第4話 夢は、きらめきと炎と闇の味


 夢は雲の味がする。

 雲なんて、食べたことないけど……。

 ちいさいころに、空を見て考えたんだ。雲って、美味しそうだな、って。

 美味しそうだけど、きっと一生食べられないな、って。


 夢は、雲の味。

 絶対に食べられないものの味。


 ――僕はこの舞台で、夢を味わっている。



■□■



「アレックスーーーーーーーー!!!!」


 はっ、として顔を上げた。

 透明な汗が飛ぶ。いつの間にか、僕の全身は汗ばんでいた。

 嫌な感じはない。体重がないみたいにふわふわしてて、目の前は光ってる。

 夕暮れなのに、きらきら、きらきら。

 何が光っているのかって、顔だ。笑顔だ。

 たくさんの笑顔が、僕を見ている。


 それだけで、僕の胸はぎゅうっとなった。

 こんな目で見られたのは、生まれて初めてだったから。

 きらきら、きらきら。夢と希望しかない、たくさんの目。

 その向こうで、レンが笑っている。

 僕に、ドレスをくれたひと。

 僕に、夢をくれたひと。


 レンの笑顔は、ひときわ明るい。

 痺れる。嬉しい。君がすき。


「レン!! ありがとうーーーー!!」


 僕は力一杯叫んで、手を振った。

 今すぐレンのところに行きたかったし、抱きつきたかった。

 全力で『ありがとう』を伝えて、そして……。

 全部、ばらしてしまいたかった。

 本当のことを言いたい。

 僕のために本気で走ってくれたひと。

 そのひとに、もう、何も偽りたくない!!


「アレックス、俺…………!!」


 レンが叫んでいる。


「え? 何? 聞こえない!!」


 僕はけんめいに叫び返す。観客の声が大きすぎるんだ。

 魔族の聴力を使っても、レンの声だけ聞き分けるのは難しい。

 だけど、わかる。レンは必死だ。

 何か、僕に伝えたいんだ。

 

「俺、ほんとは、っ……」


 ほんとは、何?

 僕は大きく身を乗り出す。

 直後、誰かがレンを押しのけた。

 僕はむっとした。次に、ぎょっとした。

 レンを押しのけた男は、ひどく乱暴だった。


 そして――まっすぐ僕のほうに来る。

 フードつきローブをかぶった大男。手元で光っているのは……。

 

 え。

 ナイフ?


「おい、待てよ!」


 押しのけられたレンが、けわしい顔で大男の肩をつかむ。

 大男は、うっとうしそうに立ち止まった。

 

「放せ」


 低く言い、大男は振り向く。

 そいつの袖から……長い刃が生える!!


「レンッ!!」


 とっさに、僕は叫ぶ。

 同時に、大男はレンに向かって斬りつけた。


 レンが、死んじゃう。


 そう思った瞬間、僕は総毛立った。

 目の前がぐうっと暗くなり、心が逆立つ。

 普段は目立たない魔族の証、首筋のうろこが浮き上がる。

 ゆるさない。レンを殺すなんて、絶対に許さない。

 レンを殺したら、お前も殺す。お前に連なる者も殺す。お前を覚えている者も殺す。お前にまつわるあらゆるものを殺す。小指の先から。髪の毛の端から。じわじわ殺す。最後まで正気が残るやり方で。最後まで痛覚が残る殺し方で殺す。


 お前を、殺す。


 僕が思った、そのとき。


 刃をふるった大男は、華麗に宙返りした。


「!?」


 なんでいきなり!? と固まる僕。

 大男は、びたん!! と、すごい勢いで地面にたたき付けられた。

 レンは、大男の腕を掴んで平然としている。


 つまり……レンが、大男を投げ飛ばした、ってこと?

 こんなにも鮮やかに!?


「あっぶねーな。なんだよ、その物騒なやつ。歌を聴きに来るのにいらないだろ」


 レンは言い、力一杯大男の背中を踏みつける。

 すごい。恐怖心が全然ない。かっこいい。

 でも、不思議だ。こういうこと、慣れてるの?


