第3話 夢と目覚めのカウントダウン

 夢は、いつか覚めるから夢という。

 俺らは、それくらいは知っている歳だった。


「でき……た……!!!!」


 俺はうめく。

 アレックスは、薄い肩をふるわせて振り返った。


「できた? ほんとに?」


「うっ」


 しゃがみこむ俺。

 アレックスは青くなる。


「なっ、何? 疲れちゃった? レン」


 アレックスが俺を助け起こそうとするので、手で止める。


「違う。いいんだ。そこに居てくれ」


「うん……」


 首をかしげると、銀色の髪がさらっと流れる。

 髪がかかる肩は、花を編みこんだ紫のレースに覆われていた。

 そう。

 

 アレックスは今、俺の作った衣装をまとっている。


「は~~~~!! か、神ぃ…………!!!!」


 本音を叫んで、俺はアレックスをガン見した。

 すごい。ものすごい。

 完璧だ。

 完璧すぎて、暴力だ。

 今、アレックスは最高美神を超えて、奇跡そのものだ。

 

 イメージは、夕暮れの光。

 どこかもの悲しいアレックスのため、俺が造り上げたのは……ピンクから紫へのグラデーションドレスだった。

 

 俺はうわごとのように言う。


「今にもへし折れそうな細い首から鎖骨……デコルテのあたりを、あえて紫のレース生地で覆った俺を全力で褒めてやりたい……ここをばーん!! と見せてかっこいいのは、男でも女でも、胸が豊かなタイプだからな。

 アレックスみたいなタイプは、あえて隠したほうが、華奢さを華麗に見せられる。さらに、首と手首にはキラッキラのリボンでフリルをつけたところが、俺、天才! プレゼントにはリボンをかけるべきなんだよぉ!! これはマジで細い子しかかっこよくないやーーーーつ!!」


「そ、そうなんだ……」


 戸惑いながら、自分の手首を見るアレックス。

 動きにつれて、膝上丈のスカートがふわっふわと揺れる。

 俺はすごい勢いでうなずく。


「で、スカートのボリュームも完璧だな。とろんとした上品な布をピンクから紫のグラデーションに染め上げて、二重に重ねてるだろ? さらに端に真っ白なフリルをたっぷりつけることで、品良く、かつ、甘い雰囲気が出せたと思う。さらに俺のこだわりは!! スカートの下の、紺色三段ペチコート!!」


「あっあっ、これ、すっごくいいよね。僕もすき。スカートのボリュームも出るし、差し色にもなって……」


 アレックスが、頬を紅潮させて一回転する。


「ぐう!!」


「ねえ、やっぱり心配なんだけど!? お腹痛いんじゃない!?」


「大丈夫だッ、まだいける!!」


「う、うん!?」


 違うんだ、アレックス……。

 全然お腹は痛くない。

 俺は、見ちゃっただけなんだ。

 ふわん、ふわん、と大きく揺れるスカートの下に、すうっと伸びる長い足!!

 その硬質な美しさは、神殿を見たときの感動に近い!!

 神々しいまでの足を、紫のレースの長靴下に納めた俺、天才!!!!!!


 そして――。

 ふわん、と揺れたスカートの裾からチラ見えした! 靴下留め!!!!

 ほっそい腰に巻かれたウェストベルトから繋がる、紺色の靴下留め。

 きらっと光る、ビーズを貼った靴下留めをっ!!!!!!!!!

 見てしまった、だけ……。


「俺の人生に……一片の悔いなし!!!!!!」


 もはや四つん這いになって怒鳴る俺。

 すごい。すごいぞ。すごい!

 漠然と作るのとは比べものにならない。

 モデルがいるって、素晴らしい!!!!

 今ここで死んでもいい!

 むしろ死にたい!!

 

 なんて思っていると、肩に優しい感触が乗る。

 顔を上げると、アレックスが俺を見ていた。


「僕も、だよ」


 レースに包まれた少年の膝を床につき、淡く微笑むアレックス。

 きれいだ。

 俺は、ぽかんとして彼を見た。

 見とれていた。

 アレックスの目、涙で潤んでる。

 瞳の上の涙が、屋根裏につるしたランプの光を跳ね返す。

 きら、きら。

 ――宝石だ。


 アレックス、君は宝石だ。

 初めて出会ったときから、そうだった。

 一生で一度、千年に一度の運命。

 俺に足りなかったもの。

 俺が欲しかったもの。

 俺の宝。

 この世で一番の宝石。

 世界中の人間が、探して、探して。

 結局見つけられなくて、死んでいくのに。


 俺は……見つけてしまった。


 こんなの――こんなの。


「独り占めしたら……バチが当たるだろうが!!!!!!」


「ひっ!?」


 俺の叫びに、アレックスは縮み上がる。

 俺は、がし、とアレックスの肩をつかみ、叫んだ。


「アレックス!! 外に、歌いに行こう!!」

 


