第二十五話 見つけてくれて
次の日の土曜日。圭一郎、華絵、颯太の3人は、電車を乗り継いで、京都市内のとある河川敷に来ていた。
北小学校——颯太がもといた学校の近くの河川敷である。ここが、颯太の言うクロ丸の居場所の”心当たり”だった。
「散歩には、いつもここに来てたんです。はじめて会ったのもここでした」
颯太が橋の上から川をのぞき込む。日の光を受けて、水面がキラキラと輝いている。
「——どう?」
華絵が小声で圭一郎に聞いた。圭一郎は首を横に振る。来る途中、2人は颯太が元いたという家や、学校の方角にも注意を払いながらここまできた。人間の霊や低級の妖の気配はあっても、その中に猫らしきものはなかった。
「……あの、やっぱりいませんか?」
「そうね……」
華絵の返答を聞いた時の颯太の表情は、どこかホッとしているように見えた。
『こっちが探す気になれば、すぐに見つかると思う』
圭一郎は、昨日の泉穂の話を思い出していた。
(……
華絵も考えていることが同じだったのか、2人は同時に颯太の方を見た。
「颯太、お前やっぱりまだクロ丸に会うのが怖いのか?」
「……」
その通りだった。あんなに仲良くしていたのに。自分が世話をしたくてこっそり飼っていたのに。自分の都合で、さよならも言わずに追い出してしまった。きっと、ものすごく恨んでいるに違いない。
クラスメイトから、猫の影に追いかけられたという話も聞いた。僕が会ってしまったら、どうなるのだろう。
圭一郎は、うつむいて黙ってしまった颯太の横に立つと、橋の欄干に寄りかかりながら言った。
「クロ丸は、別にお前のことを恨んでる訳じゃねぇと思うぞ」
「……どうして?」
その問いに答えたのは、華絵だった。
「私もそう思う。だって今まで何もされなかったでしょ、あなたも目撃者の子たちも。本当に恨みがあって化けて出てるなら、もっと攻撃的になるはずよ」
「……じゃあ、なんで?」
「それを知るためにも、会おうぜ。お前が怖がってるから、出たくても出てこられないんじゃねーの?」
颯太はその言葉にハッと顔を上げ、走り出した。
(やっぱりこのままは嫌だ。僕は————僕は、クロ丸に謝りたい)
颯太が土手を駆け下り、草むらに足を踏み入れた、その時。
「……!」
圭一郎たちは、確かにすぐ近くに猫の霊の気配を感じた。
颯太の腰ほどまである背の高い草むらは、辺り一面に、川縁まで続いている。その手前の方で足を止めた颯太は、草むらの向こうに何かを見ているようだった。
「……クロ丸!」
颯太が叫んだその瞬間、その場にいた全員に、クロ丸の記憶が流れ込んできた。
・
人に優しくされたことなんてなかった。だって黒猫は、不吉だから。
「うわっ、なんだこの猫! どっから入ったんだ?」
たくさんの段ボールが積まれた、一軒家の庭。中年の男性が、プレハブの小屋を開けて叫ぶ。おそらく引っ越し作業中の、颯太の父親だろう。その声に驚いて、二階の窓から少し焦った表情の颯太が覗く。
「なんだ、颯太、この猫知ってるのか?」
「……知らないよ、そんなぼろっちい猫」
ホウキでなかば追い払われるようにして、颯太の家を後出て行くクロ丸。河川敷の方へ向かって、とぼとぼと歩いていく。
別にどうってことない。元の生活に戻るだけ。野良の、弱くて、忌み嫌われる黒猫に戻るだけ。
でも、最後に見た颯太の表情が目に焼き付いて離れなかった。
・
場面が切り替わる。雨が降っている。道ばたを歩くクロ丸は、心なしか少しやせて見える。
せまるトラック。急ブレーキの音。
かろうじて直撃は避けたが、足に怪我を負ってしまう。体が鉛のように重く、全身が痛い。自分はもうだめだろう、と思った。
——そうだ、あの場所に行こう。
颯太と出会った、あの草むら。よく散歩に行った河川敷。あそこなら、誰にも見つからない。
足を引きずりながら、少しずつ前へ進む。半日以上かかって、なんとか河川敷までたどり着いた。体力はとっくに限界だった。
草むらの中で、川の音を聞きながら目を閉じる。ここは静かだ。草が長く伸びているから、誰もここまでやってこない。
——いや。たった一人だけ、ここにいた自分を見つけてくれた人がいたな。
颯太は新しい学校でうまくやれているだろうか。またいじめられて、泣いたりしてはいないだろうか。
意識が途絶える瞬間も、思い出していたのはやっぱり颯太の顔だった。
・
「……クロ丸」
そうか。そうだったんだ。クロ丸はいつだって僕のことを——。
颯太は、草むらの向こうに黒い猫の影のようなものを見ていた。はっきり見えないが、颯太にはクロ丸が草むらの向こうに丸くなっているように感じた。出会ったときと同じだ。
「ごめん。ごめんね」
——今、行くから。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、草をかき分けて進んで行く颯太。圭一郎と華絵は、その様子を少し離れた土手の上から見守っていた。
——ザッ
颯太が最後の草薮をかき分けて、川縁にたどり着く。その瞬間——
『見つけてくれて、ありがとう』
――フッと、猫の気配が消えた。
・
「うっ……うう……」
泣きじゃくる颯太の足下には、クロ丸の
――”化け猫”の目撃情報が始まったのは1ヶ月前。颯太は家を出てからすぐに死んでしまったのではと言っていたが、少なくとも最初の方は、クロ丸は生きていたことになる。
「ずっと心配だったのね、あなたの事が」
生きている時も、命が尽きたその後も。その強い想いが、実体となって現れたのである。
3人はその場所にクロ丸の亡骸を埋めて、川で大きめの石を拾い、お墓をつくった。
颯太がしゃがんで手を合わせる。
(僕、毎日学校に行くよ。新しい学校で友達もできたんだ。だから、もう心配しないでね)
「また来るからね。——大好きだよ」
どこからか、猫の鳴声が聞こえたような気がした。
《 弐-② 了 》
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