第五話 最終日



 二日目の夜は、文字通り「息つく暇もない」ほど、過酷なものだった。


 昨晩の鬼に加えて、修験者しゅげんしゃの行列、どこまでも追いかけてくる僧兵の亡霊。危うく気絶しかける量の瘴気しょうきを撒き散らしながら襲ってくる、異形の動物たち。

 そのたびに結界で身を隠し、場合によっては祓い、応戦しながら、なんとか2日目の夜を乗り切った。目立った怪我はないが、木々や草に引っかけてできたかすり傷や、打撲をあげればきりがない。


 東雲色しののめいろに染まる雑木林の中を、圭一郎は足を引きずりながら歩いていた。空気がよく澄んで、少し肌寒い。

 夜が、明けようとしていた。


「……

 

 黒い犬のような外見の妖に囲まれ、爪を立てられた右足が鈍く痛む。外傷は無いだけに不気味だった。


 ―――ドサッ


 圭一郎は大の字に倒れ、明るくなり始めた空を仰いだ。


(――やべえ、いろいろ限界だ)

 

 さらに悪いことに、闇の中を動き回ったせいで現在地がよく分からなくなっていた。感覚的には、泉穂と別れた場所からそんなに遠く離れてないはずだったが、まさかこのまま発見されないことはないよな……と不安がよぎる。


「キュッ?」

カサッ、と近くで音がしたと思ったら、昨日のリスが後ろ足で立ちながら圭一郎の顔を不思議そうにのぞいた。

「……まだいたのか、お前」

 リスはクンクンと匂いを嗅ぐと、圭一郎の右足に駆け寄り、思いっきりかじりつく。――リスの咬合力こうごうりょくを、舐めてはいけない。


「いってぇ!! おい、怪我してんだ―――……?」


 痛みを感じたのはほんの一瞬だった。その後、鈍い痛みが嘘のようにひいていく。

「おまえ……」

 何者なんだ、と問いかけて、やめた。

世の中には説明のつかないことがたくさんあることを、圭一郎は知っている。


 仰向けのまま、重い腕を動かし、リスの頭をそっと撫でてた。


 (――名前、つけてやるか)


 そう思ったものの、極度の空腹と眠気、疲労で頭が回らない。


「……――コノハ」

 

 ”木の葉”。頭が回らなすぎて、目に入ったものの名を口にしただけだったが、リスは満足げに「きゅう!」と鳴いた。










「圭ちゃん発見はっけーん! 思ったより元気そうだね」

泉穂が迎えに来たのは、それからすぐのことだった。

「……お前の目、どうなってんの」

この満身創痍まんしんそういの状態を見て、何をどうしたら元気そうだと思えるのか。顔を見たら一発殴ってやろうと思っていたが、そんな気力は残っていなかった。


「さ、帰ろうか。家でみんな待ってるよ」


泉穂に肩を借りて車に乗ってからの、記憶がない。







・ 



 圭一郎が喉の渇きを覚えて目を覚ますと、自分の部屋のベットの上だった。

 窓の外はもう真っ暗だ。「強制山籠もり生活」から帰ってきたのが朝。朦朧もうろうとする意識の中でシャワーを浴びて適当に食べた後、半日以上眠っていたことになる。

 まだ重い体を起こし、部屋を出る。体を動かすとあちこちが痛んだ。


「起きたか」

一階の居間へ降りると、征志郎せいしろうが座椅子に座って本を読んでいた。

「晩ご飯、冷蔵庫にとってあるから食べなさい」

「ああ……どうも」

 長いこと避け続けてきた征志郎父親との会話は、まだ少しぎこちなくなる圭一郎だった。

 食事の準備をする圭一郎を、征志郎はまじまじと見つめる。


「……なんだよ。食べにくいだろ」


征志郎の視線に耐えかねて、圭一郎は顔を上げた。


「いや、なったなと思って。何か掴めたようでよかったよ」


 ――呪力が格段に洗練されている。たったの2日で、この変化。


『そうだな。あいつは私より余程――』


 

 道満あの人才能を、強く受け継いでいる。

 征志郎は、改めてそう確信した。











 翌朝。学ランに身を包んだ圭一郎が玄関を出ると、ちょうど泉穂が表門から入ってきた。その手に、大事そうに紙袋を抱えている。


「お、学校行くの?体はもう大丈夫なんだ?」

「……2日休むと面倒だろ、色々」

「やっぱ根は真面目だよね、圭ちゃんて」


 圭一郎は泉穂が抱えている紙袋に視線を移すと、怪訝けげんそうな顔をする。

「その紙袋……なんつーか、嫌な感じすんだけど」

「あ、分かる? 征志郎さんにお祓い頼む品々だよ。神社こっちだと処理しきれないものも多くてね。見るかい?」

「いや、いい」

圭一郎は間髪入れず断る。朝から見たいものではないことは確かだ。


 門へ向かって歩き出そうとすると、


「きゅう!」


 と、足元から聞き覚えのある鳴き声。視線を落とすと、くりっとした2つの目が圭一郎を見ていた。


「あっおまえ」

「ああ、その子知らない間についてきちゃってて」


 圭一郎に万が一のことがあった時、視覚情報を共有し、現在地を伝える”監視役”として泉穂が選んだのがこのシマリスだった。


「術の有効期限は48時間だから、もうただの野生のリスのはずなんだけど……圭ちゃんのそばを離れないんだよね。もしかしてこの子に、名前つけたりした?」

「……ああ、つけたな」

「そうか、それで途中で契約が切れたのか。圭ちゃん探すのにちょっと苦労したんだよ。もしかしたら半分、式神化してるのかも」


 コノハは圭一郎が手を伸べるとダッと走り出し、腕を伝って肩にちょこんと乗った。

 その様子を見た泉穂は、おおっと声を上げる。

「そうやって肩にのせてると親しみやすさ出るよ。ずっとのせてたら?」

圭一郎がシマリスを肩にのせて学校へ行く姿を想像したらしく、泉穂は一人でツボに入る。

「お前、馬鹿にしてんだろ」



 こうして、シマリスのコノハは蘆屋家の家の庭で放し飼いすることとなった。

 蘆屋家初のペット(?)に、観月みづきが大喜びだった。








 

       〈 壱-①  了 〉





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