第二十八話 夜空に浮かびしは


(こいつ、今俺ごと……)


 圭一郎は、地面に視線を落とす。自分がついさっきまで立っていた場所に、深々と突き刺さった矢。


 ——もし俺が避けなかったら、どうするつもりだったんだ?


「君なら避けられると信じてましたよ」

 清崇せいしゅうは、圭一郎の心を読んだかのようにそう言うと、つかつかと屋上のフェンスまで近づき、街を見渡した。

清水きよみず方面と……北山のあたりは向かった方がよさそうですね。手分けしましょう。僕が北山の方へ行きます」

 眼下に広がる街を見ながら、清崇は淡々と話を進めていく。


「俺に同行しなくてもいいのか?」

「してほしいですか?」

「……いや」

「僕も君に同行が必要とは思えません。効率も悪い。もし困ったことがあれば連絡してください。助っ人を送ります」


 状況が状況だからか、清崇は以前古物商”しのもり”で会った時とは全く雰囲気が違っていた。あの時の飄々ひょうひょうとした雰囲気はなく、どこか冷酷な空気をまとっている。


「全ての邪気を完全に除去する必要はありません。とくにひどい場所だけで充分です。妖の類は、中級以上なら迷わず排除でお願いします」

 

 圭一郎は無言で頷く。


「では、また2時間後に。陰陽連本部の前で会いましょう」


 早口に必要事項を告げ、清崇は屋上を後にした。圭一郎は排除、という言葉がなんとなく引っかかった。








「ふ——……」


 高台寺公園の前で、圭一郎は肩を回して、大きく息を吐いた。清水寺の正門前から巡回を始めて、約1時間。時刻はすでに0時を回っている。


 ——これは思ったよりも消耗するな。


 邪気の溜まった場所の浄化。普段は無意識にやっている簡単な作業なのだが、浄化には自身の陽の気を必要とする。月番では連続で浄化作業をすることになるため、慣れていないと体内ののバランスが崩れ、ひどく消耗するのだ。

 加えて、妖への警戒。圭一郎は迦楼羅に周囲を飛ばせることで、その役を任せていた。今のところ低級程度の妖しか出会っていないが、圭一郎は祓具の連続使用も初めてである。祓具も術師の体の一部のようなものなので、使用中は常に、呪力や体力を少しずつ消耗し続けることとなる。

 

(……迦楼羅を、いったん戻すか)


 時間的にあとは本部に向かいながら、というところだが、余力は残しておいた方がいい。そう判断して、迦楼羅を探すため夜空を仰いだ、圭一郎の表情が凍りつく。


「……なんだ、あれ」

 

 ブーーッ ブーーッ

 

 同時に、着信が入る。未登録の番号。清崇である。


「京都タワーの方角。見えますか?」


「ああ。何だよ、あれ?」


 南の空——ちょうど京都タワーの手前あたりに、巨大な女の顔が浮かんでいた。長く薄い髪は乱れ、顔ははっきりと見えないが、口が大きく裂けているようにも見える。


「——大首おおくび。古典的な妖怪です。レベルは中級以上。実際に見るのは僕も初めてです」


 小さい頃から多種多様なを見てきた圭一郎も、見たことのない妖怪である。


「僕も向かいますが、そこからなら君の方が近い。祓えそうであれば祓ってください。難しそうであれば僕が着くまで放置でお願いします。下手に逃しても面倒なので」


「——ああ」


 あまり期待していないような物言いに、圭一郎は絶対に俺が祓ってやる、と心に決めた。








(……どこいった?)

 

 鴨川に面した住宅街。大首が現れた、ちょうど真下のあたりである。現場付近に着いた圭一郎は首を傾げた。先ほどまで闇夜に浮かんでいた生首が、忽然と消えたのだ。


(何か変だ)


 違和感は、ここに向かっている時からあった。普通は対象に近づくと、妖の気配が強くなるのだが、全く変化がなかった。ずっと、一定の距離をおいた場所にいるかのような感覚。

 そして現場付近に着いた瞬間、生首も、気配も消えてしまった。フッと、まるで誰かがテレビの電源を落としたかのように。

 

『ふふふっ』


 どこからか、少女の笑い声が聞こえた。圭一郎は瞬時に周囲を警戒するが、何も起こらない。


「……だまされましたね」

 声のした方に目をやると、数十メートル向こうに清崇が立っていた。決して大きな喋っているわけではないのだが、夜の静けさのせいで、離れていてもはっきりと聞き取れた。



「——幻術です。しかも非常にレベルが高い」








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