第7話 卒業式の後で

 あれからメイクの腕も上がったもんだ。

 今日、あたしは市立雨情学園を卒業した。

 卒業式が終わって、あたしは卒業証書を入れた筒を片手に校舎裏の木の前にいた。

 あたしの親友だった般若と隼人の消滅は、あたし以外の人間にとって、何かのバグだった様に痕跡を中途半端に残していた。あたしが二人の記憶を思い出したのはその痕跡のおかげもああった。

 般若と隼人のそれぞれの家族はちゃんとこの世に残っているが、家族の一員としての彼女と彼は忘れ去られていた。

 家には彼女と彼の自室や幼い頃からの写真が残っていたが、何故そんな部屋があるのか、家族はそれが誰なのかを論理的に説明が出来ないみたいだった。

 親友だったあたしの事を残された二人の家族は憶えていたが、家族の誰と知り合いだったのか、それが思い出せないでいた。

 学園でも常に一位の成績で幾人もの男をフッたかぐや姫だったり、喧嘩が強かったポンパドゥールの不良として学園の内外によく知られた二人、そして、あたしを混ぜた最強トリオの話は生徒、先生達の記憶からすっぽり抜けていた。

 勿論、あたしに対する記憶は残っている。しかし誰も般若と隼人の名前も風体も思い出せず、二人が使っていた教室の机は誰も座らないままでずっとぽつんと置かれていた。

 出席簿に二人の名前が残っているのに、誰もあたしが指摘するまで先生はその名前を読み上げなかった。ああ、そんな名前があったっけ、というところで皆の関心は消えてしまい、その名前に意味を見出そうとはしなかった。

 記録にはある。

 しかし記憶には残ってない。

 それが世界を離れるという結果だった。

 つまり精神的なつながりは断ち切れてぽっかりと穴をあけて断線していたが、物理的な存在証拠は消えずに残っていた。

 それでも皆は般若や隼人の事を思い出せない。

 あたしのスマホに残してある二人のフォトや動画を見せても、学園生徒に般若と隼人の記憶が戻る事はなかった。「ズッ友だよ!」と書かれたプリクラの写真を見せてもそうだ。

 相手の顔を見分けられなくなる相貌失認という脳の障害があるらしいが、まさしくその様にずばり般若や隼人の顔を直視させても他人の顔と区別してもらえなかった。個性という概念からして消えているのだ。

 世界中の人間が般若と隼人という存在に対しては相貌失認なのだ。

「あれ? こんな人いたっけ? 記憶にないなあ。いたとしても自分には関係ないよね」だった。

 スマホに登録してる番号で、般若と隼人のスマホにTELしてみた。

 あの消えた時の状況から二人は自分達のスマホを身に着けているはずだったが、つながらなかった。圏外だ。電波は二人のいる異世界の境界を超えられないのだ。

 メールもLINEも無意味だった。

 二人が消え、その影響を受けなかったものはないのか?

 実はそれはある。

 例えば、ずっと成績二位だった吉永君、あの般若に二度告白した眼鏡君は彼女が消えてからの試験には必ず一位を取るようになった。それまでは一位だった人物が消えたのを誰も気にしていないみたいだけど。

 吉永君自身もやはり般若を憶えてなかった。自分が二度も告白して、しまいには手を上げた美少女の事を。

 公園で告白してきたオタクの天狗坂もそうだった。

 恐らく今まで般若に愛の告白をしてきた男子は全てそうなっているだろう。

 彼らの中で過ぎ去った一大イベントは、彼らの過去の中に残っていなかった。全くの空白だ。

 こうして矛盾だらけに構成された『実相寺般若と玄上隼人のいなくなった世界』という概念はあたし、六郷薫子の記憶の中にのみ実体があって、他の人間には何もない無意味な時間の消失にすぎなかった。

