雪の降る夜を

 ――瞬は完璧なアイドルでした。完璧なアイドルでいようとしていました。それは俺の前でも同じだったのかもしれません。


 九年前の冬。二人一緒だった撮影の帰り道、白い息を思い切り吐きながら遊助は走る。足音に合わせてバッグチャームが鳴る。オレンジ色の街灯に照らされて、ちらちらと雪が舞っていた。

「――瞬!」

 遠慮なく大声で呼び止める。先に帰り支度を済ませてスタジオを後にし、曇り空を見上げて歩いていた瞬は、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて遊助を振り返った。ゆったりとしたボアコートにニットキャップとマフラー。ふわりと揺れた前髪に雪がついている。

「どうかしたの」

「体はもう大丈夫なのか?」

 質問に被せるように質問を返す。ネイビーのマフラーに埋もれた顔は、元の白さと夜の寒さを差し引いてもまだ青白いように見えた。高い熱を出したばかりなのだから当然だ。

 それでも瞬は笑顔を崩そうとしない。

「平気だよ。君も僕の心配より、明日に備えて早く休みなね」

「――ごめんなさい」

 遊助は強引に頭を下げる。駅に着くまでの間に自然な流れで切り出す方法が思いつかなくて、勢いで押し切ることにした。

「……何が?」

「俺、瞬がちゃんとしてるのは、そうするのが好きだからだと思ってた。寝込むほどきつかったなんて、思わなかったんだ……」

 コンビユニットとしてデビューしてからずっと、瞬はことあるごとに遊助の世話を焼きつづけた。気分が乗らない仕事には不真面目な相方と、大雑把なところのあるマネージャーに代わって、スケジュールを調整し、持ち物を管理し、共演者やスタッフへの挨拶を欠かさなかった。そして昨夜、事務所に戻ったところで熱を出した。

「僕が倒れたのは、僕の体調管理がなっていなかったせいだよ」

「でも」

「それに、君がさっき言ったことも正しい」

 いつになく冷ややかに瞬は言い切る。

「僕がきちんとしているとすれば、それはその方が僕にとって楽だからだ。あまり良いことじゃないし、君を付き合わせる理由もない」

「いいことじゃないなんて、そんなわけないだろ」

 叫ぶ。つかみかかるのは我慢した。

「俺もちゃんとする。慣れてないから、上手くできないかもしれないけど。その時は一人で解決するんじゃなくて、教えてほしい。俺のせいで瞬がしんどいのは嫌なんだ」

 瞬は二回、まばたきをする。アーモンド型の目が見開かれていっそう大きかった。何を言われたか分からないという顔が、荒い息がかかりそうなほどに近い。頭の良い瞬がこんなにも長く固まっているなんて、よほど自分は甘え切っていたんだ、と思う。

「――ありがとう。そういうことなら、嬉しいな」

 しばらくして、瞬はまるでつぼみがほころぶように微笑んだ。

 遊助は大きく溜息をつく。肩の力が抜ける。また戸惑いかけた瞬の背中を押して一緒に駅へ歩き出した。見上げた夜空は雪雲に覆われていて月も星も見えない。瞬は何を見上げて歩いていたのだろうか。何か、話を振るべきだろうか。

「さっきマネージャーにも叱られたよ。『野中くんと天王寺くんはもう少しお互いを見習った方がいいと思いますねぇ』って」

 眼鏡を直す仕草を思い出しながら言うと、隣で瞬が吹き出した。

「今の、そっくりだ」

「そうか?」

 驚いて振り向く。瞬はマフラーで口元を隠しながらまだ笑いつづけている。意識して真似たつもりは無かった。笑わせる気はもっと無かった。ただ単に、聞こえたままを声に出しただけで。

「そうだよ。君、案外演技もできるんじゃないか」

「からかっ……てはないんだろうな」

 瞬は遊助が見たこともないような笑顔を見せて、言われたこともないようなことを言った。演技ができるのは瞬の方じゃないか。たじろいだ遊助は変える話題を探す。頭を掻けば指先に触れる髪が冷たい。ビルの群れの間をさまよわせた視線が、道端で光る看板に止まる。

「コンビニ寄ろうぜ」

「どうしたの、いきなり」

 今度は瞬が動揺する番だった。遊助は彼を真っ直ぐに見つめる。

「息抜きだよ息抜き。俺が瞬を見習うだけじゃなく、瞬も俺を見習った方がいいって、たぶんそういうことだろう」

 半分は屁理屈、半分は本気。けれどこの真面目な相方は、きっと十割本気で受け取るのだろう。その程度は分かってきた。その程度しか分からなかった。どちらかといえば、悪かったのは遊助の方なのに。

「……自覚はある、けど」

 案の定、彼はうつむいてしまう。このままだと睫毛に雪が積もりそうだ。さっさと自動ドアをくぐってレジ前に向かう。

「中華まん食おうか、寒いし。瞬はチーズ好きだしピザまんでいい?」

「ピザまん……」

「もしかして、食べたことない?」

 瞬が目に見えてあわてる。芸人にいじられても冷静な瞬が、と思う。

「そういうことじゃない。いや、確かに初めてだけど。そうじゃなくて、待って、心の準備が」

「要らないよ。すみません、肉まんとピザまん、一つずつ」

 面白くなってきた遊助はそのまま勝手に注文と会計を済ませた。情けない悲鳴のような声を漏らしたきり、ぼんやりと店員の動きを見つめていた瞬に、熱々のピザまんを手渡す。本当は外で食べるつもりだったけれど、さすがにかわいそうになってきてイートインスペースに向かった。かさかさと音を立てて包み紙をむくと、柔らかい皮に歯を立てる。熱気とオイスターソースの匂いがあふれ出して、脂の甘さと椎茸の旨味がじんわり広がっていく。夢中になって食べ切ってしまうと、隣に座っていた瞬が、おそるおそる二口目をかじるところだった。

「どう?」

 瞬は遊助の手元を見て目を丸くし、自分の手元に視線を移すと、まだほとんど残っているピザまんに顔を隠すようにうつむく。

「これ、温かいんだね……」

「マジで食べたこと無かったんだな」

 ほんのり紅く染まった頬を見て、遊助は声を上げて笑った。

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