第三十四話 Y村
沿道沿いの、砂利が敷かれた空き地に車は停まった。
この場所から続くY村への道は、緩やかな下り坂になっていた。山の方へ向かって畑と、数軒の民家がポツポツと続いているのが見える。Y村は三方が小高い山に囲まれている上、窪地になっていて、閉塞感のある場所だった。
「正規の車道が村全体を蛇行しながら回る形になってるので、ここから歩いたほうが近いんです」
上村はそう言って、車を停めた場所の脇の雑木林へと入っていく。その後を、征志郎、泉穂、圭一郎と続いた。
「……妙に静かだな」
歩きながら、征志郎が呟く。征志郎が言っているのは、妖や霊のことだ。害の有無を問わず、それはどこにでもある程度存在するものなのだが、車を降りてからここまで、姿どころか気配も感じない。
「確かに妙ですね。今朝来た時は現場の瘴気の影響で、この辺りもかなり集まってきていたのですが……」
上村はそう言いながら首をかしげた。瘴気や邪気も、ここからは特に感じられない。
その時、ふと風に乗って、笛の音が聞こえてきた。聞きなれない調べ。でも、どこか懐かしさを覚える、不思議な音色だった。
「!この笛は……」
「来てるんですか?」
泉穂と征志郎が、はっと顔をあげて同時に上村を見る。
「聞いていませんが、この音は確かに……」
「?」
一人だけ事情が飲み込めない圭一郎に、泉穂が補足する。
「——味方だよ。しかも超心強い、ね」
・
「うわっ……」
10分ほど歩いて林を抜けると、問題の廃校の真横に出た。校舎が視界に入った時、その滲み出る強烈な瘴気と独特な気配に思わず声が出る。少し離れたところに救急車2台と警察の車両が1台待機しており、一帯に緊張感が漂っている。
笛の音はもう止んでいた。
校門の近くに、陰陽連の職員らしき男性が2人。そして一際目を引く、和服の女性の姿があった。3人の足は自然とその女性の方へと向く。
「おひさしぶりです。
声をかけたのは泉穂である。赤を基調とした着物に、山吹色の帯(山の中なのでよく目立つ)。長くボリュームのある黒髪を一つに束ね、右肩側から手前に垂らしている。少し眠そうに見える厚みのある
「たまたま手が空いていたもので。……あら、この子は」
神楽坂は圭一郎を見ていた。征志郎が「
「……そうですか、あなたが」
と懐かしいものを見るように目を細めた。
圭一郎は神楽坂が右手に黒く艶のある横笛を持っていることに気がついた。笛の音は、彼女だったらしい。征志郎や泉穂の知り合いということは術士なのだろうが、おっとりとした優しい雰囲気の神楽坂は、全く術士らしくない。
「
泉穂が小声で圭一郎に説明した。
「プラスに?」
「あとで分かるよ。説明するより体験した方が早い」
——何だそれ。
圭一郎は不信感たっぷりの目で泉穂を見た。
「邪魔になりそうなものは鎮めておきました。周辺の民家も含めて、あと1時間くらいは大丈夫かと」
神楽坂が笛を少し掲げて征志郎に見せる。
「助かります。では早速」
征志郎は懐から数枚の半紙を取り出し、短く何かを唱えるとふっと息を吹きかけた。半紙は生命を得たように勢いよく、散り散りになりながら校舎へと吸い込まれていく。
征志郎はしばらくの間目を閉じた。式神を通じて校舎の中の様子を確認しているのである。そして再び目を開けると、一気に指示を出した。
「……
「種類と規模は?」
「
「外から中?」
「いや、逆で」
「援護します。時間は?」
「20分。それ以上は長引かせたくない」
「分かりました」
泉穂、神楽坂はそれぞれ準備に取り掛かる。
「俺は?」
ここまで連れてこられて、この緊張感のある現場で、まさか見学してろということはないだろう。圭一郎は若干焦りを覚えながら聞いた。
「お前には生存者の救出を頼む。瘴気に当てられて虫の息だが、1人だけ助かる見込みがある人がいる。2階の廊下だ」
「……分かった」
ということは、残りの4人は——。
その場にいる誰も触れなかったが、その事実は全員に重くのしかかった。
・
「——
結界術の一種——”
囲の機能の一つに、”現状保持”がある。囲は妖の出入りを制限し、一般人の目から隠すために使われることが多いが、今回は事態がこれ以上悪化することを防ぐ目的が大きい。さらに校舎を覆う常時結界が完成すると、征志郎は校舎に向かって歩いていく。途中で、ふと思い出したかのように振り返った。
「——そうだ、圭一郎。お前の最優先は生存者の救助だ。救助に成功したらすぐに校舎を出るんだぞ。何があってもな」
そう言って征志郎は、一足先に瘴気に満ちた校舎の中へと足を踏み入れた。
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