第2話 クール・ビューティ

「よお、般若。またフッたのかよ。吉永、泣いてたぜ」

 玄関で靴に履き替えたあたしと般若を、三人目の幼馴染が待ち受けていた。

 ぺったんこのかばんを肩に担ぐ様に玄関の壁に背を預けていたのは『玄上隼人』。小学校時代から加わった親友だ。

 着崩した改造制服とリーゼント、ポンパドゥールがよく似合っている『不良』。

 あ、ポンパドゥールというのは田舎の不良がよくやっている前髪にボリュームをドーンと持たせたあの髪型ね。よく、リーゼントと言われるけれど、正式にはリーゼントはワックスとかで側頭部の髪をびっちり後方へと撫でつけている髪型の方を指すのよ。ほら、映画俳優のジェームズ・ディーンがやっていた奴。

 隼人のやっているポンパドゥールは彼のこだわりを見せて、ひさしの如く立派に前に張り出している。

 彼はこの髪型と服装と喧嘩っぱやさのせいで不良と呼ばれている。あと、頭も悪い。

「そんな態度ばっかりとってると一生、彼氏が出来ないぜ」

 隼人もあたしと同じ事を般若にアドバイスする。

 勿論、彼女がかぐや姫だって事を隼人も知っているからだ。

 尤も隼人は彼女が愛の告白を受けるようなシーンには一緒におらず、一人でどっかへ行ってしまうけど。

 気を使っているつもりか。

 男女に友人関係は成立しない、という格言を隼人の存在は見事に長い間、否定していた。

 あたし達、三人は小学生からずっと親友だ。いつまで続くか解らないけれど、今「永遠に続くのか?」と誰かに訊かれれば、多分ずっとそう、と現在のあたしは答えるだろう。

 答えるのだけれども……。

「そんな髪型でずっといると彼女がいつまでたっても出来ないわよ」

 あたしが般若の代わりにそんな事を言い返してやる。

 隼人がぐっと苦い薬を飲まされた様な表情をし、般若がくすりと笑う。

 それでも三人は喧嘩などにはならない。

 あたし達は桜色の花びらが舞う学園の玄関を出て、商店街を抜けた所にある駅へ向かう。

 放課後の街はいつも通りで、特にあたし達の気を惹くものはなかった。

 駅で帰り道である電車に三人が乗れば、いつもの様にこの時間帯は普通に空いていた。

 あたし達は空きの多いシートに並んで腰かける。

 それぞれにスマホを片手にめいめいの興味のあるSNSを眺め、時折、話題を交わしながら三人が降りる駅までの時間を潰す。

 車内はほとんどいつもと変わらない。

 強いて変わったところといえば、いつも空席のシルバーシートにレトリバーを連れているサングラスの老人が座っているくらいだ。

 あれはハーネスをつけた盲導犬ね。老人はきっと眼が不自由なのだろう。

 盲導犬は寡黙に床に伏せている。従順さと使命感がにじみ出ていて、はっきり言って可愛く立派だ。けなげだなー。

 そうしている内に電車は途中の駅に止まり、ドアが開いて何人かの乗り降りがあった。

 ラフな格好をしたガタイのいい大学生みたいな四人が乗ってきた。一人は車内禁煙だというのに火のついた煙草をくわえている。

 彼らは座席に座らず、ドアの前に四人で円を描く様に床にしゃがみこみ、大きな声でしゃべくり始めた。見ると飲みかけのチューハイの缶を持っていて、時折、飲んでいる。

 まだ、昼間だというのに感じが悪い。いや、そういう問題じゃない。こんな所で酒飲むな、馬鹿。邪魔だ。

 あたしの隣で隼人が小さく舌打ちした。気分が悪そうだが、関わり合いにはなりたくなくて、というか周りに同類と見られたくなくて自分を抑えている。あたしにはそう見えた。

「おい」

 あいつらの一人が盲導犬に気がついて、仲間の注意をそちらに向けた。そういう犬を見るのは珍しいのか。

 四人は老人に向かって、差別的な放送禁止ワードを呟く。

「こういう犬ってさ、どんな事があっても身動き一つしないように躾られてるって話だぜ」

 そう言った一人が、あろう事か、口にくわえていた煙草の火を盲導犬に近づけた。顔は意地悪そうに笑っている。

 煙草の火は肌に押しつけられ、ジュッと熱い音がした。

 しかし、盲導犬の肌にではない。

 立ち上がった隼人が煙草を押しつけようとしていた男からそれを取り上げ、男の頭頂に押しつけたのだ。

「ウワッチっ!」

 男は悲鳴を挙げて立ち上がった。

 残り三人も一瞬で激昂のスイッチが入って、一斉に隼人を睨んで立ち上がる。

「何だッ! てめえッ!」

「やんのかッ! ゴラァッ!」

「殺すぞッ! ゴラァッ!」

 あっという間に修羅場と化した車内で、隼人は臆せず、あたし達を振り返らず「シャバい事してザケてんじゃねえぞッ! やるんだったら、外へ出ろッ! コラァッ!」とだけ叫ぶ。

 振り返らないのはあたし達を自分の連れだと気づかせない為だ。

 連れだと気づかれると巻きこまれる。

 あたし達はそれを承知で隼人と無関係のモブを演じる。それが最善。隼人が望んでいる事だ。あたしは隼人が持っていたペちゃんこのカバンを自分のバッグの陰に隠し、預かる事にする。

