第四話 予期せぬ訪問者
ザ…ザザ…ザ……
雲が晴れ、隙間から除いた月がぼんやりと辺りを照らしている。
「じゅつし、どこだ。どこにかくれている」
草木をかき分けて現れた声の主の姿に、圭一郎はまたしても声が出そうになる。
常人の2倍はあろうかという背丈。赤黒く、筋肉質な肌が月明かりに怪しく光る。脂ぎった長い髪の間から突き出る、
――――鬼だ。
それは、紛うことなき鬼であった。
圭一郎は既に、鬼の視界に入ってもおかしくない位置にいた。
鼓動が速まるのを感じながらも、結界への集中力は切らさないようにする。
ザ…ザザ…ザ……
「おかしい。たしかに。このあたりに……」
――鬼は、そう言いながら圭一郎のいる洞窟の目の前を通り過ぎた。
こちらに気づいた様子はない。
(……うまく、いった、のか?)
そのまま息を殺して、鬼の気配が消えるのをひたすら待つ。実際は数分程度だったが、圭一郎は無限に続くように感じた。
「はぁ~……」
完全に気配が消えたのを確認して結界を解くと、思わず情けない声が出る。
安心したら、ひどく腹がへっていることに気づいた。そういえば、昨日の昼から何も口にしていない。
夜が明けたら、何か食べられそうなものを探すか―――
そう思いながら、圭一郎は羽織っていたブルゾンのチャックをきつく締めると、洞窟の岩に背をもたれた。
・
・
・
「キュッ!」
東の空が白み始めた頃。
何かの鳴き声を聞いて、圭一郎は顔を上げた。鬼をやり過ごしてから、体力を消耗しないようにしながらずっと起きていた。不覚にも4時間近く寝たせいか、眠くはならなかった。
(きゅ……?)
早起きな野生の鳥たちが元気よく鳴き始めていたが、明らかに鳥の声ではない。洞窟を出て辺りを見回すが、妖の気配も感じられない。
―――パキっ、
昨日の今日で、物音にかなり敏感になっていた。思いの外近くで小枝が割れるような音がして、圭一郎は反射的に飛び退く。
するとそこにいたのは――――
「……リス?」
焦げ茶のふさふさの毛並に、特徴的な大きなしっぽ。白と茶の縞模様の背中。
くりっとした大きな目が、圭一郎を見つめていた。
「きゅっ!」
リスは満足そうに鳴くと、足下に寄ってきてズボンの
「おいこら、やめろ!」
払いのけようと足の位置をずらすが、しっかりと食らいついてくる。そして小動物とは思えない力で、裾を引っ張ってきた。リスは、圭一郎をどこかに連れて行こうとしているように見えた。
「……何だよ、来いってか?」
圭一郎がしぶしぶ歩きだすと、ズボンの裾を離し、勢いよく駆け出した。
(なんだこいつ。野生の動物にしては人なつっこいし、どこに連れてくつもりだ。てか、ついてって大丈夫なのか?まさか妖の……)
そんな心配をよそに、リスは元気よくなだらかな斜面を下ると、昨日見つけた沢のところまで駆けていき、「ここまで来い」と言わんばかりに振り帰った。
圭一郎は慎重に近づく。
なんの変哲もない、綺麗な水がさらさらと流れる沢だ。
「くきゅう!」
リスは深緑の苔が茂る石の上にのり、水をのぞき込んでいた。
「おい、あんま近づくと落ちんぞ」
圭一郎も川縁に片膝をつき、水をのぞき込む。本当に底まで透き通った、綺麗な水だ。腕をまくり、水に触れる。ひんやりと心地よい。
両手ですくって水を飲むと、自分が思っていたより喉が渇いていた事に気づく。
十分に水を飲み、顔を洗うと、夜通し緊張下にあって疲弊した体が生き返るようだった。
とはいえ、何か食べないとあと1日持つ気がしない。圭一郎は川辺に生える、比較的みずみずしい草を選んで口に含んだ。
「まっず……」
見かけに反して臭みがある草だったが、背に腹は代えられない。何でもいいからエネルギー源を体に入れないと、体力が持たない。
圭一郎は何種類かチャレンジして、やっと食べやすい草を見つけた。
(……何でこんなサバイバルみたいなことしてんだ、俺)
以前の自分なら絶対に考えられないことだった。
――――陰陽師なんて胡散臭いもん、誰がなってやるか。
そう思っていたのに。
強制的にとはいえ、修行のために山奥に来て、必死に妖を祓い、生き延びるために草を食べている。以前の自分ならそもそも、泉穂の仕事について行くことすら絶対にしなかっただろう。
昇りはじめた朝日をうけてキラキラと光る水面に、自分の顔が映る。
「……!」
水に映った自分の姿。
よく見ると、その輪郭に沿うように、陽炎のようなものが揺らいでいる。ガムシロップを水に流したような、透明だが密度の濃い揺らぎ。
(これは……)
圭一郎は試しに、手を水面にかざし、掌に呪力を集める。すると、体を取り巻いていた透明なそれが、腕を伝って掌に集まってくるのが見えた。
(――呪力だ。呪力がはっきり見える)
そして、ふと気がつく。
――今、全部移動したな。
体を取り巻いていた呪力が、一気に掌に集まってきていたのだ。
今までずっと、こうやって祓っていたのだとしたら。
(俺はムダに呪力を使ってた? だからあんなに消耗したのか)
圭一郎はそこから何度も、できるだけ《少しずつ》呪力を集める練習をした。
集める。
解放する。
集める。
解放する。
集める呪力の量を変えて、もう一度。
繰り返すうちに、コツが掴めてきた。
(――これで一回祓ったくらいで、消耗しないはずだ)
圭一郎が、呪力の
気づけば陽は高く昇っていた。
リスはどこからか拾ってきた木の実に一生懸命かじりついている。――その
「腹へった……」
育ち盛りの高校生が、草で足りるはずもなく。
(――つってもあと半日だ。絶対乗り切ってやる)
圭一郎はそう心に決めると、再び食べられそうなものを探して山の中を歩き出した。
――――そして二度目の、夜がやってくる。
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