壱ノ章

 壱ー1 山籠もり修行編

第一話 週末の予定



 蘆屋圭一郎あしやけいいちろうは、漆黒の闇の中で目を覚ました。


 (……どこだ、ここ)


 目を開けているのに、何も見えない。横に手をつくと、掌に岩のごつごつした感触がある。

 人は視覚を奪われると、聴覚が冴えわたる。

ザワザワと葉の擦れる音。水の流れる音。遠くで獣が吠える声。圭一郎の耳には、それらが異様に大きく聞こえた。


 そこで、思い出した。

ここがどこなのか―――なぜ自分が、にいるのかを。



 「――ッあの野郎、絶対許さねえ」












 「――けいちゃん、今週末の予定は?」


 蘆屋家あしやけに隣接する、八塚神社やつかじんじゃの神主――勧修寺泉穂かじゅじいずほにそう問われたのは、一昨日のことである。

 泉穂はいつもの浅黄の袴姿だ。後ろで束ねられた色素の薄い長髪が、その端正な顔立ちによく似合っている。八塚神社には、彼目当ての参拝客も多いんだとか。


「ないよね? 圭ちゃん、友達いないもんね」

泉穂は圭一郎が答えるよりも先に結論を出す。

「さらっと失礼なこと言うじゃねえか。あと”ちゃん”付けんのやめろ」

残念なことに、友達がいないことに関しては否定できなかった。



 蘆屋圭一郎あしやけいいちろうは、この春高校生になった、16歳である。

 襟足長めの黒髪、こめかみから頬にかけての赤黒いアザ。三白眼に無愛想さも相まって、「できれば話しかけたくない顔ランキング」があれば必ず上位にランクインしそうな外見である。何もしていないのに「睨んだ」と言いがかりをつけられることもしょっちゅうで、絡んできた相手を殴ったりしているうちに、圭一郎はこの辺では有名な不良問題児になっていた。

 そういうわけで、学校に友達というものがいた試しがない。


 顔が怖くて、素行が悪いことを除けばふつうの男子高校生――と言いたいところだが、圭一郎は他の人と決定的な違いがあった。


「今週末に比叡山ひえいざんに行くんだけど、ついてきてくれる?」

「はぁ? なんで俺が……」

「晴れて陰陽師になった圭ちゃんに、僕の護衛を頼みたいんだ」


 ――そう、圭一郎の家は、平安から代々続く陰陽師の家系なのである。小さい頃から当たり前のように人ならざるものが見えた圭一郎は、人とは違うその力に嫌悪感を抱いていた。そして自分の先祖が、よりによって悪名名高い、蘆屋道満であることにも劣等感コンプレックスがあった。だからこそ自分は絶対に陰陽師にはならない――なりたくないと思っていた。

 そんな圭一郎が、父親の後を継いで陰陽師になることを決めたのは、一ヶ月前。蘆屋家が特級の妖の襲撃に遭った事件がきっかけであった。(※詳しくは「【短編】Antinomy―六芒星の彼方―」をご覧ください)


 泉穂の言うとは、神主としての仕事ではない。彼のもう一つの顔――結界術士としての仕事である。勧修寺かじゅじ家は代々、結界術を専門とする術士の家系であり、蘆屋家の協力者の1人だ。


 「……まだ陰陽師ではねえぞ」

 「でも大抵のものなら祓えるでしょ。僕は祓うのは専門外だから、ついてきてくれると嬉しいな」


 陰陽師として正式に認められるためには条件がある。ひと月前に後を継ぐことを決めた圭一郎は、まだいくつかの条件を満たしておらず、陰陽師を名乗るのに必要な「術士登録」を行えていない。現在、蘆屋家に住み込みで家業を手伝っている”自称”目付役の小金井こがねいや当主である父親のもと、最低限の知識や理論をたたき込まれているところだ。


陰陽連おんみょうれんに頼んでもよかったんだけど、圭ちゃん的にも練習になっていいかなと思って」



 こうして、圭一郎は週末の予定が決まった。否、決めさせられた。









「いや~晴れてよかったね。ドライブ日和だ」


 初夏らしく爽やかな青空が広がる、昼下がり。

 借りた、というシルバーのセダンを運転しながら、私服の泉穂いずほが言う。助手席の圭一郎は、まじまじと泉穂を見た。


「……泉穂、運転できたんだな」

「うん。でも乗るのは3年ぶりくらいかな」

「え……大丈夫なのか?」

「事故ったらごめんね」

「……」



 ――比叡山。

 滋賀と京都の県境に位置するこの山は、古来より山岳信仰の対象とされてきた。天台宗総本山の延暦寺が置かれ、織田信長の焼き討ちが行われるなど、歴史的な意義も大きい場所である。

 車を40分ほど走らせ、2人は無事目的地にたどり着いた。


「こういう場所はいろんなものがから、常に山全体に結界を張って、街に影響が及ばないようにしてるんだよ。今日はその定期点検」


 午後から半日かけて、泉穂は比叡山の麓のいくつかの場所をまわった。その間圭一郎は、周囲の気配に注意しながら、泉穂の傍で作業を見守っていた。

 山の中は確かに、街では感じたことのない大物のあやかしの気配を感じた。しかし、襲ってくる様子もなく、平和なものだった。


  俺、来た意味あったか?


 日が傾き、雑木林にオレンジ色の光が差し始めたころ、

「最後、もう一箇所だけ」

泉穂はそう言って再び車に乗り込んだ。

 

 下山する人の流れに逆らって、車は曲がりくねった道をどんどん登っていく。延暦寺の堂宇が立ち並ぶエリアをぬけ、山頂に近づいた辺りで、脇道の舗装されていない一本道に入った。砂利じゃりは敷かれているものの草は生え放題、車一台がぎりぎり通れる幅。明らかに普段使われていない林道である。

 そんな道ともつかない道を、さらに5分。


「……まだ行くのか?」

「うん、もう少し」


 周囲はもう、薄暗くなっている。

 うっそうと茂った雑木林が、かなり山奥まで入ってきたことを実感させる。細い林道を抜け、少し開けた場所に出たところで、泉穂は車を停めた。


「圭ちゃん、あそこにほこら見える?」

泉穂が指さす方を見ると、なるほど確かに、数メートル先の草藪に古びた祠がある。

「あの中に、これを入れてきてくれる?」

差し出されたのは、八折りになった半紙だ。

「分かった」

 きっと結界術に関係するものなのだろう。そう思いながら、圭一郎は紙を受け取り、車を降りた。そして草をかき分け、言われたとおりに祠を開けようとしたが―――空かない。


「おい泉穂、空かねえぞ――――」


 ブロォォォォォォオオオオ


 車の方を振り返った圭一郎の声が、エンジンの急発進音に遮られる。

乗ってきたセダンが、勢いよくUターンする。


 「……は?」


 圭一郎は状況を飲み込めず、ぽかんと立ちすくむ。


「――じゃ、元気でね。2日後にこの場所で」


車の窓から顔を出した泉穂は、爽やかに手を振ると、来た道を下って行った。


「……はぁあああああああ?!?!」

 

 こうして圭一郎は山の中に1人、置き去りにされたのである。













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