目当ての喫茶店を見つけた。さっきみたいに鐘を鳴らして入った先で待っていた物語は又の機会に語ることにする。私は、ファミレスのように「案内される外食」が多かったので、店員に放置されるとただ呆然と突っ立ているしかなくなってしまう。そんなときは例外なく情けなくなって泣きたくなる。弱っちいなと思うが、それが紛れもない正直な感情だ。正確には、「案内される店」ばかりではなかったのかもしれない。思い出そうと思えば「案内されない店」も簡単に思い浮かべることができる。それでも不慣れだと感じるのは、両親に任せっきりだったからだろう。いつまでも幼き日のままではいかないことを痛感する。でも、そんな、こんな小さな社会勉強を積み重ねていって、徐々に大人になっていくんだなと思う。

 一人だけで客をさばいているウェイトレスさんが水とおしぼりを運んできてくれた後、各々メニューを開く。三人や大勢で来るとメニューの見方に少し困るが、今回は二人っきりなので一人一メニューで済んで楽である。私が少人数でつるみたいのは、やっぱりこの気楽さを求めるからだ。


 彼女より先に決めてしまったメニューをぼうっと見ながら、騒がしい同期会の景色を想起した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る