 その時、電車は駅に停まった。

「外に出ろッ! ゴラァッ!」

 四人の男達は隼人の改造制服の胸ぐらをつかみ、囲む様に駅へと引きずりおろした。

 隼人はそれに逆らわず、むしろ望むところだと駅へと途中下車する。

 この駅には広いトイレがある。戦場はそこだろう。

「頑張ってね」とあたしは小さく呟く。周囲に迷惑をかけないようにキチッとやっつけなさい。

 少少、車内が騒めきながら車両のドアが閉まる。

 電車はトラブルを感じさせず素直に走り始めた。

 隼人一人VSチューハイで酔っぱらった強そうな大学生、四人か。格闘技でもやってそうな感じだったな。

 互角ってところかな。アルコールの差で隼人の勝ちか。

 走り出した電車の中で、あたしと般若は席をシルバーシートに変えていた。

 自分の周囲で騒動が起こって、怯えている盲目の老人に隣に座った般若が優しく語りかける。「心配する事ありませんわ。ただの酔っ払いの喧嘩で、もうすみましたわ。降りる駅は何処ですか」

 こういう時、般若は自然な優しさを見せる。

 そんなところも男子を惹きつけるのだ。

 老人が降りるのは次の次の駅だった。

 あたしと般若は老人と盲導犬が降りるのを手伝い、再び車内に戻った。ここまで来れば自分達が降りる駅まですぐだ。

「隼人は大丈夫かしらね」

 全然、心配などしてなさそうな声色で般若は隣のあたしに話しかけた。

「絆創膏の一つや二つ程度じゃない? 明日会えば解るよ」

「家に着いたらスマホしようかしら」

「その程度もいらないよ」と言いつつ、あたしも家に帰ったらLINEで三人で今日の事を情報交換しようと決めていた。

 どうせ、ウザイほどの隼人の戦勝自慢になるだろうけれども。

「ねえ、ぱんにゃん」あたしは並んだ席に座った般若へ、そちらを見ずに話しかけた。「隼人とつきあっちゃいなよ」

 般若は無言だった。

「いざっていう時に彼女を守る力を持っている。これって結構、男として重要だよ。隼人も絶対、あんたとつき合えるんなら悪い気しないって」

「そうねえ」般若は前を見たまま答える。「隼人が私の望んだ答を返してくれるならね」

「またそれ? かぐや姫もいい加減にしないと年増になっても一人きりだよ。お股に蜘蛛の巣張っちゃうよ。それどころか老後も処女で独り身かもよ」

 あたしはわざと下品な表現で、般若を挑発した。あたしが下品なのはあたしの個性として皆に知れ渡っているからいいのだ。

「私はそれでもいいわよ」

「親友としてよくないよ。……大体、あの質問さ、答あるわけ? 今まで何十人、あの質問に答えた? スイッチを切り替えるも、切り替えないも、どっちも答えた奴がいたじゃない。切り替えるのにイエスでもノーでも、ぱんにゃんは『私の望む答と違う』ってフリまくってきたじゃない。あんた、男子とつきあうつもりあるの?」

「私の望んだ答えを返してくれるならば、この身も心も捧げるつもりはあるわ」

 なんか古風だなあ。ますます、かぐや姫だわ。「……ともかく、あのトロッコ問題にはあんたなりの答があるのね」

「あるわ」

「教えてくれる?」

「駄目よ」

 冷たさにも思える冷静な声。

 なんか親友が人間離れをした、幾百年も年を経た妖怪の様に思えてきた。

 そういえば日本の伝統芸能である『能』の般若面は妬みや執着を持つ鬼女を表すらしい。

 しかし源氏物語を題材にした演目では、嫉妬や恨みから鬼の形相の生霊になってしまった六条御息所が祈祷によって退散する場面があり、この時の祈祷が般若心経であった事から怨霊や生霊を表す鬼女の面を『般若』と呼ぶようになったという説がある。だとすると鬼女は元元は般若という名前ではなかったのだ。

 まるで小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』のフランケンシュタイン博士が作った『名前を持たない怪物』が、いつからか創造主の名である『フランケンシュタイン』として知れ渡るようになってしまったみたいに。

 般若は怪物の名前になってしまった。

 親友は怪物か。

 男にとってはそうかもしれない。

 男子は彼女に惹かれ、挑戦し、恥辱にまみれて退散するしかしていない。少なくとも今のところは。

 般若。

 智慧。

 親友は智慧そのものか。

 もし隼人が彼女に挑む時があったら、それはどういう結末を迎えるだろう。

 三人の親友としての絆も崩れてしまうのだろうか。

 私は選択肢でしかない未来を考え、ちょっと憂鬱が入った。

 しかし、すぐ気力で元気を取り戻す。今月はまだそんな時期ではないのだ。

「あー、隼人が煙草を押しつけたとこは面白かったな。頼もしいわね。あたしも思わず濡れたわ。もー、処女あげちゃってもいい、と思ったくらい」

 下品な言葉で場を和ませる。和んだよな?

 電車の車両があたし達の降りる駅で停まる。

 般若は相変わらず電車を降りてあたしの家の前で別れるまで、いつも通りのクール・ビューティーだった。

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