弐―3 夢か現か幻か

第二十六話 月番


 

 ——夜の十条。大通りから少し離れた住宅地。

 街灯の白い明かりがぽつぽつと寂しげに続く路地は、0時を回った今、夜に丸ごと飲まれてしまったかのように静かである。

 そんな静寂の中に、少女の歌声が響く。


『まーるたーけえーびすーに おしおいけー…

  あーねさんろっかく たーこにしきー……♪』


 藍色の瞳。人形のように整った顔立ちに、透き通るように白い肌。夜の闇と同じくらい黒い、腰まで伸びたストレートの髪が、歩く度にリズミカルにゆれる。まだ小学生くらいに見えるその少女は、西洋人形の様な、大きなフリルやレースがついたワンピースを着て、夜の闇を1歩いている。


 その子の頭上——空には、巨大な女の生首が一つ、不気味に浮かんでいる。


「……ねぇ、まだやるの? そろそろ、よ」


『せったちゃらちゃら うーおのーたなー……♪』 


「……聞いてる?」

 

 この場には少女がたった1人。歌声は確かに少女から聞こえ続けているが、その口は


『じゅうーじょうーとうじで とーどめさす』


 少女は、ふぅと短くため息をつくと、手を空にかざした。空に浮かんだ生首は、一瞬ゆらりと揺らめくと、跡形もなく消えた。








 ジリジリと、蝉の声がそこかしこに鳴り響き、夏の訪れを主張している。


 八塚神社の本殿裏。参道へ合流する細い小道の途中にある、少し開けた空間。そこに置かれた長い石のベンチの両端に、圭一郎と泉穂が腰掛けている。圭一郎は、先日の化け猫騒動の顛末てんまつを泉穂に話していたところだ。


 「——へぇ。そんなこともあるんだね」

 

 なぜ2人は社務所ではなく、このような木々に囲まれた人目につかない場所にいるのかというと、単にここの方が涼しいからである。


「ったく、もう余計な仕事持ってくんなよ」


 泉穂は曖昧に微笑む。圭一郎は、こいつはまたどこからか依頼を持ってくるに違いない、と確信した。


「ところで、そろそろじゃない?」

「……何が?」

「夜のお仕事」

「言い方」


 泉穂が言っているのは、”月番つきばん”のことである。月番とは、術士登録をしている術士に割り当てられた、巡回当番のことだ。月番に当たった術士は、その月に数回、決められた日に市内を巡回し、瘴気の除去や人に害を為す妖を払うという仕事がある。

 圭一郎の初めての月番が今月、7月の第2火曜日——つまり明後日に迫っていた。


「最初は他に術士が同行してくれるんだっけ?」

「ああ、誰なのか聞いてねぇけど」

「また新しく術士と知り合えるかもね。楽しみだね」


 (楽しみ……なのか?)


 言われてみて圭一郎は、確かに少しだけ、期待している自分がいることに驚いた。

 ここ2,3ヶ月で術師もそうでない人も含めて、たくさんの人と知り合った。陰陽師になると決めなければ、出会うことのなかった人々。また、自分にないものを持つ、強い術士に会えるかもしれない。そう思うと、少し気持ちが高揚した。

 人と関わることを避けていた以前の自分なら、信じられないことだった。



「祭り期間だし、念入りに頼むよ」


 泉穂はそんな圭一郎の変化を、嬉しく思っていた。






 


 7月の京都はどこもかしこも賑やかだ。1ヶ月間丸々が、京都三大祭りの一つ、祇園祭りの開催期間にあたるためである。


 人が多く集まれば、それだけ「邪気」が集まりやすくなる。また、祭りという非日常は、時にを寄せ付ける。7月の月番は、かなり労力がいることから、術士の間で嫌われていた。

 だからこそ、臨時で新米術士蘆屋圭一郎に同行する術士を探すのは一苦労だった。


「だれか引き受けてくれないものかな……」

 陰陽連の事務担当、勤続10年目になる男は、あきらめ半分で専用の掲示板に求人を出した。

 最近、月番に出た術士から妙な報告がされていることも気がかりだった。できれば階級の高い術士のほうが安心できるのだが、そうなると人数が限られてくる。もし見つからなければ、面倒だが直接依頼するほかない。

 

 音沙汰のないまま2週間が過ぎ、これはもう直接願い出るしかない、と重い腰を上げたかけた頃。自分が引き受ける、と連絡を寄越してきた人物がいた。


 そしてそれは——少し意外な人物であった。

 




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