第5話 隼人の覚悟
学園の桜の木の緑葉が濃い。きっともうすぐ花も満開になるだろう。
そういえば、去年の今頃に吉永君が最初の告白をしてきたんだっけ。
吉永君は冬のKFCの一件以来、般若やあたし達を避けているみたいで顔を合わせた事はない。
あれからも様様な男子が般若に愛の告白をし、トロッコ問題に挑んでいったが、それはかぐや姫の撃沈記録を増やすだけだった。
こうしてみると脱線させるという吉永君の回答が一番マシだったのかもしれない。
ふと風が薫る。
あたしの名前と同じだ。薫る子、と書いて薫子。
市立雨情学園高校の放課後の屋上には今、あたしと隼人がいた。隼人があたしを呼び出したのだ。
「何よ、隼人」
あたしは屋上を囲む金網にもたれかかりながら、改造制服を着たポンパドゥールの隼人に呼びかけた。
思いっきり悩んでいる顔をしていた。
まるでハムレットの「生きるか死ぬか、それが問題だ!」みたく。
大丈夫? 悩んでいるの? パンツ見る?
「薫子……」隼人はこの春爛漫の日に、まるで世界の終わりの様な顔をしていた。「実は俺、……般若の事が好きなんだ……」
うん。知ってた。
バレてないと思っていたのか。本当に頭悪い奴だよ、お前。
「だけど俺、……お前の事も好きなんだ……!」
げげぇーっ! あたしは悪魔超人の如く驚いた。
何だよ、今の不意討ちは!
ちょっと待て! あたしとお前は単なる小学生の頃からの親友にすぎないんじゃないのか?
「何、質の悪い冗談言ってるのよ! 嘘言ってると怒るでしかし!」
「嘘じゃねえよ。……俺、般若とお前のどっちも好きなんだ。もう我慢して黙ってるのなんて出来ねえよ」
「ちょっと待って! それは恋って意味の好きなの? L・O・V・Eって意味の好きなの? 自分で自分の気持ちを見誤ってない?」
「恋人になりたいって意味の好きなんだよ。俺は般若もお前も同じくらい好きなんだよ!」
何だ、このいきなりの二股宣言。
なのに、あたしは心臓がバックバクだ。体温急上昇。
顔は思いっきり真っ赤だろう。
「ぱんにゃんならともかく、あたしはこんなブスだよ、へちゃむくれだよ! 性格も下品だし! 最低の女だよ!」
「そういうのをひっくるめて、お前の全てが好きなんだ!」
「あ、あたしに男がくっついてないからすぐヤれるって思ってない? 飢えてるから童貞卒業の手っ取り早いパートナーに出来るとか?」
あたし、そういえばムダ毛の処理していないや。
「そういう事言うなよ……!」隼人は今のあたしの言葉にちょっと傷ついた様な顔をした。「真剣に恋人としてつき合いたいって思ってるんだよ!」
あたしがホイッスル付きのやかんなら、ここで蒸気をピーッ!と噴いていただろう。
隼人があたしを好き。
あたしは隼人が好き、か?
いや待った。あたしは隼人の事を好きだったかどうかなんて自分でも解らなくなってきたぞ。
告白されたから、そーゆー方面のバイアスがかかっているのか?
突然、愛の告白されたら嬉しいか、あたし?
