壱ノ章
壱ー1 山籠もり修行編
第一話 週末の予定
(……どこだ、ここ)
目を開けているのに、何も見えない。横に手をつくと、掌に岩のごつごつした感触がある。
人は視覚を奪われると、聴覚が冴えわたる。
ザワザワと葉の擦れる音。水の流れる音。遠くで獣が吠える声。圭一郎の耳には、それらが異様に大きく聞こえた。
そこで、思い出した。
ここがどこなのか―――なぜ自分が、こんな山奥の洞窟の中にいるのかを。
「――ッあの野郎、絶対許さねえ」
・
・
「――
泉穂はいつもの浅黄の袴姿だ。後ろで束ねられた色素の薄い長髪が、その端正な顔立ちによく似合っている。八塚神社には、彼目当ての参拝客も多いんだとか。
「ないよね? 圭ちゃん、友達いないもんね」
泉穂は圭一郎が答えるよりも先に結論を出す。
「さらっと失礼なこと言うじゃねえか。あと”ちゃん”付けんのやめろ」
残念なことに、友達がいないことに関しては否定できなかった。
襟足長めの黒髪、こめかみから頬にかけての赤黒いアザ。三白眼に無愛想さも相まって、「できれば話しかけたくない顔ランキング」があれば必ず上位にランクインしそうな外見である。何もしていないのに「睨んだ」と言いがかりをつけられることもしょっちゅうで、絡んできた相手を殴ったりしているうちに、圭一郎はこの辺では有名な
そういうわけで、学校に友達というものがいた試しがない。
顔が怖くて、少しばかり素行が悪いことを除けばふつうの男子高校生――と言いたいところだが、圭一郎は他の人と決定的な違いがあった。
「今週末に仕事で
「はぁ? なんで俺が……」
「晴れて陰陽師になった圭ちゃんに、僕の護衛を頼みたいんだ」
――そう、圭一郎の家は、平安から代々続く陰陽師の家系なのである。小さい頃から当たり前のように人ならざるものが見えた圭一郎は、人とは違うその力に嫌悪感を抱いていた。そして自分の先祖が、よりによってあの悪名名高い、蘆屋道満であることにも
そんな圭一郎が、父親の後を継いで陰陽師になることを決めたのは、一ヶ月前。蘆屋家が特級の妖の襲撃に遭った事件がきっかけであった。(※詳しくは「【短編】Antinomy―六芒星の彼方―」をご覧ください)
泉穂の言う仕事とは、神主としての仕事ではない。彼のもう一つの顔――結界術士としての仕事である。
「……まだ陰陽師ではねえぞ」
「でも大抵のものなら祓えるでしょ。僕は祓うのは専門外だから、ついてきてくれると嬉しいな」
陰陽師として正式に認められるためには条件がある。ひと月前に後を継ぐことを決めた圭一郎は、まだいくつかの条件を満たしておらず、陰陽師を名乗るのに必要な「術士登録」を行えていない。現在、蘆屋家に住み込みで家業を手伝っている”自称”目付役の
「
こうして、圭一郎は週末の予定が決まった。否、決めさせられた。
・
・
・
「いや~晴れてよかったね。ドライブ日和だ」
初夏らしく爽やかな青空が広がる、昼下がり。
借りた、というシルバーのセダンを運転しながら、私服の
「……泉穂、運転できたんだな」
「うん。でも乗るのは3年ぶりくらいかな」
「え……大丈夫なのか?」
「事故ったらごめんね」
「……」
――比叡山。
滋賀と京都の県境に位置するこの山は、古来より山岳信仰の対象とされてきた。天台宗総本山の延暦寺が置かれ、織田信長の焼き討ちが行われるなど、歴史的な意義も大きい場所である。
車を40分ほど走らせ、2人は無事目的地にたどり着いた。
「こういう場所はいろんなものが湧くから、常に山全体に結界を張って、街に影響が及ばないようにしてるんだよ。今日はその定期点検」
午後から半日かけて、泉穂は比叡山の麓のいくつかの場所をまわった。その間圭一郎は、周囲の気配に注意しながら、泉穂の傍で作業を見守っていた。
山の中は確かに、街では感じたことのない大物の
俺、来た意味あったか?
日が傾き、雑木林にオレンジ色の光が差し始めたころ、
「最後、もう一箇所だけ」
泉穂はそう言って再び車に乗り込んだ。
下山する人の流れに逆らって、車は曲がりくねった道をどんどん登っていく。延暦寺の堂宇が立ち並ぶエリアをぬけ、山頂に近づいた辺りで、脇道の舗装されていない一本道に入った。
そんな道ともつかない道を、さらに5分。
「……まだ行くのか?」
「うん、もう少し」
周囲はもう、薄暗くなっている。
うっそうと茂った雑木林が、かなり山奥まで入ってきたことを実感させる。細い林道を抜け、少し開けた場所に出たところで、泉穂は車を停めた。
「圭ちゃん、あそこに
泉穂が指さす方を見ると、なるほど確かに、数メートル先の草藪に古びた祠がある。
「あの中に、これを入れてきてくれる?」
差し出されたのは、八折りになった半紙だ。
「分かった」
きっと結界術に関係するものなのだろう。そう思いながら、圭一郎は紙を受け取り、車を降りた。そして草をかき分け、言われたとおりに祠を開けようとしたが―――空かない。
「おい泉穂、空かねえぞ――――」
ブロォォォォォォオオオオ
車の方を振り返った圭一郎の声が、エンジンの急発進音に遮られる。
乗ってきたセダンが、勢いよくUターンする。
「……は?」
圭一郎は状況を飲み込めず、ぽかんと立ちすくむ。
「――じゃ、元気でね。2日後にこの場所で」
車の窓から顔を出した泉穂は、爽やかに手を振ると、来た道を下って行った。
「……はぁあああああああ?!?!」
こうして圭一郎は山の中に1人、置き去りにされたのである。
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