第6話 正体

 春の晴天の下。

 雲が流れ、消えては生じる。

 さわやかな風が吹く。

 金網に囲まれた市立雨情学園高校の屋上にはあたし、般若、隼人という三人の親友同士。

 今、その親友同士という関係が壊されようとしている。

 さあ、どうした、隼人!

 時限爆弾のスイッチは入っているぞ!

 般若は何の為に呼び出されたのかは解ってるのだろう。神秘的な笑みは確実に何かを待ってる。

 あたしに告白した時の度胸は何処へ行った、隼人!

「ぱ、ぱぱぱぱぱ、ぱんにゃぁ」

 裏返ってる隼人の声。ろくに眼を合わせていない。

 情けないぞ。

 その改造制服やポンパドゥールやリーゼントは伊達なのか?

 いい? この世界には二通りのものがあるの。

 かっこいいものとかっこわるいものだよ。

 盲目の老人につき従っている盲導犬はかっこいい。

 フラれて負け惜しみを言う奴はかっこわるい。

 今のお前も最高にかっこわるいぞ、玄上隼人!

 隼人は深呼吸し、意を決して口を開いた。「……般若! 俺はお前がずっと好きだった! 恋人にしたいっていう意味で好きだ! ……だから、俺の恋人になってくれ!」

 よし!

 一気に言い切ったな。なんか、お前、ちょっぴりかっこいいんじゃないか。

 般若は彼の言葉を真正面から受け止めた。

 隼人はあたしの方をちらりとだけ見た。彼の頬に汗が一筋走る。

 負けるな! あたしは精神的援助を惜しまないぞ!

 般若はそんな彼を見て、微笑を送り続けている。

 始まるぞ。

 数多の婚約者を蹴散らかした、かぐや姫の質問が。

「隼人、あなたの告白はとっても嬉しいです。……でも」

 般若のその態度は相手が小学生の時からの親友だろうと変わる事はなかった。

 あたしと隼人はゴクリと唾を飲む。

「もし私を大事にしたいというのなら、この質問に答えてください」

 かぐや姫が問いかける。

 きっと質問の内容はこれまでのものと変わる所はない。

 あたしの心臓がばっくんばっくん言っている。

 いわんや、隼人をや。

「……あなたは線路の傍にいます。その線路は物凄いスピードで走ってくるトロッコがあります」般若は一語一句違わずに繰り返す。あたしはその言葉が初めて聴くみたいに新鮮に聴こえた。「あなたは線路の分岐点で線路の切り替えスイッチの横にいます。線路のまっすぐ先には五人の人間が縛られていて、そのままトロッコが進めば五人は轢かれて死んでしまいます」

 隼人は緊張していた。

 眼が射殺す様に真剣だ。質問を語る為に形を変える般若の唇から離れない。

 やっばいなー、あたしもワクワクドキドキしている。人生の中で最高に数えてもいい時間だ。

「その線路は分岐路があって、あなたがスイッチを切り替えれば、トロッコは分岐路に入ります。しかし、その分岐路の先には一人の人間が縛られていて、トロッコがそちらに進めば、その一人が確実に轢かれて死んでしまいます」

 般若は言葉を溜めて、隼人へキメの微笑を送った。

「ブレーキはありません。あなたはスイッチを切り替えて五人を助けますか? それともそのままトロッコを切り替えずまっすぐ進ませて一人だけ助けますか?」

 強い風が吹いた。

 あたし達の前髪がさらわれる。

 隼人の両手は下に下ろされたまま、固い拳を握っていた。

 そして口を開く。

「……ぶっとばす」

 え?

「そんな悪趣味な質問を考えて、人間を試そうなんて考えた底意地の悪い奴をぶっとばす! 問題に答える以前の問題だ。質問を考えた奴をぶっとばして性根を叩き直してやるッ!」

 隼人は熱血の顔を般若に向ける。

 え、ええ? ええ?

 おーい、隼人。これはただの倫理学の設問なんだぞ。

 ちなみに言っておくとこのトロッコ問題を考えたフィリッパ・フットは女性だぞ。女性をぶっとばすのは趣味が悪いとあんた、昔に言っていたよな。

「それは質問の中の世界ではなく、その世界を超えた創造主を倒しに行くという事ですか?」

「ああ、そうだ。質問自体を破壊してなかった事にする!」

 ……最悪の答だ。

 そんなメタ的なものが答になるわけないだろう。

 結局、般若の撃沈記録がまた増えただけだった。

 と、あたしが落胆した時だった。

「……私の求めていた答が得られました」

 猛風。春の放課後の屋上が、突然、虹色のオーロラの如き色彩であふれかえった。光の渦だ。嵐の如き美しい色彩が般若を中心として、荒狂う大輪の花弁として渦を巻く。

 まるで幾千もの琴や喇叭の様な美しい響きが空気を裂いて、あたし達の全身を震わせるみたいに鳴り渡る。

 何だ、この予想外のファンタジックな展開は!

