第十八話 祓具の力


 「……―――っ!」


 雨の音だけが、やたらと大きく聞こえた。ついさっき、地下駐車場へ下りていったはずの紀野が、どこにもいない。圭一郎は、全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。


 落ち着け。―――そうだ、電話。

 合流が上手くいかなかったときのために、陰陽連から紀野の連絡先を聞いていたことを思い出す。震える手で紀野の番号にかけた。


『おかけになった電話番号は、現在電波の届かない所にいるか――』


 (くそっ、俺があいつらに構ってたばっかりに)


 誰かに助けを呼ぶか? 陰陽連に応援を要請する?

 一瞬よぎったその考えを、圭一郎はすぐに振り払う。紀野の身に危険が及んでいるかもしれないことを考えると、そんな時間はなかった。

 

 ――俺がなんとかするしかない。

 圭一郎は地下駐車場のスロープを、一気に地下2階まで駆け下りた。


 呼吸を整え、周囲に感覚を張り巡らせる。山籠りで習得した、研ぎ澄まされた感覚を呼び起こそうとしていた。紀野と別れたのはほんの5分前。あれほど呪力の多い人だ、何か痕跡が掴めるはずだと踏んだのである。

 

 予想は当たった。

 わずかだが、この地下2階に紀野の呪力を感じとることができた。

(間違いない、紀野さんはさっきまで地下駐車場の中にいたんだ。それでも見つからないって事は姿を見せられない状況にあるってことか?)

 圭一郎は駐車場を歩き回りながら、呪力の位置を探った。


 不思議な感覚だった。どこを歩いても、紀野の呪力の気配を感じた。近いようで遠い。遠いようで近い。

 どうすることもできず、焦る気持ちだけが募っていく。


「くそッ……」


 圭一郎は、自分の無力さにいらだっていた。

(――あの時と何も変わってねぇ。周りの人間くらい守れるようになるんじゃなかったのかよ)

 特級と対峙した時のことを思い出す。苦しそうな観月の表情。体を張って怪我を負った小金井。泉穂に助けられっぱなしだった自分。

 

 ――――もっと自分に力があれば。そう願った、次の瞬間。


『望みはなんだ』


「……!」


 突如、圭一郎の頭の中に声が響いてきた。男とも女ともつかない声。圭一郎はこの声に、聞き覚えがあった。


『望みはなんだ』


(この声、夢の……!)


 圭一郎は祓具ふつぐを手に入れてから、よく同じ夢を見るようになっていた。その夢の内容を、今の今まで忘れていた。暗闇の中で、何かをずっと訴えてくる声。


『我が名を呼べ。そして願え。我はそなたの望むまま、姿を変えよう』


 そうだ、名前。おそらく指輪コイツに宿るという、魂の名前。俺はそれを知っている。

 俺の今の望みは一つ。

 紀野さんを、助けたい。


『我が名は―――』


「『迦楼羅カルラ』」











 カッと、周囲が金色の光に包まれた。光のもとは、圭一郎の右手の指輪の石である。


「!!」


 右手から、指輪の重さがふっと消えた。見ると、指輪は跡形もなく無くなっている。同時に、拡散していた光が集まり、何かの形を作っていく。


「……鳥?」


 それは、金色に発光する大きな鳥のように見えた。尾が長く、くちばしも見たことがないほど長い。

(こいつが、迦楼羅かるら……)

 そのおおとりは、低い天井を一周すると、ある一点に向かって勢いよく下降した。そこはただのコンクリートの床に見えたが―――


 迦楼羅が接地した瞬間、ヒビが入ったかのように、空間に亀裂が走る。その割れ目から、強烈な瘴気しょうきが流れ込んでくる。


(この感じ……!境目さかいめの結界が破られた時と同じだ)


 彼の岸と此の岸をつなぐ”境目さかいめ”。人ならざるものが唯一こちらの世界に行き来可能になる、通路のようなものである。蘆屋家が襲撃をうけたあの日は、特級レベルの妖が通る境目の結界が破られていた。

 その時に感じた、濃度の濃い瘴気しょうきと似ている。


(地下駐車場こんなとこに境目が?境目の場所は昔から決まってるんじゃねぇのかよ)


 日本に存在する全ての境目に結界が張られている訳ではない。しかし、境目の場所は古来から変わっていないため、陰陽連がすべて把握している。もしこの場所に境目があるなら、陰陽連から送られてきたファイルに情報があるはずだった。


 迦楼羅は勢いをつけ、もう一度その割れ目に向かって飛び込もうとした。その間際―――


―――ドンッ


 大きな音がしたかと思うと、割れ目が一気に広がり、中から黒い影が飛び出した。

 








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