第三十五話 神楽坂の力
征志郎が校舎に入った瞬間、わずかに空気が揺らいだ——ように見えた。その揺らぎを、泉穂や神楽坂は見逃さなかった。
「……これは」
「校舎内は、だいぶ
極度に邪気が濃くなると、彼の岸(妖怪や物怪の世界)と此の岸(人間の世界)の境が曖昧になることがある、と神楽坂は言った。
圭一郎の表情が曇ったのを見て、泉穂が口を開く。
「術師なら、長時間滞在しなければ大丈夫。ただ、今の校舎内は何が起きても不思議じゃない状態になっているはず……圭ちゃんも十分気をつけてね」
「そうですね。征志郎さんにも私から伝えておきます」
「……モタモタしてらんねぇってことだな」
圭一郎は
「圭一郎さん、ちょっと」
そのまま校舎へ向かおうとした圭一郎を、神楽坂が呼び止めた。右手の横笛をわずかに掲げて見せる。
「中に入ったら、必ずこの笛の音色が聞こえる範囲で行動してください。聞こえなくなる場所は、たとえ術師であっても危険です」
圭一郎は深く頷くと、校舎に向かって駆け出した。
・
2階建てのコの字形の校舎と小ぶりな体育館は、渡り廊下も合わせてロの字になるように並んでいる。征志郎は北端の非常口から中に入り、体育館へ続く渡り廊下へ向かって行ったが、圭一郎は最短ルートで生存者のもとへ向かうため、2階へ続く階段がある正面玄関へ向かった。
小走りで進む圭一郎の耳に、美しい笛の調べが聞こえてくる。笛の音は不思議と移動しても遠ざかったりすることはなく、一定の音量で、語りかけるように届いてきた。
玄関には当然鍵がかかっているものと思ったが、手をかけるとあっさりと開いた。まるで中へと誘いこまれているようで、不気味だった。
「!」
一歩足を踏み入れた瞬間、異変があった。腕に乗っていた迦楼羅がふっと消えたのである。右手の指に重さを感じて見ると、真鍮の指輪に戻っている。
(
圭一郎は冷静に周囲を見渡す。
荒れた靴箱、ひび割れた蛍光灯。真夏の、まだ日が高い時間帯にも関わらず、中は薄暗く、ひんやりとしていた。それは単に日当たりなどの問題ではなく、充満した邪気の影響が大きい。妖や霊の気配は幾重にも入り混じり、もはやそれらの懐の中にいるような感覚になる。
階段は廊下を挟んですぐ目の前だ。1階廊下の様子を伺っていると、
「しつれいしまーーーーーす」
奥の教室の方から男とも女ともつかない、無機質な声が響く。
「し、しつれいいいいしまああああす」
ゴンッ、ガタガタッと戸を激しく揺らすような騒音。音は徐々に大きくなっていく。圭一郎は脇目も振らず廊下を横切り、階段へと向かった。
壁から突き出す青白い腕、天井を這う巨大な目。小物はいくらでもいた。全部祓っているとキリがないので、全て無視する。
階段を駆け上がる時、踊り場にいた首のない一松人形が飛びかかってきた。首を捕まれそうになったので、やむを得ず祓う。
その時、気がついた。
(……体が、軽い)
これほど邪気の充満した空間にいて、体のだるさが全くない。そして、いつもよりはるかに、祓った時の呪力の消耗が少ない。
——
泉穂の言っていた、”術士にとってはプラスに働く”の意味を理解した。
圭一郎は校舎に足を踏み入れてわずか一分足らずで、2階へ辿り着いた。息を整えて、廊下をのぞくと———目があった。
数メートル先の床。教室へ引きずり込まれていく体。警察官らしき服装の上半身。床に横たわる、その目と。
「た、たす、けて」
———バンッ。
教室の戸が閉まる音が、暗い廊下に響いた。
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