……うん、嬉しい。
でも。
「ちょっと待って! あんた、ぱんにゃんの事も好きなんでしょ?」
「ああ。……そうだ」
「何で、ぱんにゃんの方に先にチャレンジしないの? 先にあたしに告白しといて、ぱんにゃんをあきらめられる?」
「……………………」
「ぱんにゃんのトロッコ問題に答えられる自信がないから、あたしの方に唾つけとくつもりなの? もしかして、あたしはあんたがぱんにゃんにフラれた時の保険?」
「……般若にはこれから告白しに行こうと思ってる」
やっぱり、そうなのか。
「ここで先にお前に告白しとかないと、まるでフラれたからお前の方に乗り替えたみたいにとられるだろ。俺、そういうの嫌なんだよ! お前と般若が好きだって気持ちは同じくらい大きいんだよ! お前も般若も好きだけど、一人としかつき合えない! だから般若にフラれる前に先にお前の方に言っとくんだよ!」
フラれる事前提にものを言っているのか。
こういうところはめめしいな、こいつ。
でも、まあ、しかし、そうだろうなあ……。
「本命はぱんにゃんの方なんだ……」
「そういうんじゃねえって言ってるだろ!」
「でも、自分で選べずに二股宣言してるんでしょ」
「……………………」
ともかく、隼人が告白したとなったら、三人は今まで通りのただの親友づきあいは出来なくなるだろう。
もう後戻りは出来ない。
あたしと般若の仲が変わらないとしても、隼人はどちらかと恋仲になれば、もう一人は告白してかつてフラれた、という間柄になるのだ。
三人の絆は変化する。
隼人、あんたはやっぱりズルいよ。
あんたに告白されてあたしが嬉しくないはずがないし、あたしがあんたと般若の恋を応援しないわけがないじゃない。
脳をフル回転させる。
誰も傷つかない方法なんかあるのか?
気合を入れろ、自分!
「よし、あたしはあんたを応援してやる!」
あたしは自分のBカップの胸を叩いた。
「応援する! ドーン!とぱんにゃんにぶつかっていけ! 骨はあたしが拾ってやる! もし玉砕して、やっぱりあたしの恋人にならせてくださいってお願いしに来たら、その時はあたしは股を開いてやる!」
下品だな、あたし。
冗談めかして自分の気持ちをごまかしてるだけじゃないか。
いや、そんな事はない。あたしはいつだってこう。これが自然体なんだ。
小学生の頃からすーっとそうだったじゃないか。
でも、今はもういびつな三角関係。
今の隼人の気持ちは、これ自体がこいつにとっての現実的なトロッコ問題なんだ。
盲目的な隼人の恋は、Y字型の分岐路へと突撃していくトロッコだ。
両方の分岐路の先にはそれぞれ、あたしと般若が立っている。
隼人はどちらに行くか、自分の意思でスイッチ切り替えを選択しなければならないんだ。
どちらが好きかに差はない。
ただ、どちらかを選ばなくちゃならないんだ。どちらかを犠牲にしなくちゃいけない。
脱線させるという選択肢も、答えないという選択肢もない。
再挑戦もない一発勝負の世界。
「よし! 今からぱんにゃんを呼び出しに行こ! 善は急げだ!」
「え、ちょっと、待て、おい……! もうちょっと気持ちを整えてからでもいいだろ!」
「今日、告白するつもりだったんでしょ。タイミングは今が絶対いいって、そう神様からのお告げも来てるのよ」
あたしだけが告白されたのを秘密にしたままですごすなんて、一秒でも短縮したい。
般若の前でどんな顔をしたらいいか、そんな気まずい時間を一秒でも余計にすごしたくない。
ともかく、あたしに告白した勢いを保ったまま、これから般若に隼人が告白だ!
「かぐや姫のトロッコ問題は一応でも答は考えてもあるんでしょ? だから告白を思い立ったんでしょ?」
「あ、……ああ」
「なら、それをぱんにゃんにぶつけに行こ!」
「い、いや、……答は思いついたんだけどさ……俺、頭悪いからさ、反則みてえな答でさ……」
「反則結構!」
「……なあ、あの問題って般若の考えついたもんじゃないんだろ? 誰か他の偉い学者とかが考えたもんなんだろ?」
「……あたしの知ってる限りじゃ、六〇年代に哲学者『フィリッパ・フット』が考えついたはずだけど」
「……なら、よし!」
隼人が自分の頬を両掌で同時に張って、気合を入れた。
行け! 日本男子!
これが青春だ!
あたしはドアを開けて、屋上から階下へと通じる階段を走り降りていった。
あたしの後ろを隼人がついてくる。
般若の校内捜索はすぐ終わった。
彼女は三階のいつもの教室に一人いた。
「ぱんにゃん! 隼人があんたに言いたい事があるってさ! 屋上へ行こ!」
あたしは大声で叫んだ。
眼前には親友が静かな神秘的な表情を浮かべている。
隼人はこの期に及んで、切羽詰まった赤面。
般若も何で呼び出されるか、想像はついているのだろう。
あたし達は友情の終わりへと向かう為に、三人で放課後の屋上へと上がっていった。
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