第三十七話 はざまの出来事
「遅い……」
泉穂は陽炎に揺らぐ校舎を仰いで、その整った顔をしかめた。征志郎と圭一郎が校舎に入って、すでに20分が経過していた。
「……そろそろ、まずいですね」
泉穂の横にいた神楽坂も、横笛を吹くのをやめて校舎を見上げた。と、その時、サァァッと音を立てて、校舎を覆っていた邪気が一気に晴れた。
体育館の裏から、ふらりと人影が出てくる。征志郎である。征志郎は数歩歩いて、その場に膝をついた。
「征志郎さん!」
すぐさま泉穂と神楽坂、術師たちの邪魔にならないように脇で控えていた上村が駆け寄る。手を差し伸べようとした上村を、征志郎は「大丈夫」というように右手を軽くあげて制した。そして顔を上げると、早口で一気に状況を語った。
「——発生源は信仰を忘れられた土地神だった。おそらくこの学校自体、神社か道祖神か何かを撤去して作られたんだろう。学校として使われていた時は人がいたことで保たれていたバランスが、廃校になって崩れたってところかな。
「征志郎さん、怪我は……?」
「本当になんともない。大元の周りに集まってきていた妖が厄介で、祓うのに少し手間取って消耗しただけだ。今は仮に封じているだけなので、あとは頼みます」
後半の言葉は、神楽坂に向けて言ったものだ。
「それより圭一郎は?まさかまだ———」
・
果てしなく広がる闇に、圭一郎はこの場所が校舎からかけ離れた場所であることを悟った。校舎に入る前、神楽坂は彼の岸と此の岸の同化が進んでいる、と言っていた。ここは、どちらかというと彼の岸に近い空間なのかもしれない。
圭一郎は、約1か月前に
闇雲に動いてもどうにもならないのは本能で分かっていたので、目を閉じて神経を研ぎ澄ませる。かなりの危機的な状況にも関わらず、圭一郎は冷静だった。
闇の中でまず最初に変化を捉えたのは、嗅覚だった。
(土の匂い……?)
考える間もなく、足の裏に触れている地面の感触が変わった。さっきまでの教室の硬い床とは明らかに異なり、踏みしめると少し沈む。
目が慣れてきたのか、徐々に闇が薄れていくような感覚に陥る。すると不意に、周りに
足元にはやわらかい土の感触。天を仰ぐと、木々の合間に曇った空が見えた。
(……どこだ、ここ)
圭一郎は不思議と、恐怖や焦りを感じていなかった。むしろ、この空間にどこか懐かしささえ覚えたほどである。
ざっ、ざっ、ざっ。
不意に、遠くから足音が聞こえてきた。圭一郎は身構え、術を使う準備を整える。足音は徐々に近くなり、少し先で止まった。
「ん……? そこにだれかいるのか」
木の陰からひょっこりと現れたのは、不気味な一つ目———の白い面を被った男だった。面のせいで歳がわからないが、掠れた低い声はある程度の年齢を感じさせた。圭一郎よりも背が高く、薄汚れた柿色の袈裟を着崩し、胸元が大きく開いた格好をしている。お世辞にも綺麗とは言えない身なりのその男は、全身を舐め回すように圭一郎を見た。
「これは驚いた。どうやってここに? そなた、名は?」
男はそう問いながらずいずいと距離を詰めてきたので、圭一郎は男の動きに合わせて後ずさる。こんな場所に現れたということは、妖の類か
「……! そうか、そうか、そういうことか」
圭一郎は何も答えなかったにも関わらず、男は納得したように大きく頷いた。
「ケイイチロウ……か、素直なやつだな。術師なら、本当の名はうかつに悟られぬようにしたほうがよい」
「なんっ……」
圭一郎はつい声を出しかけて、ハッとして手で口を覆った。得体の知れないものに言葉を返してはいけないことは、この業界では常識である。
その様子を見て、男は鼻を鳴らして笑う。
「安心しろ、そういう類のものではないし、お前をどうこうしようとも思っていない」
そう言い放つと男は、くるりと圭一郎に背を向け、きた道と反対方向に歩き出した。
「ついてこい。お前の世界に戻してやる」
男の言うことを完全に信じたわけではないが、他に為す術がなく、圭一郎はあとを追って歩き出した。
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