「レン……気をつけて!!」


 疑問は頭をぐるぐる回る。それでも、まずはレンの安全が第一だ。

 僕が叫ぶと、レンは僕を横目で見て、笑って見せた。


「大丈夫、安心しろ!! お前の夢は、俺が守る。絶対に大丈夫だ!」


「…………!!」


 こんなときなのに、レンは僕のことを心配してる。

 僕の夢のことを……。

 すごい。レンはとにかく、ものすごい。

 何か言い返したいのに、ありがとうの言葉すら出ない。

 その間に、レンは大男から刃物を回収しようとした。レンが腰をかがめ、男に手を伸ばす。そして、動きを止める。


「あ? なんだこれ」


 レンの声音が代わる。

 彼が見ているのは、大男の手。

 大男は刃物を握っている……わけじゃない。

 大男の手首から、直接刃物が生えている!!


「ひぇっ!」


「ま、魔族……!?」


 すでに遠巻きだった観客たちが、悲鳴をあげて後ずさる。

 地面にはいつくばっていた大男――手から刃を生やした魔族は、レンを見上げて、にやりと笑った。


「レン、避けて!!」


 僕は絶叫した。

 レンが、弾かれたように飛びすさる。

 わずかに遅れて、魔物の背から五本の刃が突き出した!!

 背骨から生えた刃は、さっきまでレンがいた空間を貫いている。


「チッ、外したか」


 魔物はつぶやき、ばねを利かせて立ち上がった。

 ボロボロになったフードつきローブが脱ぎ捨てられると、魔族の容貌があらわになる。真っ赤な目。頭には角が二本。そして、背中と右腕からは、刃が生える。


「き、きゃああああああ!!」


「魔族だ、バケモンだ、逃げろぉ!!」


 どっと広場を出ようとする人たち。

 魔族は、ひどくゆがんだ笑いを浮かべて叫んだ。


「逃がすかよぉ!!」


 ぶわっ、と魔族から黒いものが広がる。魔界の黒い霧だ。

 霧はあっという間に広場を包む。


「出られない……進めない……なんでだ!?」


「やめてぇ、殺さないで!!」


 霧は物理的な障壁となり、逃げる人々を阻んだ。目でみるかぎりは黒い霧としか見えないが、触ると弾力のある壁なのだ。

 押しても、引いても、斬っても、霧の壁を乗り越えることはできない。

 錯乱する人々の中で、冷静なのはレンだけ。

 レンは、魔族に言い放つ。


「お前、自分が何したかわかってるのか?」


「ああ? 気にくわねぇ目だな」


 魔族が笑いながらうなる。

 レンは、やっぱりひるまない。


「目の話はしてねぇよ。お前は、自分が何したのかわかってるのか、って聞いてる」


「わかってるぜ? 目障りなもんを、消しに来た」


 魔族はうっすらと笑いながら言う。

 そして横目で、僕をにらんだ。

 魔族はまくしたてる。


「目障りなんだよぉ!! 能天気にひらひらした服着やがって、ふわっふわの夢みてぇな歌ばっか歌って……この役立たずどもが!! メシを作るわけでもねえ、掃除するわけでもねえ、もちろん戦うわけでもねぇ。弱っちい人間の中でも最弱の類いの女じゃねえか。

 気にくわねえ。気にくわねえなあ。そんなやつらがのうのうと生きてる人間界も、そんなやつらをきゃーきゃー言ってる奴も、もちろん歌ってる本人も、とにかく、めちゃくちゃに目障りだっつってんだ!!」


「…………!!」


 僕は固まった。

 どういう、こと?

 こいつは僕を人間の女の子だと思ってる。

 つまり、人間の女の子が歌うのが、目障りなの?


 歌ってるだけなのに……?


