第三十八話 帰還
ザッ、ザッ、ザッ
薄暗い山道を、仮面の男を追って黙々と歩く。闇は再び、濃くなっていく。
「ここはどこでもない場所であり、どこにでもある場所」
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ
男は、独り言のようにつぶやきながら、どんどん歩みを進めていく。
「現在であり、過去であり、未来でもある」
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ
「彼の岸と此の岸、そのどちらでもあってどちらでもない」
変わらない景色の中をしばらく歩いて、男は不意に立ち止まった。圭一郎も立ち止まる。
「ここまでだ」
そう言って振り返った男を至近距離からまともに見て、さっきは気づかなかったことに気がついた。男のつけている面の左頬のあたり——ちょうど圭一郎の頬のあざと同じあたりに、赤い五芒星が描かれているのだ。
「目を閉じて、元いた世界にある、お前にとって大切なものを強く思い描け」
周りは薄暗く、木々の輪郭ももはや曖昧になっていた。その中で、男の存在は異様に際立っていた。
「さあ、早くしないと戻れなくなるぞ」
一瞬目を閉じるのを少し
大切なもの———。
「ケイイチロウ、と言ったな。お前は——」
「……?」
その声で薄く目を開けかけた圭一郎は、正面からとん、と肩を押されて後ろによろめく。体がふわりと浮いた様な感覚。
「本当の敵を、見極めろよ」
・
男の手が肩に触れた感覚がまだ消えないうちに、硬く冷たい床の感触が背中に伝わる。ひぐらしの声が、ずっと遠くで聞こえている。圭一郎は男に押されてよろめいて、そのまま真後ろに倒れた———ような気がしていた。
「……っ」
目を開けると、さっき頭に思い描いたものの一つ——自分を覗き込む、征志郎と泉穂の顔が目に入った。
「圭一郎!」
「圭ちゃん!よかった!」
圭一郎は校舎の2階の廊下に、仰向けに転がっていたところを発見されたらしかった。ゆっくりと上体を起こすと、あの謎の空間にいた時の何倍も体が重かった。その体の重みで、圭一郎はようやく「戻ってきたんだ」という実感が湧いた。
「俺は……」
「焦ったよ、圭ちゃん、息はしてるのに全然目を覚さないから」
(!体はここにあったのか)
圭一郎は異空間にいたと思っていたが、どうやら意識だけが別の空間にあったらしかった。
「男を助けようとして教室に入ったら、変な空間に引きずり込まれて……そうだ、ここに倒れてた人は?」
「もう搬送された。おそらく大丈夫だろう。お前が命を張って助けたおかげだ」
「怪異は……」
「おおかた解決。あとで説明するよ。さ、一応神楽坂さんに診てもらおう」
そこからは、あっという間に事が運んだ。陰陽連の職員や神楽坂らが、残った邪気の除去や土地神の封印を引き受け、圭一郎たちは日が傾きはじめる頃には帰路につくことができた。
・
「……邪気がだいぶ満ちていたからね。異空間が現れたり、多少時空が歪んでもおかしくはないよ。その影響が意識の内に及ぶこともある」
帰りの車の中で、圭一郎は泉穂らに異空間での出来事を語った。一通り聞いた泉穂はそうコメントした上で、「それにしても——」と続けた。
「術師に助けられたっていうのは不思議だね。何者だったんだろう」
「……あれが意識の中だけで起こってたとは思えねぇ。そんくらいリアルだった。あと、確か最後に、敵を見極めろ的なことを言ってたな」
「ふーん。なかなか
圭一郎の話を黙って聞いていた征志郎は、何かを考え込んでいる様子だった。
車が家の前に停まって、座席から降りた時、圭一郎はふとポケットの中に違和感を覚えた。手を入れると、中から雑に折られた紙が出てきた。
「……?」
全く身に覚えがなかった。紙といっても材質が古く、和紙のようにザラザラしていて厚みがある。一度握りつぶしたようなあとが付いたその紙をなんとか開くと、漢字を崩したような字が、びっしりと書かれていた。
「どうしたの?」
圭一郎の様子に気づいて、征志郎と泉穂が圭一郎の手元を覗き込む。
「これは……」
泉穂がちらりと征志郎の目を見る。征志郎は小さく頷いた。
「圭ちゃん、これ、ちょっと預かるね」
泉穂はさっと圭一郎の手から紙を抜き取った。
「何が書いてあるんだ?」
「まだはっきりとわからないけど、だいぶ昔に書かれたものっぽい。解読してみるよ。何か分かったら連絡する、またね」
泉穂はそう言いながら、八塚神社の方へ小走りで去って行った。
・
「……お前を助けた男は、五芒星の付いた面をつけていたと言っていたな」
その日の夜、征志郎は夕飯を取るために2階から降りてきた圭一郎を見るなり、そう切り出した。征志郎はたった今外から帰ってきたという様相で、靴を履いて玄関に立っていた。手に白い布で包んだ何かを持っている。
「ああ」
「その面は———これか?」
征志郎は白い布をゆっくりと開いた。圭一郎はそこから出てきたものを見て、大きく目を見開いた。不気味な一つ目。頬のあたりに赤い五芒星のついた面。かなり年季が入っていると見え、元々白だったであろうその表面は茶色系に変色していた。だが——
「これ、だ。なんで———?」
「お前の話を聞いて思い出したんだ。
「祓具……」
「これはうちの蔵に保管されていたものだ。この面の持ち主は、蘆屋道満といわれている」
頭の整理が追いつかない。じゃあ、あの男は———。
「お前を助けた男は、ひょっとしたら……」
Y集落の廃校となった小学校で、取り壊し作業中に4名の死亡者が出た———というニュースが、内容のわりには小さく報道されたのは、それから2日後のことだった。連絡をする、と言って去った泉穂と、この後で会うことが叶わなくなるとは、この時の圭一郎は知る由もなかった。
《 参−① 完 》
Antinomyー六芒星の彼方ー 赤蜻蛉 @colorful-08
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