第2話ねこのこ
いつまでも変な猫の相手なんかしていられない。早く行かなくちゃ。
私は
両側は見渡すかぎりの田んぼだ。今は春。まだ田植えには早いらしくて、稲は植わってなかった。
「ところで、おまえは、何て名前だね」
道ばたに、さっきの猫がすわっていた。
「おどろいた、ついて来ていたの、しらなかった」
「なんだと、ついて来たんじゃない」
猫は、もう一度毛を逆立てそうになって、途中で思いとどまったようだ。
「ふうっ、子猫を相手に、本気になってもしかたないな」
口の中でもごもご言いながら、私の前に歩いてきた。
「子猫じゃない、私。人間の子だよ」
「お前が、人間だって」
「そうよ、私、人間の女の子だもん」
「まあね、そう思いたいなら、思っててもいいよ」
猫はうたがわしいというように、私を見上げた。
「まあ、いいさ。そのうちわかるから。それよりも、さっきの質問に答えてないよ、小さい人間、何て名前だね」
なんだか、頭にくる猫だな、こんな猫に名前まで教える必要あるかな。
「どうして私の名前が知りたいのよ、あなたに関係ないでしょ」
「関係あるさ、この
「むかえに、私を?」
「そうさ、そうじゃなかったら、よりにもよってこんな大事な日に、こんなところにいるわけがない」
「なんだか、よくわからないけれど」
「わからなくていいさ、はやく名前を言え」
猫が命令した。
えらそうな言い方だなあ、猫のくせに。
「くせにとは何だ、年上に向かって」
私、思っただけで、言葉にしていないのに。名前を教えれば解放してもらえるかもしれない。
「じゃあ、言う。私は
「なるほど、やっぱり」
「やっぱりですって?」
「やっぱり、猫の子じゃないかね」
「ちがうわ、私はミネコ。そりゃあ、赤ちゃんの時はネコちゃんって呼ばれてたけど、今はもう、そう呼ぶ人は少ない」
猫は私の抗議を聞いているんだか、いないんだか、大あくびをして毛づくろいをはじめてしまった。
ホントにもう、ばかばかしい、こんな猫を相手にしていてもしかたないね。先を急ごう。
あ、あった、あった。ここ覚えている。つきあたりが大きな生け垣のお家で、右側にトタンで囲った倉庫がある。
ここを右。さあ、最初の曲がり角を曲がった。
田んぼが終わって桜並木に変わっていた。残念なのは、もう夕方になってしまったこと。まわりが明るかったらどんなにきれいだったか。
薄暗い中に満開の花が、ぼんやりと白く浮かび上がっていた。道の両側から枝が張り出していて、花のアーチのように見える。
「こんなにきれいなのに、お花見する人がいないのね」
これほどまでに見事な桜なら、評判になってもいいはずなのに。ここに住んでいる人は見なれてしまっているのかな。
大人って、夜に桜の木の下でお酒を飲むのが好きだと思ったけれど。そういえば、誰も道を歩いていなかった。
前に来た時は、会う人会う人みんなが、母さんの顔なじみみらしくて、ごあいさつするのが大変だったんだけど。
おばさん達って、どうしておしゃべりが長いのかしらね。
「おい」
声がした。
桜の木の根元に、さっきの猫がすわっていた。
「なによ」
「こっちへ来い」
あい変わらず威張っている。
「用があるならそっちこそ、こっちへ来れば」
「こっちだ」
猫は私がついてくるのをうたがようすもなく、先に立って歩き出した。
「私はおばさんの家に行かなくちゃならないの。あなたにつきあってはいられない」
「いいものを見せてやる」
猫はそれだけ言うと、さっさと木の裏側へまわってしまった。
しょうがないな、道草している時間はないんだけど。
でも何を見せてくれるというのかしら。別に無視してもいいんだけど……… 好奇心の方が勝ってしまった。
「待って」
私も猫の後について、桜の木の向こう側へまわってみた。
そこには、丈高い雑草に隠れたあぜ道があった。大人では通れないかもしれない。おそらく猫だけが知っている道なのだろう。
湿っぽい草が足をぬらすので、少し気持ちが悪かったけれど、どんどん歩いていく猫の後を見失わないように、追いかけて行った。
猫はでっぷりとした体つきにしては身軽で、小走りにしていかないと見失ってしまいそうだった。
それに持っている手提げ袋が重い。
何が入っているのかはわからないけれど、さっきよりずいぶんと重たく感じられる。
「ねえ、猫さん」
私は息を切らせながら声をかけた。
「なんだ?」
「あのね、もうちょっと、ゆっくり歩かない」
「嫌だね」
「えーっ、どうして」
歩みを遅くしてくれるのを期待していた私は、あきれて声をあげた。
「私は猫じゃないんだから、そんんなに早く歩けないわ」
「歩けるよ、おまえは子猫だもの」
「違う、さっきも言ったでしょう、私は人間の子だわ」
「何とでも言うがいいさ。子猫を甘やかすのは良くないんでね。はってでも転がってでもいいからついておいで」
「そんなぁ」
「ほら、行くよ。もう少しだ。あのやぶを越えれば着くからね」
どうやら猫ははげましてくれたらしい。いくぶん私をなだめるような口調で言った。
「
どこかで声がした。
「おや、セッカチかい。どうしたんだ」
セッカチと呼ばれた猫は、カサカサ草の間から出てくると、首を曲げてチョコンとおじぎをした
。
まだあどけない子供の猫のようだ、赤いトラ猫だった。
「いやあ、あんまり遅いんで、みんな心配してるんです。それでオイラとこいつがようすを見に出てきたというわけ」
セッカチの後から、もう一匹、白と黒のまだらの猫が現れた。
「やあ、ぼうし猫も来たのか」
ぼうしと呼ばれるだけあって、ちょうど頭の部分が黒くて、ぼうしをかぶったようにも見える
「お久しぶりです、灰猫さん」
「久しぶり、二人とも元気そうでなにより」
灰猫は、私に話すのとちがう、優しい調子で言った。
「
灰猫は私の気持ちを読みとったように、ニヤリと笑ったように見えた。
「われわれは、
私は、あきれて返す言葉が見つからなかった。
気まぐれでわがままな猫の口から、
「気まぐれで、わがままなのは人間の方さ。我々がヤツらに振り回され、どんなに被害を受けていることか。
それにヤツらは自分が何でも知っていて一番えらいとかんちがいしている。おめでたいいというか、なんと言うか……」
「灰猫さん、早く行きましょう」
ぼうし猫が
「ああ、そうだった、人間のぐちをいいはじめると、きりがなくなってしまうな。
急ごう、夜が来てしまう」
二匹の子猫が、先に立って歩き始めた。
「さ、後からついておいで」
灰猫は私に命令すると、子猫たちの後に続いた。
やがて、せまい空き地に出た。まわりは杉の木立に囲まれていて、一面に白い花が咲いていた。
『しろつめ草だよ』と、灰猫は説明した。
あたりはもう、だいぶ暗くなっていた。
空には星ひとつ出ていない。あい色がかった闇の中で、しろつめ草がほんのりと光っているようにも見えた。
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