第九話 華絵の術式



 コンビニの駐車場に到着した圭一郎たちが目にしたのは、予想外の光景だった。

 

 成蟲せいちゅうに憑かれていたのは、一人ではなかった。暴れる男性客を取り押さえようとしているように見えた店員も、近くで見ると明らかに様子がおかしい。目は血走り、額には血管が浮き出て、客に爪を立てながら掴みかかっている。二人とも、圭一郎たちが近くまで来たにも関わらずまるで視界に入っていない様子で、言葉にならないうめき声をあげながら取っ組み合っていた。


「――まずいわ。成蟲は増殖も早いの。早く祓わないと、伝染する」

「そうみてぇだな。中も全滅だ」

 圭一郎はコンビニの店内を顎でしゃくる。店内では4人の客が、商品棚に体当たりしたり、ペットボトルや瓶を投げ合ったりしていた。


「おい、何をしてるんだ! やめないか」

 異変に気づいた通りすがりの中年男性が、取っ組み合う2人を止めようと近づいてきた。

「近づいちゃだめ!」

 華絵の強い制止に、男性はびくっとして立ち止まる。


「おじさん、ここは私たちに任せて、警察を呼んできてくれませんか? さっき、向こうの通りにいたので」

 華絵の口調は穏やかだが、有無を言わせぬ迫力がある。もちろん警察なんてどこにもいない。

 中年男性は「わ、わかった」と頷き、その場を離れていった。そうこうしている間にも、通行人が「何だ?」「ケンカか?」と足を止め始める。


「――さすがにちょっと外野が多いわね。あんた、憑いてる成蟲を外に追い出せる?」

「……たぶん」

「頼んだわよ。私は先にここを隔離する。全部追い出せたら、合図して」


 なんでこいつに指図されなきゃならねぇんだ、と思いながらも、圭一郎は場慣れしていそうな華絵に大人しく従うことにした。




   




 「四方しほうの陣、隔て、隠し給え」


 華絵は両手の親指と人差し指でLのような形をつくり、第一関節のあたりで重ね合わせると、そう唱えた。すると、コンビニの敷地を囲うように、黒い壁面が現れた―――ように見えた。

 華絵が出現させた黒い壁面は、”カコイ”と呼ばれる結界術の一種である。これで、”カコイないの空間は”カコイがいの空間から隔絶され、妖が出入り不可能になる上に、一般人の目には触れなくなる。

 

「何ボケッと見てんのよ。早く!」


 華絵のその一言に、イラっとしながらも圭一郎も動いた。

 

 まずは目の前で取っ組み合っている二人。

 客に掴みかかっていた店員を後ろから羽交い締めにし、引きはがす。

 (悪い……!)

 心の中で詫びをいれてから、地面に転がった店員の腹を、陽の気を混ぜた呪力を込めて蹴り上げる。振り向きざまに、襲いかかってきた男性客を殴る。


 ――ずるり


 殴り飛ばされた二人の腹のあたりから、巨大なが出てくる。ぎょろりとした昆虫のような眼が、3つ。蝉のような大きな羽は、纏っている瘴気のせいか、黒く湿って見える。

 圭一郎はそのまま店内に駆け込む。

 まず目に入ったのは、長い髪を振り乱し暴れる女性。心持ち手加減して、腹を殴る。続いて商品を掴んでは投げを繰り返す、中学生くらいの男子生徒。

 モグラ叩きのように、圭一郎は次々と人に取り憑いた蟲を追い出していく。







 行き場を失った成蟲せいちゅうが、”カコイ”の中を飛びまわっていた。妖蟲ようちゅうより動きは鈍いが、黒い壁面に囲まれた空間を巨大な蟲が飛び交う光景は不気味だ。


「おい、これで全部だぞ!」


 圭一郎の声が響く。合図である。


「それじゃあ―――いくわよ」


 華絵はどこからか赤い紐で縛られた扇子せんすを取り出すと、片手でバッと広げる。漆製の扇子の柄の部分には、藤の花の文様。扇面に何も描かれていない、シンプルな扇子である。

 いつの間にか、反対の手には筆が握られている。筆にインクや墨はついているようには見えないが、華絵は流れるような動作で筆を動かし、扇面に何かを描き始めた。


「――――”月華操畳げっかそうじょう”」


 何かを書き終えた華絵は、扇子を持った左手を地面に水平に振り払った。

 その軌道に沿うように、ふわりと金色の粒子が舞う。


 ――――ジャッ


 今度は左下に向けて、勢いよく扇子を振り下ろす。

 反動で扇子が閉じた瞬間――通常の5倍はある大きな蝶が何匹も、華絵をとり囲むように現れた。厚みを持たない、輪郭だけの赤黒い蝶。まるで精巧な切り絵を見ているようである。

 (これも、術なのか)

 圭一郎も思わず動きを止め、その美しさに目を奪われていた。

 

 華絵は再び扇子を開くと、胸の前で水平になぎ払う。

 蝶が瞬時に、一斉に羽ばたく。次の瞬間には、宙を飛び回る成蟲にぴたりと張り付いていた。成蟲の動きが止まる。そして――


 「大人しく消えなさい」


 ――バチンッ


 扇子が閉じる音に合わせて、空中の蝶が弾ける。

 赤黒い蝶も成蟲も、跡形も無く消えていた。



 ―――術式、”月華操畳”。

 術者が扇子に描いたものを具現化し、操ることができる。広範囲、複数の対象を捉えることに特化した、派生呪術はせいじゅじゅつの一種である。



(……終わった、のか)


 圭一郎はハッと我に返る。あまりに一瞬の出来事だった。気を失っている店員や客を1カ所に集めてから、華絵のもとへ向かう。


「まあまあ手際よかったじゃない、慣れてるの?」

「……いや、初めてだ」

圭一郎が慣れているのは殴る蹴るの喧嘩の方だ。人に憑いた妖を落とすこと自体は初めてだったのだが、同じ要領で上手くいってしまい、本人も驚いていた。


「お前こんな便利なもん使えんのに、なんで妖蟲の段階で使わなかったんだ? もっと早く片付いただろ」


 術式と呼ばれるものを初めて目の当たりにした圭一郎は、純粋な疑問をぶつける。返ってきた答えは、予想外のものだった。


「――なんか嫌だったのよ。あんな超低級ごときに術式使うのが」

「……は? そんなこといって逃がしてたらもっと被害出んだろ。今だってもう少し遅かったら……」

「さ、早く陰陽連に報告して、事後処理しなきゃね」

あからさまに話を逸らす華絵。


 ――こいつ、賢そうな顔して意外と馬鹿なのかもしれない。


 そう思った圭一郎であった。


               

       《 壱―② 了 》




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