 見れば、光と音の渦の中で、般若の身体が宙に浮いている。制服のスカートの裾がひるがえり、やはり渦を巻いている。

 隼人とあたしはこの劇的な光景の中で驚きを隠さずに、般若の額の中央を見ていた。

 般若の額の白毫は輝きながら、その縮れ毛の塊が見ている内にぐんと成長して、ねじれ、尖り、五〇cmもある屹立する角となった。

 まるで神話に語られる幻想生物、一角獣、ユニコーンの様に。

 彼女の背で白鳥の様な双翼が大きく開く。

 そして最後に般若の制服が融ける様に形を変化させ、まるで中世日本の十二単を百枚もの薄いベールにした如き、黒い薄布の渦となった。

 何んというか和風ファンタジーでいながら時代考証やらを近未来的なセンスで改変した、金紗を散りばめた豪華なラスボスの様な衣装だ。袖と裾と襟が光の風と一体化している。

「ぱんにゃん!」

 あたしは叫ぶ。

 だが、親友の切れ長の眼は陶酔しているかの様に半ば伏せられ、あたしに向けられていない。

 啞然としている隼人へ、その視線は向けられていた。

「私の求めていた答が得られました」ロングストレートの黒髪を風に巻き込ませながら、般若は繰り返した。「私は『パンニャー』。この世界に赤子として転生するまでは、この世界を包み込んで重なる一階層上の超宇宙の『巫女』でした。その超宇宙は強力な魔羅の軍団に侵略されています。私の使命はこの世界に転生し、その超宇宙の因果律に縛られぬ、理を超えた別世界の『勇者』を探し出し、魔羅の軍勢と戦う為に超宇宙へと導く事にありました。……玄上隼人。あなたは私の謎かけに答え、この世界を超えた存在と戦う意志と才能と覚悟を見せました。あなたは勇者の資格を得ました」

 ちょ、ちょっと待って!

 何よ、この超展開。

 思考力をブッチして、あたしは置いてきぼりになっている。

「隼人。あなたは私と『恋人』という、新しく固い絆で結ばれました。……私は自分の超宇宙へと帰る時が来ました。私と一緒に勇者として『転移』して……来てくれますね?」

 もう何もかもあたし達が予想していた未来の範疇を超えていた。

 しかし何よ、この宮崎駿のアニメみたいな、質量を持った如きうねる光のほとばしりは! まるであたし達が大波に翻弄されているかの様だわ!

 きっと遠方からでも、この屋上にあふれかえる光と雄大な音響は注目の的になっているに決まってるじゃない!

 ともかく周囲は光の渦だった。

 学園の屋上も、青空も日常的なものは光に隠されていて見る事が出来ない。

 隼人は「パンニャー……」と呟くと、自分の前で宙に浮かんでいる般若の方へ足を一歩、踏み出した。

 受け入れてるのだ。

 自分の運命を。未来を。

 ちょっと待って! あたしに恋の告白をしたまま、あたしを放っておいて、自分達だけ般若の宇宙へ行こうというのか!

 こんないきなりファンタジーアニメみたいになった世界観を受け入れるのか?

 自分の将来に戸惑いはないのか?

 こんなのは魔境だ! 悟りを開こうと禅の修行をした僧が、神秘体験を体感して、ここが絶頂と勘違いして己を登り詰めた気になっただけのただの中途半端な境地だ!

 こんなパンニャーはぱんにゃんじゃない! 隼人も違う!

 大体、あたしを置いてきぼりにして、二人きりでどっかへ行こうというのか!

 これが幼馴染の究極か! あたしを巻き込んだ恋愛ドラマの極地か!

 あたしは認めない!

 認めないぞ! えーん!

 般若に導かれる如く、隼人の足は屋上の床をゆっくりと離れ、浮かび上がって彼女の手をとった。

 凄まじい光の奔流。

 そして荘厳な音楽の中、般若があたしへ眼を向けた。

 あたしも誘っているのか。

 いや、違う。

 別れを惜しむ眼線だ。

 あたしは確かに二人との永久の別れを受け入れていた。

 ユニコーンの角と白い大翼を持つあたしの親友は、きっちりと固めたポンパドゥールのもう一人の親友とこの世界を離れようとしている。

 般若……色色な意味で好きだったよ、あんた……。

 隼人……あんたも……。お前の自宅のHな物は全部、あたしが処分しといてやるから安心しな。

 ……もしかして、ここを魔境だと思っているのはあたしだけか……。

 一瞬、般若の一角が太陽の如きまばゆき光を放った。

 あたしの眼が眩む。

 熱ッ!

 あたしの額の中央に火が点いた様な高熱が瞬いた。

 次の瞬間、まるで最初からなかった様に、全ての光の奔流と荘厳な音楽が唐突に消え去った。

 ただ、あたしだけが光の乱舞と奏音の余韻を脳に残しながら一人、何の変哲もない屋上に立っていた。

 般若も隼人もいない。

 屋上にはあたしだけがいる。

 これだけの壮大な神秘的イベントがありながら、屋上に駆けつけてくる者は誰もいない。学園はいつもの遠い生活雑音を遠く感じる事しか出来なかった。

 もしかして、さっきの光景の間、世界中の時間が止まっていたのか。動いて感じていたのはあたし達だけか。

 音も光も学園内外にいた人間からは何も見えたり、聴こえたりしていなかったみたいだ。

 学園の風景はいつもの日常の雰囲気に支配されていた。あの光景が、時間と時間の隙間の断章だった様に。

 あたしの親友は二人とも恋人同士としてこの世界から消え、失恋したあたしだけが残された。

 あたしの今の光景の記憶は、まるで眼醒めて夢の内容が思い出せなくなるみたいにどんどん薄れて消えていく。

 恋人同士の二人の記憶と共に。

 嫌だ! あたしは忘れたくなんかない!

 そう思うが、忘却の力は強い。

 消えていく。

 消えた。

 だが、あたしは頑張った。

 それから何日もかけて、あたしは親友だった人物の顔や名前を思い出そうとした。

 崖っぷちに指一本かけてぶら下がっていた状況から、渾身の力を振り絞り、忘却の谷から自分の全身をかろうじて這い上がらせる精神力が必要だった。

 全身から汗が噴き出し、呼吸も荒く、疲れ切った。

 ある日、かろうじて断片を思い出した。

 そこから思い出が復活した。

 もう、絶対に忘れたくない。

 あたしの記憶の中で、般若と隼人とすごした日日が蘇った。

 だけど、それはあたしの記憶という小さな世界の中でだけだった。

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