第十五話 仕事の相手
――a.m.10:00。京都市内、S駅前ロータリー。
くたびれたワイシャツにネクタイ。後ろを刈り上げた、無秩序な天然パーマの茶髪。まだ青年っぽさを残す爽やかな顔立ちだが、その目下には黒々としたくまができている。休日にも関わらずこんな格好なのは、昨日家に帰っていないからだ。帰れなかった、というほうが正しい。
紀野が勤める広告会社は、いわゆる”ブラック企業”だった。仕事が終わった時点で終電はとっくに逃していたし、次の日(いや、正確には今日だ)市内で予定があることを考えると、ビジネスホテルを借りた方がいいと判断したのだ。
結局、一瞬でも寝たら起きられないような気がして、一睡もできていない。
――辞めればいいじゃないかって?
辞められるものなら辞めたい。幸い僕にはもう一つ稼ぎ口があるし、そっちを本業にしてもいい。
でもそう簡単にはいかないのが現実だ。典型的な社畜だな、と自分でも思う。
紀野のもう一つの稼ぎ口―――それは、術士としての仕事である。
”今回が初仕事の、新米術士の面倒を見てほしい”。
数日前、陰陽連からそう依頼されて、合流場所と仕事の概要を聞いた。こういうときに適当な理由をつけてでも断れないのが、紀野の性格である。
(――っていっても名前と、男子高校生ってことくらいしか聞いてないんだよな……。陰陽連ってそういうとこ雑だよなぁ)
ここは駅前だ。しかも土曜日だ。高校生らしき男の子なんてさっきから山ほど見かけている。その術士のことは名前くらいなら風の噂で聞いたことがあったが、顔も身体的な特徴も知らない。本当に合流できるのか、紀野は不安になってくる。
(――まずい。急に緊張してきた。高校生からしたら30過ぎの僕なんてオジサンだよね? 高校生って、16歳とか? 話通じるかな?)
過度の心配性で緊張しいなのも、紀野の性格だった。
ふいに視線を感じて顔を上げると、向かいの歩道にいた人物と目があった。
「ひっ」
思わず声が出る。
(今、睨まれた……? しかもすごい形相で)
頬にアザのあるその人物は、紀野を睨みつけたまま、道路を渡ってこちらに向かってくる。襟足長めの黒髪。歳は……ちょうど高校生くらいだろう。
(え? 僕何かした?!)
やたらと人相の悪いその人物は、つかつかと近づいてきて―――紀野の目の前で立ち止まった。見るからに、といった風貌に紀野は一歩後ずさる。彼の脳内は、軽くパニックになっている。
(めっちゃ睨まれてるし! 無理無理怖すぎる――)
目の前の男が、ゆっくりと口を開く。
紀野の脳裏に、「恐喝」「オヤジ狩り」という少し古い言葉がよぎった。
「
「……――蘆屋、圭一郎君?」
・
・
「人が消える地下駐車場か……徹夜明けに聞きたい話じゃないなぁ」
陰陽連から送られてきたファイルを開きながら、紀野がつぶやく。
圭一郎は陰陽連から紹介された仕事の相手――
「……寝てないんですか?」
「うーん、3日くらいまともに寝てないかも」
紀野はそう言ってエナ〇ードリンクをあおった。
(……大丈夫なのか、この人)
実は圭一郎は、合流するにあたって、事前に陰陽連の職員から紀野の風貌を聞いていた。
『――”呪力が
その時は言っている意味が分からずに首をかしげたのだが、合流場所のロータリーに着いて、納得がいった。目元に黒々としたくまをつくった、やたらと顔色の悪い細身のサラリーマン。医者でなくても「大丈夫ですか?」と声をかけたくなる。そして何より――紀野の体からは、本当に呪力が湧き出ているかのように、絶え間なく流れ出していた。体に留められずに、あふれ出しているというほうがいいかもしれない。
”呪力の総量”は人によって決まっているため、普通は使える量に限りがあり、それを越えると命に関わる。しかし紀野は体質上、ほとんど無限に、無意識の内に、呪力を生成することができた。
「なんだか落ち着かないから、敬語じゃなくていいよ。その方が君も楽でしょ?」
「……わかった」
地下道を出て、駅の裏手へ回ると、一気に人通りが少なくなる。開いている店よりもシャッターが下りている店の方が多い、
ちなみに紀野は内心、この見た目の怖い、決して愛想がいいとは言えない男子高校生を前に緊張していた。一応年上で、術士として先輩なので精一杯余裕を見せているのである。
「問題の現場に着く前に、情報を整理しておこう。今向かってるのは、ここ。S駅北口から400メートル先の、地下駐車場。”人が消える”怪異が続いてるらしい」
紀野はスマホのマップを開いて場所を指し示す。
慣れている風に先導しているが、紀野とてそこまで経験値が豊富ではない。彼が術士になったのは、ほんの数年前のことである。平日は広告会社の仕事があるため、ほぼ土日しか動けないという事情もある。
「えーと、警察からの情報提供によると、行方不明になったのはこの半年で3人。3人は年齢も性別も消えた時間帯もバラバラなんだけど、どうやら全員、最後に立ち寄った場所がその地下駐車場らしい。これがそのデータだよ」
2人組で仕事をする場合、情報の拡散を最小限にするため
(1例目) 202×年1月15日(金)
被害者:■■■ ■■(37) 会社員
同日18:53に地下駐車場を利用開始。
日付が変わっても自宅に戻らず通報を受けて捜索したところ、
地下駐車場F2-13にて車だけが見つかった。
監視カメラは動作不良によって機能せず。
(2例目) 202×年3月25日(土)
被害者:■■ ■(19) 大学生
サークルメンバー9名で、B1にてスケートボードの練習中に失踪。利用開始時刻20:00頃。21:30頃に駐車場を出ようとしたところ、数分前まで一緒にいた被害者の姿が見えないことに気づく。
監視カメラの死角にあたり、詳細を確認できず。
(3例目) 202×年6月17日(水)
被害者:■■■ ■■(51) 主婦
14:20に地下駐車場B2-8を利用開始。近くの商店街へ買物へ出た後、監視カメラの映像で15:35に車に乗り込む姿が確認されているが、管理ゲートに出庫の記録なし。車ごと失踪。
「3例目で地下駐車場との関連と事態の異常性に気づいて、警察から
陰陽連が警察も公認の組織であることに、圭一郎は素直に驚いた。紀野によると、警察が手に負えないと判断した事件が陰陽連へ回ってくるパターンはよくあるらしかった。
「……妖の仕業、ってことか?」
圭一郎は紀野にスマホを返しながら聞いた。人を食ったり、連れ去ったりする妖は古来から存在する。
「――どうだろう。他にも可能性は考えられるよ。いずれにしても、原因をつきとめてなんとかしろってことなんだろうけど……場合によっては今日中に片付かないかもしれないな」
「……他の可能性?」
紀野はその質問には答えず、マップから顔をあげた。
「――――ここだ」
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