 呆然とする僕の視線の先で、レンが言う。


「つまり、お前もきゃーきゃー言われたいってこと?」


「はあ!?」


「え!?」


 レンの言葉に、魔族も、僕も、おどろいて彼を見る。

 レンは真顔で続けた。


「色々言ってるけど、結局それって、アレックスがきれいすぎて羨ましいよぉ~~ってことだよな?」


「だ……誰がそんなこと言った!?!?」


「お前」


「この野郎……ふざけやがって!!!!」


 魔族の叫びは広場をびりびりと震わせる。

 つむじ風が吹き起こり、魔界の霧がレンを包んだ。


「っ!!」


 僕は息を呑む。

 魔界の霧は、レンの全身を覆い尽くしている。霧は大蛇みたいにレンを巻き取って、ぎりり、としめつけた。

 レンはわずかに顔をゆがませ、それでも笑う。


「恥ずかしがってんじゃねーよ。アレックスはきれいすぎるから、錯乱してもしょうがねえ……そこはゆるしてやるからさ」


「ゆるすんじゃねえ!! っつーか、俺を勝手に歌い手ファン扱いすんな!!」


 なぜかうろたえ気味の魔族。

 レンはニヒルに笑った。


「どう見てもファンだろ……」


「ファンじゃねえ!!」


「ファンだ」


「ファンじゃねえええええ!!!! 大体お前、こいつのなんなんだよ!? ただのファンにしちゃ気持ち悪ぃよ、なんつーか、こう、勢いが!!」


 な、なんだろう、この論争。

 じんわりと冷や汗をかく魔族に、レンは言う。


「ファンだよ。親友でもある。あと、騎士?」


「騎士ぃ!?」


 魔族の声は裏返る。


「そう。あいつの、夢の騎士だ」


 レンの声は、どこかうっとりしていた。

 あいつ、っていうのは……多分、僕のこと、なんだろうか。


「俺は裁縫と戦闘しかできない。カリスマもないし、みんなに仰ぎ見られるキラキラ野郎は向いてない。だけど、こうしててよくわかったよ。キラキラには、嫉妬するバカが群れてくる。お前みたいなバカからキラキラを守るのが、俺の使命だ」


 ………………。

 …………………………。

 レン。


「この世は結構闇が深いから、きらめくものが必要なんだ」


 レンが囁いたとき、なぜか、ぶわっと過去のことが思い出された。

 生まれてすぐ乳母に手渡され、勉強と訓練ばかりだった日々。

 僕を値踏みするような目、目、目、目。


 あの日々になかったものを、レンがくれた。

 レンは僕を守ってくれた。


 僕は守られてる。

 僕の夢は守られてる。


 夢は、守られて、咲くものなんだ。


「なぁにを舐めたこと……!!」


 魔族が怒鳴ろうとする。

 その声にかぶせて、僕は全力で叫んだ!


「みなさーーーーーーん!! はい、ちゅうもーーーーーーく!!」


 我ながら、いい声が出たと思う。澄んだ、よく響く声が。

 おびえた人々の視線が集まってくる。


「なんだぁ?」


 魔族も僕をにらみつける。

 僕は、魔族の赤い目をぎゅっとにらんで、とびきりの笑顔になった。


「びっくりさせちゃってごめんなさい!! 実はこれ、ぜんぶ、今日の特別な公演のために用意した出し物だったんです!」


 僕が叫ぶと、広場の人たちはぽかんとする。

 魔族もレンも、ぽかんとする。


「はあ!? てめぇ……」


 最初に我に返ったのは、魔族だった。

 僕はそいつの目に向かって語りかける。

 心の、声で。


『黙れ、下郎』


「……? …………………………!!」


 魔族の顔がゆがむ。きっと声が出ないんだ。

 それはそうだろう。僕は彼に、精神魔法をかけている。

 僕は今、とても、とても、怒っている。

 目の前の魔族にじゃない。

 自分に、怒っている。

 今の今まで、戦わなかった自分に!!


