第二十話 境目の謎


 (この程度ならを使わずに済みそうだ……! あとは頼んだよ、圭一郎君!)


 紀野は呪力の出力を上げ、結界を破ろうとする無数の腕を一気に押し返す。腕が完全に境目の中へ押し戻された時、圭一郎の詠唱こえが響いた。


「天地然、浄天、万奸、生霊無幽不照、無幽不浄――急急如律令!」

 

 迦楼羅が弾かれたように飛び立つ。そのまま勢いを殺すことなく、輝く翼を大きく広げ、地面にぱっくりと開いた境目の上を旋回する。

 その軌跡が赤色の光の筋となって、何やら文様を描き出す。


(……頭に呪文が流れ込んできた。迦楼羅の力だな)


 もう一度言えと言われても無理だ。紀野も圭一郎本人も初めて聞く呪文だった。

 境目の上を飛び回る、迦楼羅を目で追う。

 赤い光の軌跡が描き出した円。その弧上の3点を結び、さらにもう3点――六芒星である。そこに、ややずれる形で同じ文様が2つ。六芒星が計3つ、中心を結んで三角になるように重なり合っている。


(これは……じん?)

 

 宙に描かれたその陣が、そのまま、その形で、ゆっくりと境目の上に降りてくる。

 

 紀野は陣が境目に触れるタイミングで、簡易結界を解いた。

 境目にふたをするように下りてきた陣は、赤く光りながら、回転し―――3つの六芒星が完全に重なった時。

 

 一瞬、まばゆい光に目がくらむ。圭一郎も紀野も腕で顔を覆った。


 次に目を開けると―――割れ目があった場所は、ただのコンクリートの地面に戻っていた。



 境目は、完全に閉じた。










 紀野が電話で陰陽連へ報告して10分もたたずに、駐車場のゲート前に黒いセダンが到着した。中から、白装束をまとった男が3人下りてくる。全員年齢は高めだった。

 圭一郎は後で知ったことだが、白装束は陰陽連の中でもほんの一部、幹部の正装らしかった。幹部の主な仕事は本部の運営であり、滅多なことが無いと現場に出てくることはない。”境目の突発的な出現”は、それほど重大な事案だということである。

 

 3人は紀野と圭一郎から簡単に事情を聞くと、

「あとは我々が引き継ぎます」

と言って、地下駐車場へ下りていった。駐車場の入り口には、臨時の立ち入り制限の看板がかかった。


瘴気しょうきの除去、手伝いますか」

 境目からあふれだした瘴気はB1まで充満し、周囲にも広がりつつあった。紀野が気を利かせて、最後に地下へ下りようとしていた術士に声をかけたのだが、

「いえ、結構です。お疲れになったでしょう、早く帰って休んでください」

と言われてしまい、2人は現場を後にせざるを得なくなった。


 圭一郎にはなんとなく、陰陽連の幹部たちが自分達を早く現場から遠ざけたがっているように見えた。











 

 S駅のホーム。圭一郎と紀野は、ベンチに腰をかけて、電車を待っていた。 

 紀野は宇治の自宅へと戻るらしかった。圭一郎とは反対方向だったが、ホームが同じだったので、流れで一緒に待つ形になった。 


「うーん、なんかスッキリしない終わり方だね」


 圭一郎も同感だった。人が消える原因は分かったし、ひとまず境目を封じることにも成功した。でも、解決していない疑問が多すぎる。

――なぜ境目が急にあの場所に現れたのか?

――これまでの3件も同様だったとすると、どんな条件で境目は現れるのか?

 それを今、陰陽連が究明してくれているのだろうが、なんとなく釈然としない。


「……それはそうと、圭一郎君。今日は本当にありがとう」


 紀野は圭一郎に向き直ると、軽く頭を下げた。大人に改まって礼を言われ、圭一郎は落ち着かない気分になる。


「いや、俺の方こそ」


「君のサポートを依頼されてたのに、むしろ助けられちゃったね。――君は命の恩人だよ」


 そう言って紀野は、おもむろに立ち上がり、右手を差し出した。


「あれは迦楼羅が……」


 圭一郎は右手の指輪リングをちらりと見た。あのあと、気づくと迦楼羅は姿を消し、指輪はもとに戻っていた。

 ――紀野さんを助けられたのは、迦楼羅の力があったからだ。

 

 そんな圭一郎の心を読んだかのように、紀野はふっと笑った。


「違うよ。祓具は、術者の力を最大限引き出してくれるけど、術士の力量以上のことはできないって聞いたことがある。だから僕や、他の術士がその指輪を使っても同じ事ができるわけじゃない。正真正銘君の力だ」


――引き出せる能力ちからは力量次第。確か、篠杜もそんなことを言っていた。


 圭一郎も立ち上がり、右手を差し出す。2人は固く握手をした。


『まもなく、二番線に列車が参ります――…』

 ホームにアナウンスが響く。電車の音が近づいてくる。


 圭一郎は、ふと気になったことを尋ねた。


「紀野さんは?」


「ん?」


「祓具、何か使ってたりするのか?」


 使っている様子はなかったが、あれだけ豊富に呪力を操れる人なら、何でも使いこなせそうである。他の術士の使う祓具を見てみたい、という気持ちもあった。しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。


「いや。僕は


ゴォッと音を立てて、電車がホームに入る。


「え……」


「それじゃ、また組むことになったらよろしくね」


 紀野はバタバタと二番線に入ってきた電車に乗り込んだ。乗り込む時に、足を引っかけてもたつく。締まらない人だ。

 すぐにホームドアが閉まり、電車はゆっくりと動き出した。


(……もしかして、俺はすごい人と組んでたのか?)


 圭一郎は紀野の乗った電車が遠ざかっていくのを、その姿が見えなくなるまで見送った。



      《  弐-① 了  》

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