壱ー2 蟲と蝶と華と(妖蟲駆除編)

第六話 噂


「おい、あれだろ? 1年の蘆屋あしやって」

「見ろよあの目。絶対人殺してるって」

「あいつ中3の時に西高の不良全員しめたんだって?」

「目あったら半殺しにされるらしいぜ」

「シ――ッ! 聞こえるって!!」



 京都府立烏丸高等学校きょうとふりつからすまこうとうがっこう

 圭一郎が通うこの学校は、四条通りに面した、市内でも歴史ある高校の一つだ。偏差値はそれほど高くもなく、かといって低いわけでもなく、受験生の間では「迷ったら烏丸」と言われるほどポピュラーな高校である。

 噂話うわさばなしとは不思議なもので、はっきりと聞こえなくとも自分のことだということは分かるものだ。外靴に履き替えた圭一郎がチラリと声の方を見やると、生徒玄関で固まって立ち話をしていた数名の男子生徒が「ひぃっ!!」と叫んで猛ダッシュで逃げていく。

 

 (……何なんだ、あいつら)


「圭一郎さん、お久しぶりっス!」


 いつにも増して不機嫌な顔で校門を出た圭一郎に、「待ってました!」といわんばかりに、丸刈りで小柄な男子生徒が声をかけた。

 相も変わらず威勢のいい挨拶。圭一郎に臆せず、話しかけてくる数少ない同級生――隣のクラスの佐々木ささきである。なぜか圭一郎のことを尊敬しているらしく、常に敬語で(ほぼ一方的に)話しかけてくるのだった。


「……先週も会っただろ」

「昨日来なかったじゃないですか。圭一郎さんよくサボるけど、完全に休むことあんまないんで心配したんスよ!」

 

 クラスが違うくせによくもまあ俺の動向を。


 昨日は山籠やまごもりから帰ってきて一日寝てました、とは言えない。


「あっその傷、さてはまた喧嘩ケンカで?」

佐々木は圭一郎の顔や手に細かい傷があるのを見逃さなかった。

「――ああ、もうそういうことでいい」

本当は山籠もりの時にできた傷なのだが、否定するのが面倒になって適当に受け流す。

 

「じゃ、おれこっちなんで、失礼しますね!」


 圭一郎の素っ気ない態度にもめげず、佐々木は結局ぎりぎりまでついてきた。









 佐々木と別れ、鴨川にかかる橋にさしかかった時だった。


 ――シュッ


 突如、背後から飛んできた黒っぽいが、圭一郎の耳元をかすめていった。その風圧で、耳周りの髪がふわっと巻き上がる。


 (! 今の感じ―――)


圭一郎の思考は、「そこ、どいて! 邪魔!!」という声に遮られる。


 ――――ドンッ


 肩に軽い衝撃。

 再び風を感じたと思ったら、セーラー服の女子生徒が勢いよく走り去る後ろ姿が見えた。肩にかかるかかからないかの長さの茶髪の毛先には、少しウェーブがかかっている。よほど急いでいるのか、女子生徒は脇目も振らずに駆けていく。


 (あの制服……)


 えりに赤のラインが入った、濃紺のセーラー。烏丸高校の制服である。

 女子生徒の姿は、交差点を曲がって見えなくなった。


「……何だ?あいつ」


 圭一郎は女子生徒が走り去った方を見て思わず顔をしかめた。歩道を歩いている人に向かって「邪魔!」はないだろう。しかもぶつかってきたにも関わらず謝罪もない。

 なんとなくモヤモヤした気持ちを抑え、再び歩き出そうとした圭一郎は、ふと思い出して周囲を見回す。


(さっき、ほんの少しだけ妖の気配を感じたような気がしたが――気のせいか?)










 「――昨日、隣のクラスの生徒が自転車との接触事故にあったそうだ。幸い怪我は軽いようだが、最近市内で人身事故が増えているようだから、みんなも登下校時は十分気をつけるように」

 

 朝のホームルームで、圭一郎のクラス担任はそう言って話を締めた。

 担任が教室を出て行くと、クラス中がせきを切ったかのようにざわざわとし出す。

 

「事故にあったのって誰? 今日休んでる子かな」

「でも今日全員来てたっぽいけど」

「俺、腕に包帯巻いてた奴見たぜ。そいつじゃね?」

「あ、私も見た!」


 窓際の最後列の圭一郎は、頬杖をついて窓の外を眺めながら、飛び交う憶測をぼんやりと聞いていた。


 (そういや今朝も……)


 圭一郎は通学途中、交差点で路肩にバイクと乗用車が寄せてあり、警察がそれぞれの運転手に事情を聞いている現場を見かけていた。

 「人身事故が増えている」ことはどうやら本当らしい。






 その日の帰り。

 圭一郎は校門を出たところで、いつも通り「お疲れ様です!!」と声をかけられた。いつもならできるだけ直視しないようにしているその人物のことを、その日は驚き半分、呆れ半分で二度見することとなる。

 

 「お前かよ……」



 

 圭一郎の視線の先には、腕に包帯を巻いた佐々木が立っていた。













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