『お前は戦時に、戦闘特化の改造を受けた魔族だな?』


 僕は語りかける。

 相手には、実際より威厳ある声で聞こえているはずだ。僕の得意な魔法は卑怯な魔法だ。相手の心に入りこみ、揺さぶり、言うことを聞かせる。

 僕はこの魔法が嫌いだった。この魔法で戦う自分のことも嫌いだった。

 だから戦いたくなかった。もっとキラキラしたものになりたかった。


 だけどそれって、ただの逃げだ。


 問題を解決しようともせず、自分ってものから逃げていた。

 自分の周囲からも逃げていた。

 自分の責任からも。

 そして、多分――自分の、しあわせからも、逃げていた。

 

 自分から、もっとも遠い理想を作って、それを他人に押しつけた。

 きれいな人間の歌い手に理想を着せて、舞台の下から仰ぎ見るだけだった。

 だけど、舞台に立ってわかった。

 美しいだけのキラキラなんか、この世にはないんだ。

 みんな苦しみを隠して舞台に上がり、憎しみと欲望をぶつけられて笑うんだ。


 だったら僕は――この手を汚して、この世のきらめきを守ってみせる!!

 まずは、レン……君を!!


 そのために、僕はとびきり残酷な心の声を出す。


『答えよ。これは命令である』


『は、はい……そう、です。俺は、改造を受けて……戦争が終わったあとは、まともな生活ができず……』


 魔族の心の声は揺れていた。

 僕はうっすらと微笑む。

 多分、父に似ていたと思う。


『なるほど、それは哀れであるな。だが、哀れだからといってお前の罪は軽くはならぬ。なぜならお前の刃は魔王陛下に与えられしもの。魔王陛下の望むままにふるうべきもの。お前が陛下のご意志に逆らえば、その瞬間になまくらとなり、お前の枷となるものであるからだ』


 呪文のように囁くと、魔族は大きくよろめいた。


「ぐうっ……!!」


「うわっ! ひ、広場にヒビが!?」


 周囲がざわめく。

 魔族は自分から生えている刃を支えきれず、地べたに這いつくばった。

 その足下からは、幾本ものヒビが伸びている。まるで、刃が猛烈な重さになったようだ。これが僕の精神魔法の威力。

 魔族に『刃が重い』と思いこませ、魔族自身の力で地面にめりこませている。

 このままどんどん魔法を強めれば、魔族は自力で潰れるだろう。


 僕は続ける。


『重いだろう? これはお前の罪の重さだ。このままどんどん重くなれば、お前の四肢は耐えきれぬ。手が潰れ、足が潰れ、腹が潰れるだろう』


『うぐ……ぅぅ、この、声……この、威圧、この、魔法……あなたは……? ひょっとして……あなたさま、は……?』


 魔族の声はどんどんか弱くなっていく。

 僕の正体を察したのだろう。震えながら僕を見る。

 可哀想だ、と思った。改造魔族の処遇は、もっと僕たちが気をつけてやらなきゃならいことだ。

 でも、それはあとでいい。


 今の僕は、とびきり冷酷に囁くだけだ。


『僕に名乗らせたいか? 我が名を聞けば、お前はこの世でもっとも苦しい死を免れないが』


『ひぃぃぃぃぃ!! お、お許しを……お許しを!! お、俺、実はちょっと歌い手ファンで……そ、そのっ、人間界にばっかりいい歌い手がいて、悔しかったっていうか……!!』


 完全に、落ちた。

 魔族はすっかり戦意を喪失し、涙目で訴え始める。

 僕はほっとしつつ、きれいに絞られたドレスのウェストに両手を当てて告げた。


『だったら、ファン活動のルールは守れ』


『はいいいいいいいいいいいい!!!! 必ずや、誓います!!』


 這いつくばったまま、必死に額を床にすりつける魔族。

 うん、これはもう、大丈夫そうだ。

 だとすると、あとの問題は――怪訝そうな目で僕らを見ている、レンと観客たちで。僕はとっさに案をまとめ、魔族に指示を出す。


『誓うと言ったな? では手始めに、みんなに向かって叫ぶのだ。これからハッピーキラキラタイムだよ、声をそろえて、ハッピーキラキラ!!』


『は、はっぴー……ですか!?』


『嫌か?』


『やらせていただきますぅぅぅぅぅぅ!!』


 すっかり従順になった魔族から、僕は魔法を解いてやった。

 魔族はよろめきながら膝立ちになり、手でハートマークを作る。


「み、みんなぁ~~~!! これから、ハッピーキラキラタイムだよぉ!!」


「は……?」


 きょとんとするレン、そして広場のみんな。

 ちょっと恥ずかしいけど、ここは勢いで乗り切るしかない!

