第二十九話 幻


「幻術……?」


 清崇は、確かにそう口にした。

 あれが、幻術——ということは、大首の幻を、意図的に作り出した術師がいるということだ。


「……一体誰が?」


 清崇は少しの間目を閉じて、ゆっくりと開く。


「——少し気づくのが遅かったようです。式神の目にも引っかかりませんでした」


 住宅街は、何事もなかったかのように静まり返っている。妖どころか、人の気配もない。

 ——見抜けなかった。

 清崇は、わずかに眉をひそめる。幻術か本物かくらい、見抜ける自信があった。

(いくら遠く離れていたとはいえ、この僕の目を欺くとは……)

 これほど高いレベルの幻術を使う術師に、清崇は一人だけ心当たりがあった。ただ、その人ではないことは確かだった。その人には、こんなことをする理由がない。

 ——そう、理由。

 幻術を作りだす理由。

 圭一郎たちをおびき出すためだったとしても、何かしてくる気配もない。

 2人は、共通の疑問を抱いていた。

 

 











「なるほど、幻術、ですか……」


 黒い牛皮のソファと木製のテーブルだけが置かれた、殺風景な部屋——陰陽連の応接室。清崇は、月番を担当している事務員のもとを訪れていた。月番の報告は本来、月末の1回でよいことになっているのだが、昨日の不可解な一件を報告に来たのである。


「実を言いいますと……」

 清崇の向かいに座っている、よれよれのグレーのジャケットを羽織った中年の男は、後退し始めたひたいをかきながらそう切り出した。

「先月も何件か、似たような報告が上がっていまして。中級程度の妖が出現して、向かってみたら跡形もなく消えていたというものなんですが、それももしや?」

 術師が術だと気づかないほど精度の高い幻術。同一の人物の術と考えて良いだろう。清崇は小さく頷く。

「……となると対応を急いだ方がいいですねぇ。相手が術師登録されている術師だとしても、未登録の術師だとしても問題です」

 

 事務員の返答を聞いて、清崇は少し考えてから、口を開いた。

「……この話、ここだけの話にしてもらえませんか。こちらが警戒していることを勘づかれたくない」

 事務の男は、驚いて顔を上げた。

幹部には……?」

幹部にも、です。それから今月の月番に、僕も加わります。7月ですし、人数は多いに越したことはないでしょう」

「……わかりました、清崇様がそういうのであれば」


「この件は、僕に任せてください。今月中に見つけ出して見せますよ」


 清崇はニコリ、と笑って席を立った。










『——というわけで、来週の月番もよろしくお願いします』

「……分かった」


 通話を終えたスマホをポケットに突っ込む。電話の相手は、安倍清崇だった。月番から2日経った日の放課後、圭一郎が校門を出た瞬間に、タイミングを見計らったようにかかってきた。


 清崇からの電話は、一言でいうと”協力の要請”だった。月番に当たった術師は、一ヶ月に5回ある巡回日を隔週で担当することになっている。そのため圭一郎の次の月番は2週間後になるのだが、幻術を使った術師を特定するために来週も巡回を頼みたい、というのである。

「連盟からの正式な”仕事”ではないので俸給は出ませんが、現状この話を知っていているのは僕たちしかいません。協力してくれますか?」

 そう言われて、幻術を使った術師の正体が気になっていた圭一郎は、承諾した。


「あ、圭一郎お兄ちゃん!」


 小学校の前を通りかかった時、突然名前を呼ばれて顔を上げる。校庭の方から駆け寄ってきたのは、先日泉穂からの依頼を通じて知り合った小学生——颯太だった。


「颯太か。元気だったか?」

「うん。今ね、サッカーしてたんだ」

 

 颯太がちらりと校庭の方を向いて言った。何人かの子供たちが、ボールを蹴って楽しそうに遊んでいる。明るい表情の颯太を見て、圭一郎は安心した。


「あれ……?」


 ふと、圭一郎の背後に目をやった颯太が、驚いた顔をした。つられて圭一郎も同じ方向を見る。

 通りを挟んだ反対側の歩道に、髪が長く、フリルのついたワンピースを着た少女の後ろ姿が見えた。


らん君だ、珍しい」

「藍、?」


 圭一郎は敬称に疑問を覚えて聞き返した。一瞬、違う人を見ているのかと思ったが、視線の先に子供は一人しかいない。その後ろ姿は、どう見ても女の子にしか見えない。

「うん。あの子、男の子だよ。全然喋んないんだけど、すごく綺麗な子で……同じクラスなんだ」


 車が数台、連続で横切る。再び向こうの歩道が見えた時には、もうその子の姿はなかった。

 圭一郎は、なんとなくその子のことが気になった。


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