弐ー2 黒猫と少年

第二十一話 猫


 とある集合住宅に隣接した、小さな公園。

地面に伸びた影が長くなる夕方頃、数名の小学生が遊んでいた。


「ねぇ、そろそろ帰ろうよ」

辺りが暗くなり始めたのを見て、1番体の小さな女の子が不安そうに言う。

「えー、もうちょっと遊んでいこうよ」

「でも、暗くなってきたよ」

「そうだなーあんまり遅くなると怒られるし」

「腹減ったし帰るか~」 


 帰る方向で意見がまとまった子どもたちは、各々おのおの走って公園を出ようとした。

 最初に勢いよく飛び出した男の子が公園を出た途端——フッと辺りが暗くなる。まるで急に太陽が雲に隠れて、日陰になった時のようである。


「ん? なんだ?急に暗くなったぞ」

 

 子どもたちは足をとめ、きょろきょろと辺りを見回した。

  

「ね、ねぇあれ……!」


 1人の女の子が指を指した先は、公園の前の大きな家のブロック塀。全員が目を向けると、そこには————


 巨大な、猫のシルエット。

 口の部分は赤く、三日月形にぱっくりと割れている。


「「「うわあああああああああああ」」」


 小学生達は、一目散に駆けだした。












「——まさか、圭ちゃんの初仕事の相手が紀野さんだったとはね」


 梅雨も明け、6月も最終日。

 八塚神社の社務所奥の和室で、泉穂と圭一郎は神籤みくじの整理をしていた。7月の観光客増加を見越した準備に、圭一郎がつきあわされているのだ。


「知り合いなのか?」

「まあ、せまい業界だからね。何回か一緒に仕事したことあるよ」


 木札を通し番号順に並べて箱に入れる手は止めず、2人は会話を続けた。


「……あの人、何者なんだ?」


 先日、陰陽師として初めての正式な”仕事”で、圭一郎は人が消えるという地下駐車場の調査をした。その時一緒に組んだ相手——紀野雅夜きのまさやは、普通の術士とは明らかに違っていた。

「僕らと一緒さ。ちょっとばかり高名なご先祖様を持ってる」

 ここ、とでも言うかのように、泉穂は作業を中断して床を二回指さした。


(……八塚神社?)


 八塚。八傑はっけつ。紀野——。


「——あ。」

 圭一郎は、そこで気づいた。八傑の8人の中に、きのと名のつく術士がいることに。


「そういうこと。でも、本人は術士としてスカウトされるまで、八傑のことすら知らなかったみたいなんだ。紀家きのけは何百年も術士が生まれていなかったし、もうその存在すら忘れられかけてたくらいだから、陰陽連も術士登録の時にその実力を見るまで気づかなかったらしい」


 平安時代の八傑の1人、紀廣常きのひろつね。低級程度であれば都中の妖を一掃することができたといわれているほど、莫大な呪力を扱う事ができた陰陽師の名である。その末裔が、紀野雅夜なのだという。


「へぇ……道理で。八傑の子孫って、今も全員残ってるのか?」


「いや。卜部うらべとか、ずっと昔に家系が絶えてる所もある。子孫って言っても全員が術士の素質を持って生まれる訳じゃないから、家系は残ってても術士がいないとこもざらに……」


 そこまで言いかけて、泉穂は何かに気づいて口をつぐんだ。


(そうか、じゃあ今はかなり異例なのか。卜部以外の全ての家系が、しかも術士がいる……)


 泉穂はちらりと圭一郎を見た。目が合った圭一郎は、「?」という顔をした。


「——よし、だいぶ整理できたね。助かったよ、ありがとう」


 パン、と話題を変えるように手を叩くと、泉穂は冷蔵庫から冷えたペットボトルのお茶を持ってきた。1本を圭一郎に渡し、自分も一口飲むと、思い出したかのように言った。


「それはそうと圭ちゃん、猫は好き?」


「はぁ?」







 突然何を言い出すのかと思ったら、泉穂が八塚神社によく来る女子高生たちから聞いた、という怪異の話だった。(八塚神社には女子高生がよく訪れる。決して信心深いからではなく、泉穂を拝むためである) 


 彼女らの妹や弟の通う小学校で、「化け猫」を目撃したという噂が流行っているというのである。巨大な猫の影を見たとか、その影に追いかけられたとか、なぜか目撃者は全員小学生なのだという。


「どうせその学校ならではの怪談的なものだろうと思って聞いてたんだけど、別の学校の子達も同じことを言っててちょっと気になったんだ」

「都市伝説とかじゃねぇの?」


 圭一郎は顔をしかめた。この手の話は定期的に流行るのものだ。


「うん。でもまぁ、調べてみてもよさそうじゃない?」


「……誰が?」


「え? 圭ちゃんに決まってるでしょ」


「は?」

「え?」


 結局、泉穂も手伝うという条件で、圭一郎はこの化け猫の怪異を調べることになった。

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