 あんな個性だらけの人間二人が完全に過去と現在から消え去って、世界はギクシャクせずに回っていけるのか。

 いけた。

 七〇億人を超える人口がいる世界は、それでも強引に日常を回していけるものなんだ。

 三〇〇〇人に迫る生徒数を持つ市立雨情学園でも同じだった。

 般若と隼人がいなくなった空虚を唯一感じているあたしだが、二人がいなくなったからって人生が終わるわけじゃない。

 いつか二人はあっけなく戻ってくるのではないか、と一縷の希望にしがみつきつつ、あたしはあたしなりに日常をすごした。

 基本的に人づきあいのいいあたしは、寂しくない程度には級友と話を合わせ、友達づきあいをした。

 気軽に下ネタジョークを交わし合う仲として男子とも受けがよかった。ブッサーだから恋仲になんてなれないけどさ。

 親友がいない空しさは完全に埋められるもんじゃなかったけどね。

 といって引きこもりになるほど、あたしはナイーブでない。

 待っていても般若も隼人も帰ってこなかったけど。

 日が経った。

 あたしも学園内外の勉強をし、今ではすっかりメイクも上手くなったもんだ。

 雨情学園には社会へ巣立っていく為のメイクの授業があった。

 もう、あたしはブスではない。メイクをしてる限りはね。

 恋人はまだいないけど。

 あたしは色色と変わった。

 一番、非日常的に変化したのは額中央に般若と同じほくろが出来た事だ。

 正しく言えば、それはほくろではない。

 白毫。

 仏像の額にポツンとある、小さな毛が渦巻き固まってできたアレ。

 般若と隼人がこの世界を去る時に額に感じた熱さは、この白毫の出現だった。

 般若とおそろい。

 何故、般若があたしにこの白毫を与えたのか、はっきりいって解らない。

 これがあれば、あたしも彼女の事を忘れないだろうとでも思ったのか。

 まさか、これが般若の様に五〇cmもの角に育つとは思えないけれど、神秘的な印象を持つそれは確かにあたしのチャームポイントになった。

 色の白さは七難隠すが、あたしはチャームポイントが出来た事で異性に『気になる人』として扱われるみたいになったらしい。

 さっき恋人はまだいないと言ったが、それも変わりつつある。

 卒業式が終わって解散のこの時間に、あたしは同じく卒業した一人の男子生徒に呼び出されていた。

 告白の木。

 そんな恋愛ゲームかライトノベルみたいな物がこの私立雨情学園高校の裏庭に実際にある事を知ったのは、これだけ永い学園生活を送っていて、卒業式の今日が初めてだ。

 いや噂だけはかすかに流れていたんだけどね。都市伝説ってゆーか、学校の怪談ってゆーか。

 卒業式の日にここで告白し、結ばれたカップルはとこしえに幸せに結ばれる。

 ただし、フラれた者はそれからの人生、誰とも結ばれずに寂しく哀しい一生を送る事になる。そして必ず自殺する。

 後半が蛇足っぽいな。いかにも後から付け加えた作り話だ。

 でも前半も信じてる奴はいないよ。

 いたら、今、この木の周囲はこれから告白する恋人未満の卒業生だらけだ。

 現在、ここにいるのは二人きり。

 あたしと、あたしに告白しようなんて考えてる殊勝な男子生徒、元級友だ。

 一応、出番はこれだけだけどフルネームは明らかにしてあげるね。香坂倫吾。

 顔や成績は普通かな。

 卒業して大学の経済学部に行く事が決まってる文系君だ。

 経済学部に行くだけあって数式が読めるし書ける。あたしなんて数式が今もちんぷんかんぷんなのにさ。

 さて、こんな想いを浮かべながら、あたしのハートはそれなりにドキドキしてる。

 身体が熱っぽい。

 勿論、愛の告白なんて受けるのなんて隼人以来だ。

 今まで般若の傍で何十回も観覧していたけれども、自分がその対象になるなんて。今まではずっと他人事だったのさ。

 こんなシチュエーションに何十回も平気だったのか、般若。それだけで人並み外れたって事が解ってしまう。

 それにしても、よくあたしみたいなのに告白しようなんて気になったな、香坂君。

 いや、実はドッキリなんじゃないか。周りに酔狂な奴が隠れていて、あたしをからかって笑おうなんてのは充分ありえる。