 僕は、目一杯の笑顔で片手を高くあげる。


「みんなも一緒に!! ここにある夢を、しあわせを、形にしよう!! ハッピ~~~~?」


 叫ぶと同時に、僕は魔界の霧を操った。

 魔族が出した魔界の霧を、集めて、まとめて、空のほうへ持ち上げていく……。


「は、ハッピー……?」


 最初に声をあげてくれたのは、やっぱりレンだ。

 嬉しいな。優しいな。

 僕の騎士。

 僕の夢の騎士。

 ――忘れないよ。


 心に誓い、僕は叫んだ。


「キラキラタイム!!!!」


 同時に、僕は空を覆っていた黒い霧を散らす。

 いつの間にか、もう夜だ。

 霧が晴れると、満点の星があらわになった。

 おお、という声がぱらぱらあがる。


 そして――わずかに遅れて、空に花火があがった!!


 えっ、これは想定外だけど……何? どこから?


「わあっ……!!」


「すごい、ほんとに演出だったの!?」


 タイミングばっちりの花火に、人々は歓声を上げる。

 僕はきょろつき、広場の外に目をとめた。

 僕が散らしたせいで、広場の内と外を隔てていた霧は消えている。広場の外で、旅芸人の女団長が手を振っているのが見えた。


「おっ、やけに真っ暗だったけど、晴れたじゃないか!! 応援の花火が間に合ってよかったよぉ!!」


「!! ありがとうございます!!」


 すごい偶然。僕の胸は熱くなる。女団長に駆け寄りたかったけど、その暇はない。

 僕は舞台から飛び降りると、物陰へと走る。


「アレックス!? どこ行くんだ!?」


 レンの声。足を止めて、僕は叫び返す。


「衛兵を呼んでくる! 魔族を引き渡したら、あとで酒場で合流しよ!」


「魔族は俺だけでも大丈夫だけど……わかった。気をつけろよ!」


 レンの声、ちょっと心細そうだ。

 手を取りたいな、と思った。

 手を取って、大丈夫だよって言いたい。

 僕が守った、君のキラキラを間近で見たい。


 でも、もう、見ない。


「ありがとう、レン。僕の夢を守ってくれて。ありがとう……」


 僕は囁き、広場を出た。衛兵をつかまえて、広場の魔族をつかまえるように言ったら、あとは暗い路地にまぎれこむ。

 人気のないほうへ、ないほうへと歩いて行くと――。


「――お迎えに参りました、お坊ちゃま」


 闇の中から、見慣れた男が姿を現す。


「執事」


 僕はつぶやいた。執事はうっすらと笑う。


「そろそろ、次の試合が迫っております。人間界での休暇、楽しまれましたか?」


 相変わらず魔族らしい言いようだ。

 だけど、不思議だな。いつもみたいな嫌な気分にはならない。

 むしろ少しほっとして、僕は小走りに彼に駆け寄る。

 執事のマントをつかんでくるまると、しっとりとした闇の匂いがした。


「お坊ちゃま?」


 怪訝そうな執事。

 僕は声を潜める。


「僕が今まで何をしていたか、どうせ全部見てたんだろう?」


「それがわたしの仕事ですので。それが、どうか……?」


「改造魔族が尋問されたら、僕の正体がレンにもバレる。もう、一緒にはいられない……このまま、魔界に連れて帰ってくれ」


 かみしめるように、僕は言う。

 執事はなぜか、黙りこんだ。


「…………」


「どうした?」


 僕が顔を上げると、執事は笑みを消している。


「いえ。――幼いレックスさまを、こうしてお運びしたことを思い出しただけですよ」


 執事は、少し誠実につぶやき、マントの中で僕を抱き上げる。

 そうしてそのまま、魔界の霧の中へと進んでいった。

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