参ノ章 

 参ー1 廃校クライシス

第三十三話 ノイズ



 耳をつんざくように、ひぐらしが鳴いている。

 京都市郊外、Y集落。小高い3つの山に囲まれたこの集落は、過疎化が進み、住民はもはや両の手で数えられるほどしか残っていない。その寂れた集落の外れに、山を背にするようにして、十数年前に廃校となった小学校が建っている。蔦のはりついた校舎の壁はところどころ剥がれ落ち、赤茶色の鉄骨がのぞき見えている。

 

 日が傾き始めた頃、ふらりと、まだ若い細身の男が校舎から出てくる。男は、全力で走った直後のように全身にびっしょりと汗をかいていた。呼吸も早い。今し方この校舎の中で見た光景モノを思い出すと、叫び出しそうになる。

「救急車、……いや警察」

 震える手でポケットを探るが、スマートフォンを車に置きっぱなしにしていたことに気づく。

 荒れたグラウンドの脇には、軽トラックが一台と、白いワゴン車が一台停まっていた。軽トラは社用車——自分がここへ乗ってきたものだ。社名が入った白いワゴンは、校舎の解体工事のために下見に来た作業員同僚たちが乗っていたものに違いない。中にいたのは、やはり彼らだ。

「おえっ」

 吐き気が込み上げ、男は手で口を覆ってうずくまる。ここに着いてから、妙に体調が悪い。セミの鳴き声が脳の内側に響き、割れるような頭痛と吐き気が男を襲う。

「なんで、こんなことに……」


 そう呟いて、男はそのまま崩れるように倒れ込んだ。







「圭一郎、すぐに出る準備をしなさい」


 今日から夏休み、という日。学校をいつもより早く終え、昼過ぎに帰ってきた圭一郎は、玄関に入るなり父・征志郎にそう告げられた。

「何かあったのか?」

「説明している時間がない。後だ」

 征志郎は外出用の黒の着物に分厚い革のカバンを提げ、そのまま慌ただしく外へ出ていく。そのただならぬ様子を見て、圭一郎もすぐに荷物を置いて、その後を追いかけた。

 

 2人が蘆屋家の門の前に出たのとほぼ同時に、蘆屋家の前に黒いセダンが停まった。運転席には眼鏡をかけた見知らぬ男性。窓が反射して人まで判別できなかったが、後部座席にも1人乗っていた。

 征志郎は躊躇ためらわず助手席のドアを開ける。目で促され、圭一郎は後部座席に乗り込んだ。

「あれ?——ああそっか、今日から夏休みか」

 後部座席に乗っていたのは、いつもの袴姿の泉穂だった。圭一郎の姿を見て、一人で納得しながら後部座席のシートに置いていた大きな荷物を自分の方に寄せる。圭一郎が扉を閉めると同時に、車は勢いよく走り出した。


「……んで、何があったんだよ?」

 泉穂の声はいつもよりワントーン低かった。車内の大人たちの雰囲気からしても、これから聞かされる話が愉快なものではないことは確かだった。

「——怪異の最悪のパターンだ。一般人の犠牲者が出た」

 答えたのは征志郎だった。

「犠牲者?」

 日常生活で馴染みのない響きに、圭一郎は戸惑う。そこで初めて、運転手の眼鏡の男が口を開いた。まだ若く、30代くらいに見える。

「私から概要をお話ししても?」

「お願いします。私もまだ詳しくは聞いていないので」





「申し遅れました、私は陰陽連庶務担当の上村と申します。今回皆さんの送迎とサポートをさせていただきます」

 そう前置きをして仰々しく、上村と名乗った陰陽連の職員は語り始めた。


「現場は今向かっている、Y集落。その外れにある、15年前に廃校となった小学校です」

 Y集落——かつて鉱山資源の発掘拠点として開拓された山間部の村の一部である。近年の人口流出、住民の高齢化に伴い近隣の市と統廃合が進み、現在は村全体でも数世帯ほどしか残っていない。


「昨日、老朽化が進んだ校舎の解体工事の下見のために3名の工事業者が小学校に入りました。朝から出向いて、昼前には帰社する予定だったそうです。しかし、作業員たちは予定の時刻を過ぎても戻らず、3人とも連絡が取れなくなったため、Sという社員の一人が現場に向かいました」


 街を抜け、窓の外の景色に、少しずつ緑が多くなる。


「しかしそのSも、その日の夜になっても戻らず、音信不通となったのです。そこで、Sの会社から警察へ連絡がありました。現場へ向かった警察官らは、21時頃、小学校前で倒れているAを発見します。Aは意識不明で、ひどく高熱だったため、すぐに救急搬送されました。現場にいた警官2名が、残る行方不明の3人を探すために校舎に入ったのですが、彼らもまた出てこなかったのです。

 そして今朝、事態を深刻に受け止めた警察から陰陽連に要請がありました。私を含めた職員と術師数名で現地に行ったところ、校舎内にかなり異質な妖の気配があり、邪気が周囲に蔓延していました。救出を試みたのですが、校舎の中に入ろうとすると弾き出され、入れない。これは最低でも”へき”以上の術師の力が必要な案件だということになり、すぐに動けそうな術師に連絡がいったという次第です」


 一気に話し終えて、上村はふぅーと息を吐いた。

「ちょっと待てよ、5人もいなくなってるってことか?」

 圭一郎は身を乗り出す。犠牲者。まだいまいちピンと来ない。

「……まずいな。5人もと考えると非常にまずい。レベルとしては特級に近くなっているかもしれない」

 征志郎も表情を曇らせた。


 人に危害を加えるタイプの妖は、人を殺せば殺した分だけ力を得て、祓うのが難しくなるということは圭一郎も聞いたことがあった。しかし、今まで実際にその被害を目の当たりにしたことはなく、どこか遠い世界の話のように思っていた。

「意外とあるんだよ、こういうの。表沙汰になってないだけで。……まあ、ここまで重めの案件は僕も久しぶりだけど」

 圭一郎の表情を見て、ぼそりと泉穂が呟く。

「校舎内の邪気の濃度は一般人にとって致死量に近いレベルだと思われます。仮に直接妖の被害を受けてなくても、時間経過的に5人はもう……」

 上村はその後の言葉を濁した。車内に重い沈黙が流れる。

 

 その後、征志郎がさらに詳細を聞いていたが、車は思いの外早く目的地周辺に到着した。

「——着きました。ここがY集落の入り口です」

 











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