6.盲目タッチ

 首を労うためにも、ブラインドタッチができるようになりたいと常々思ってはいる。できるようになるためにタイピングの練習をしてみたこともある。でも熱意があまり続かなかった一例になってしまった。朝散歩やシャワー中のボイトレのように。

 叔父からお下がりのスマホ(正確にはiPodタッチ)を貰ったとき、ローマ字入力のまま使っていた。それが若い世代、特に小・中学生では珍しかったことを知ったのは中学生になって始まった「技術」の授業だった。タイピングの授業で先生から声がかかってクラス全員への画面共有を通してタイピングゲームを公開プレイさせられた。目立ちたがりの私にとっては「させてもらった」という表現の方が正しいかもしれない。

 人前で良い意味で目立つことは怖いことである。嫉妬やひがみにあてられることを想定していないと、奇襲してきた悪意に通常以上のダメージを負う。ゲームで、いつも楽勝に倒す敵に不意を突かれたときの痛手と同じだ。条件反射で受け身を取れるようなトレーニングを日々積んでいるわけではない。

 その一件から、タイピングに日頃触れている人は多いわけではないことを知った。大学生になった今では一層実感しているところである。周りはレポートや小テストの際に文字入力にも苦戦しているのだ。先輩も「入学したての頃はパソコンにも慣れてないからね」なんて擁護を並べ立てる。そして「社会人になってから嫌でも慣れるもんだから、将来の心配なんてしなくて大丈夫だよ」なんて言いいながら爆速でキーボードを叩くのだ。先輩の甘い助言というのは、半信半疑に思っておくくらいが丁度良いというのが持論である。後輩とは言え結局は他人事な彼ら彼女らは、こちらから聞かない限り、あるいは聞いたとしても、突き詰めた、刺すような助言はそう返ってこない。社会人間では知らないが、学生間ではそんな気がしている。「まっ、大丈夫だよ、なんとかなるよ」がその代表例だと思う。

 ということでタイピングは早くからできているに越したことはないと思う。ただでさえ様々なことに心を砕くことがわかっているのに、自分のタイピング技術にまで気を取られている余裕はきっと私にはない。ニュートラルスタンス、とテニスだったら言うのだろうか、タイピングにおける基本の指の位置というものがあるが、私はまだその状態では打てない。矯正しようと奮闘した時期もあったのだが、今となっては面倒くさくなってしまっている。基本姿勢というのは理屈条でも筋が通る最も効率的な姿勢を指すことはスポーツの経験上わかってはいる。そして、慣れた頃に癖を正すことの難しさと葛藤も知っている。今の状態から一度下手くそに落とされてそこから上っていく作業は途方に暮れる苦行である。乗り越えた先は極楽だとわかってはいるもの、道中の地獄を抜けるには相当の根性を要する。そしてその間作業効率も落ちるため、機会を逃すとなかなか向上心を保てなくなってくる。私が継続する力は崇められるべきだと信じている所以ゆえんはここにある。

 ブラインドタッチに挑戦する過程で調べ物をした。やはり正しいトレーニング方法を知り、それを実践することが一番の近道である。そのとき初めてキーボードの「F」と「J」に付いている横棒状の突起物の意味を知った。これはタイピングの基本姿勢をとった際に各手の目印となる凸だったのだ。これに触れているのであればあなたの手の位置は正常ですよと知らせてくれる存在だったのだ。この発見をした時は、はたから見ればおかしな話だろうが感動した。何事にも、どんな小さいことにも意味が込められているんだなとまで感じたものだ。


 そんなことを考えながら公式の手の使い方で千五百字を書く朝である。

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