 可能性としてはそっちの方が大きそう。

 ……いや違うか。

 香坂の顔はまるで今にも息が止まるんじゃないかってくらい、真剣だ。

 ヤバいなあ。あっさり受け流す様な態度をとってやると決めたくせにドキドキが止まらないよ、あたし。

 事前に考えた予定と違う。クールを突き通すつもりだったのに。

 春の風が吹き、木が揺れる。葉が騒めく。

 そういえば春一番級が吹き荒れるかもなんて言っていたな、天気予報。

「……あの、六郷さん!」

 あたしを名字で丁寧に呼ぶなよ。今までみたいに薫子って砕けた調子で呼びかけてくれればいいじゃないか。

「六郷さん! 解ってくれていると思いますけれど、俺はあなたの事が好きです! 大好きです! 恋人としてつき合ってくれませんか!」

 メイクをしてそれなりにある程度は綺麗になってるけれど、よくこんなあたしみたいなブスとつき合おうという気になったな。

 ってゆーか。何処を好きになった? 何故、あたしを選んだ? あたしくらいの女子なんかこの世に掃いて捨てるほどいるのに。

 下品でガサツなあたしなのに。

 でも、あたしの気持ちは今決まった。

 告白をOKしたい。

 でも……でも、でも……。

「あなたの告白はとっても嬉しいです。……でも」

 素直にOKって言えばいいじゃん。でも。

「あなたはぱんにゃんを憶えていますか? こことは異なる世界の戦いに身を投じる覚悟はありますか? 理を超えて正解をつかみ取る才知はありますか?」

 違う。そういうのは言葉で伝えちゃ駄目なんだ。

 でも、あたしはこれを言わなきゃいけないという気になってる。

 何でそんな事をする意味があるんだ。

 もしかして、これがあたしに起きる最後の告白かもしれず。そんな事を繰り返す意味なんかまるっきりないかもしれないのに。

「ぱんにゃんって誰ですか、それ」

 ほら、彼はぽかーんとしている。

 香坂君、君は君なりにとても素敵なんだ。……でもね。

「もし私を大事にしたいというのなら、この質問に答えてください」

 一人のかぐや姫として問いかける。

 きっと、この問題に答えさせるのには何の意味はない。

 あたし自身がこの質問の回答を得る事に何の益もないからだ。

 相手が正解と思えるものを答えてくれても、般若と隼人みたいな事が起きるわけがない。

 あたしは世界で特別な存在ではないからだ。

 無意味だと解ってる。

 でも……でも……。

「……あなたは線路の傍にいます。その線路は物凄いスピードで走ってくるトロッコがあります」

 あたしは般若と同じ質問を一言一句違わずに繰り返し始めた。その内容は般若の傍で聞き続けている内に暗記してしまってた。

 白毫が疼く。

 香坂は突然始まった質問にぽかんとしている。

 何か義務感みたいなものがあたしを突き動かす。

 違う。これはあたしの願望だ。

 誰か、あたしの質問に正解して。

 あたしの心の中にある本当の答を。

 あたしを般若と隼人のいる世界へと連れていって。

 でも。

 あたしの質問に正解出来たところで何が変わるというのだろう。

 あの時の様に荘厳な光や音楽の響きが始まるわけなんてないのに。

 般若が前世は巫女だったの比べて、あたしに前世があったとしてもせいぜい村人Aだろう。

 でも。

 あたしは般若と隼人を忘れ去る事が出来なかった。

 誰か、あたしを異世界に連れていってくれ。

「あなたはスイッチを切り替えて五人を助けますか? それともそのままトロッコを切り替えずまっすぐ進ませて一人だけ助けますか?」

 強烈な春風が吹き荒れ、壁の如く大量の桜の花びらが告白の木の下の二人に叩きつけられた。

 光り、うねる、渦の様に。


 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

般若(ぱんにゃー) -かぐや姫は「スイッチを切り替えますか?」と聞いてくる- 田中ざくれろ @devodevo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画