相対性理論
――俺もマネージャーも『veil』は瞬の歌だと思っていました。瞬と二人で歌ったたくさんの曲の中で、もっと歌いたかったと一番よく思い出すのが『veil』です。
そして六年前、初めての寄り道から三年が経った頃。遊助はすっかり真面目が板につき、瞬も表情が柔らかくなったと言われなくなっていた。GLiTTERは大きな仕事も増え、プライベートでも打ち解けた。少なくとも、そう思っていた。
「――遊助、何を見ているの?」
音もなく開いたドアの向こうからの声に、遊助はぎくりと肩をすくませた。テレビ局の楽屋には逃げ場も隠し場所もない。せめて背中に隠したそれを、瞬はあっさり後ろに回り込んで見つけてしまう。
『天王寺瞬 母は売れなかった元舞台女優 押し付けられた人生』
週刊誌だった。瞬が溜息をつく。
「あまり気にしない方が良いよ。こういう雑誌はあること無いこと書くのが仕事だから」
言われなくても、いつもは気にならなかった。初めてこういう記事を書かれた時はむしろ自分もここまで来たかと感動したくらいだ。けれど、この話題は……。
「瞬の母ちゃんってさ、その名前の……」
「そこ、まだ気にしているの?」
瞬は呆れたように苦笑して、近くのソファに腰掛けた。
「それもそうか。初対面で『縁起が悪すぎる名前』だなんて、わざわざ本人に言ってきたくらいだもんね」
「いきなり言うことじゃなかったとは、思う」
遊助も隣に座って、うなだれる。相方が言うのはユニットを結成した日のことだ。先に自己紹介をしてきた瞬に、遊助は自分も名乗る代わり、それは本名なのか、と尋ねた。突然の質問に当然戸惑った相手に「その台詞」を言い放った。
「何度も言うようだけど、僕の名前の意味は――」
「『瞬く間に皆を惹きつける』だろう。格好いい名前だよ」
あの時と同じ説明を遮って、あの時と同じことを思う。
「でも、自分の子供につける名前じゃない」
瞬。瞬間の瞬、一瞬の瞬。確かに彼は瞬く間に誰をも魅了するのかもしれない。瞬く間に輝き、瞬く間に燃え尽きる。短い時間を連想させる名前は良くないと誰かに聞いた。それは短い人生を、早すぎる終わりを招くから。
「……そうかもしれないね」
瞬がうなずいた。あの時と違う答えは、あの時と違って、遊助が彼を馬鹿にしたわけではないと分かってもらえているからだろう。打ち明け話をしても良いと、思ってもらえているからだろう。
「僕の母は、自分が生きられなかった人生を、僕に生きてもらいたいと願った。世間では――毒親、とでも言うのかな。ステージに魅せられて、息子の僕を見なかった」
「代わりにはならないけど、俺が見るから」
「もう見てくれているだろう。遊助も、スタッフも、お客さんも」
瞬は穏やかに、静かに微笑んだ。
「僕がステージに立つ時、皆は一生懸命に僕を見てくれる。だけどその視線は、本当ならもっと別の、例えば隣にいる誰かに向かうべきだったものなんじゃないか? 僕は皆の目を眩ませて、小さな幸せを見失わせ、そこに当たるはずだった光を奪って――」
歌うように言葉を継ぐ。何を言っているのか分からない。明るい色の暗い眼差しが、何に向けられているのかも。瞬は一つ息をして、
「――この手で暗くした世界でひとり、輝いている」
ぞっとするような声音で、そう呟いた。
「そう思い込んで迷っていたのも、きっと母のせいだろうね」
けれどすぐにいつもの調子を取り戻して微笑む。それは最初から自然な、非の打ちどころのないアイドルスマイルだった。どこまでも完璧で、それでいて完璧だとは気づかせなかった。ずっと隣にいた遊助にさえも。あるいは、遊助にこそ。
「俺は――」
遊助は口を開く。喉元まで来た言葉を無理やりに押し出す。
「俺は歌が好きだよ。ダンスも。瞬と二人で夢みたいな時間を創るのが大好きだ。これは他の『好き』が奪われたものなんかじゃない。この気持ちは、心の底から湧き上がってくるんだ」
彼から見たステージは輝く夢のような場所だった。厳しいレッスンで疲れても、心無い言葉を投げつけられても、ステージに立てば笑顔になれる。星空のようなペンライトの海が彼に力をくれる。瞬もそうだった。少しだけ控えめに、けれど確かに笑っていた。なのに彼は迷っていたと言う。ずっと――今も?
遊助があまりにもひどい顔をしているせいだろう、瞬の顔から笑みが消える。亀裂から覗いた暗闇が頭にこびりついたまま、ほんの少しだけ安心した遊助に、瞬はなだめるように語る。
「分かっているよ。『迷っていた』と言っただろう。僕だって歌うのは好きだ。遊助のことも今は、かなり好き、かな」
おどけて見せて、それから、どちらにともなく言い聞かせる。
「――そして、それで充分だ」
楽屋の外がにわかに騒がしくなる。GLiTTERの出番も近い。遊助は瞬を遊びに連れ出す計画を頭の中で練りはじめた。ドライブ、スポーツ、ショッピング――そうすることで、気持ちを切り替えた。
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