第三話 呪力の輪郭



 圭一郎は、漆黒の闇の中で目を覚ました。


 「――ッの野郎、絶対許さねえ」


 体の輪郭が分からなくなる程の、闇。

 木々のざわめきや、沢の水の音だけがやけに大きく聞こえる。

 女のあやかしを祓った後、強烈な眠気と倦怠感に襲われ、そのまま洞窟の中で眠ってしまっていたのだ。


 (――まずい。どれくらい眠ってたんだ?)


 どうせ圏外、役に立たないからとポケットに入れっ放しになっていたスマホを確認すると、22:37と表示されて驚く。妖のうろつく夜の山の中で、4時間近く眠りこけていたことになる。

 固い地面のせいで節々ふしぶしが痛かったが、幸い体に異変はなかった。

少し慣れてきた目で周囲をゆっくりと見回す。

 そして、気がついた。


 ―――な。


 笹藪の向こう、木々の陰、岩場の合間。闇の至る所に、大小様々なあやかしや霊の気配を感じた。

 こちらの様子をうかがうようにして、それらはただそこにいた。

 一瞬警戒したものの、眠っている間に何もしてこなかったことを考えると、悪いモノではないのかもしれないと思い直す。

 無闇むやみやたらに祓ってはいけない――術士の心得として、最初に教わったことだ。圭一郎は岩に背をもたれて、おとなしく朝を待つことにした。




 状況が変わったのは、日付が変わった頃だった。


 「――にんげん。にんげんのにおいがする」


 突如闇の中から聞こえた女とも男ともつかない声に、圭一郎は思わず声をあげそうになる。


 「じゅつし。じゅつしだな。じゅつしのにおいがする」


 声と気配は、だんだん近くなる。









 蘆屋家の客間。

 テーブルを挟んで、圭一郎の父・蘆屋征志郎あしやせいしろうと泉穂が座っている。精悍な顔立ちの征志郎は、檜皮ひわだ色の和服をかっちりと着こなし、白髪の交じり始めた髪を綺麗にセットしている。

 

「――泉穂君、仕事のついでとはいえすまなかったね」

「いえ。圭ちゃんとのドライブ、楽しかったですよ」


 泉穂は比叡山からの帰り、圭一郎を手筈通りに置いてきたことを報告するために

この蘆屋家に足を運んでいた。


「本来”山籠もり”は、もう少し経験を積んでからすべき修行なんだ。言い出しておいてなんだが、大丈夫だろうか」

征志郎は茶をすすりながら、珍しく不安げな表情を見せた。

「大丈夫ですよ、圭ちゃんなら。念のためも置いてきましたし、それに……」

「それに?」

「圭ちゃんは完全に感覚派です。天性の才にも恵まれてる。下手に理論を詰め込むより、学べることが多いと思いますよ」

「そうだな。あいつは私より余程――」


 その時、ガタッとふすまが開き、お下げ髪の少女が顔を覗かせた。幼稚園に通う圭一郎の妹、観月みづきである。

「お父さん、お兄ちゃんは? ……あ、泉穂お兄ちゃん!」

「観月、ダメじゃないか客間に来たら」

征志郎が苦笑しながらいさめたが、観月はすでに駆け寄ってきていた。


「観月ちゃん、久しぶり。圭ちゃんはね、強くなるために修行にいったのさ」

泉穂は観月の頭に優しく手を置きながら言った。

「お兄ちゃん、つよくなるの?」

「――うん、これからもっとね」

 

その様子を見た征志郎は、ふっと微笑む。

「泉穂君、よかったら晩ご飯食べていってくれ。観月も喜ぶ」

「いいんですか? では、お言葉に甘えて」

 









 「じゅつし、でてこい。くってやる」


 圭一郎は、息を殺して闇に身を潜めていた。

気配はもうすぐそこまで迫っている。


 ――どうする?祓うか? 

いや、でも。祓った時の、あの消耗。祓わずに済むのならそうしたい。

それに俺のことを気配で「術士」と察するあたり、女の妖よりもタチが悪そうだ。


『――呪力は人間とあやかしを繋ぐ、唯一の共通項なんだ。呪力がなければ、見える人間はいなくなるし、妖もまた人間を認識できないと言われている』


 征志郎が前に言っていたことを思い出す。

量や性質に差はあれど、呪力はどんな人間でも常に体を流れている。陰陽師などの術士が、互いに術士だと認識できるのは、その呪力の流れが特殊だからという話も聞いたことがあった。


 (――呪力がなければ互いに認識できない……ということは呪力さえ隠すことができれば、やりすごせる?)


 圭一郎はその方法に、一つだけ覚えがあった。

 1か月前、特級の襲撃に遭った時に泉穂が使っていた、”身隠し”の結界。結界術は専門性が高く、術士だから誰でもできる、というようなものではない。術の種類も多岐にわたり、完全に習得しているのは代々結界術を受け継いできた勧修寺家の人間ぐらいのものだ。

 そんな結界術の中でも、簡易結界かんいけっかいの部類に入る”身隠しの結界”は、比較的扱いやすい。泉穂が「覚えておくと便利だよ」と言って、圭一郎に教えていたのだ。


 (……教わったけど、結局まだコツを掴めてねぇんだよな)


 圭一郎は回想の中の泉穂を一発殴ってから、その時のことを思い出す。


『――まず出来るだけ呪力の出力を抑える。そしたら自分で結界の範囲を決めて、その中に呪力を薄く広く引き伸ばす。周りの空気と自分の呪力をよ~く混ぜて、中に閉じ込めるイメージだよ』

『?? もうちょっと具体的に説明してくれよ』


 薄く伸ばすとか混ぜるとか、料理かよ。

その時の圭一郎は、泉穂の言っていることが全く理解できなかった。


『うーん、結界術って想像イメージ力と集中力が全てだから、どうしてもふわっとした説明になるんだよね。自分で感覚掴むしかないな』

何度も挑戦して、結局合格点をもらえたのは一回だけだった。


 上手くいかなかった原因は分かっていた。圭一郎はそもそも、「自分の呪力」をしっかりと捉えられていなかったのだ。


 ―――でも、今なら。


 余計な情報が入る余地のない、山の闇の中。圭一郎は自分の中に流れる呪力の輪郭を、はっきり認識できるようになったのを感じていた。






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