■□■



「広場で、歌いたいだぁ?」


 旅芸人一座の女団長が、派手に顔をしかめる。

 安宿の酒場で、俺は思いっきり頭を下げた。


「はい!! 町役場に行ったら、『広場の使用許可は旅芸人一座に出したから、広場を使いたければ一座と直接交渉しろ』と言われまして!」


 女団長は、ぷかあと煙草の煙を吐く。


 真っ昼間、安宿の酒場はスカスカだ。一座の女の子たちは、二階でまだ眠っているか、歌や踊りの練習に行っているかだろう。

 女団長は、俺の後ろをちらっと見る。

 そこには、味なフード付きローブをかぶったアレックスがいる。

 女団長は、値踏みする目で言った。


「そこの後ろの子、その子ひとりで歌いたいんだよね? つまり、うちの子になるってわけじゃないんだ?」


「そんな……」


 アレックスが口を開きかけたので、すかさず俺が言う。


「はい。本業が他にあるので、こちらに所属はできません」


 女団長は鼻で笑った。


「ふん。本業があるならそっちで生きなよ。この商売、そんな甘いもんじゃないからね。半端な気持ちでかじると、痛い目見るよ」


「そこをなんとか!!」


 俺は叫ぶ。アレックスの美しさをこの世に布教するためなら、これくらいなんでもない。だってだって、もったいないだろう!?

 歌い手の服は、舞台できらめいてこそなんだ。

 みんなの歓声を受け取ってこそなんだ。

 世界から拍手を受けなくちゃ、俺のドレスは完璧じゃない。

 ドレスを着たアレックスを、俺は本物にしてやりたい!!


 なんなら這いつくばろうかな、と思ったとき、後ろから声がした。


「あの。痛い目というのは、具体的には、どんな目に……?」


 アレックスだ。

 おそるおそる聞いてきた彼に、女団長は応える。


「歌い手、踊り子は基本的に地位が低い。色を売ってると勘違いしてくるやつもいる。お嬢ちゃん一泊行こう~~みたいにね」


 あー、まあ、そりゃそうだろうけど。

 俺はスンとしていたが、アレックスはびくりと震える。


「そう、なんだ……」


 ……薄々わかってたけど、こいつ、育ちがいいんだよな。

 俺も育ちはいいけど、親父が庶民派だから町の事情はわかってる。

 ここは俺が出るべきだ。

 俺は一歩前に進み、堂々と言う。


「変な奴らからは、この俺が守ります。これでも腕っ節には自信があるんで」


「レン」


 アレックスが、驚いた声を出す。

 そりゃそうか、アレックスの知ってる俺はお針子だ。

 戦えるなんて夢にも思っていないんだろう。


 だけど、俺は戦える。

 ずーっとずーっと訓練してきた。

 そのことが、今は嬉しい。


「相手が貴族だったら? 抵抗したら、斬り捨てられるよ」


 試すみたいに言う女団長。

 俺は即答した。


「させません。夢なんで」


「夢ぇ?」


「ええ。こいつをドレスで歌わせるのが、俺の夢なんで。夢は誰にも斬れません」


 きっぱり言い切ると、女団長は吹きだした。


「ふ。あは。あはははははははははは!! おっもしろいねぇ~~!」


 そして、急に女団長の人相が変わる。


「はっ、なぁにが夢だ!! ふざけるのもいい加減にしな! あんたらのはねえ、夢じゃない、寝言だよ! 下積みの苦労もしないで、いきなり歌いたいっていう奴が言いそうな寝言だ。――いいかい、坊や。夢だけだったら、犬でも見られるんだよ!!」


 ……ひっでぇ言葉だな。

 でも、重い言葉だ。

 俺はじっと女団長を見つめた。

 このひとの言葉には、芯がある。そして、かすれきったデカい声……。

 このひともきっと、元は歌い手だったんだろう。下積みして、苦労して、歌って、歌って、酷い目にも遭って、声がつぶれて……。

 じゃあ他の子の夢を叶えようってなって、歌い手を率いて。

 そうして、ここまで来たんだろう。

 だからこそ、半端者には厳しい。


 わかる。

 だけど。

 俺は腹に力を込めた。


 戦いに臨むときみたいに。

 女団長を――その向こうを、見つめて言う。


「あなたの言う通りです。夢なんてのは、犬でも見られる。どーーーでもいいものです。だから、誰かが夢の価値を決めなきゃいけない」


「夢の、価値だぁ?」


「はい。アレックスの『ドレスを着てここで歌う』って夢の価値、俺が決めます。この夢には、俺が命がけで守る価値がある。そのことを、俺の命で証明する。アレックスの舞台、俺が命がけで守ってみせる。

 これは俺だけの夢じゃない。……俺とこいつの、夢なんで」


 言葉を重ねた。

 女団長は動かなかった。

 ――やけに静かだった。

 広場で誰かが笑い転げている声がする。

 歌い手の女の子たちかもしれないな、と思った。

 舞台から降りた彼女たちは、きっと普通の女の子だ。


「僕も」


 背後に、澄んだアレックスの声が生まれた。

 その声は、すっと俺の横に移動する。

 アレックスが、言う。


「僕も、戦う。僕の夢には、僕には、価値があるって……レンが教えてくれたから。今なら僕も、色んなものと……戦えると思います」


 アレックスは語りながら、フードを下ろした。

 紫の造花つきカチューシャでまとめた銀髪がさらりと流れ、瞳がきらっと光る。

 今の彼は、きれいで、でも、鋭くて――華麗な短剣みたいだ。


「……あんたら……」


 女団長がつぶやく。

 彼女はアレックスを見つめて、黙りこむ。

 そして、言う。


「うちの子にならない?」


「「え」」


 アレックスと俺の声が揃った。

 女団長は煙草を灰皿に押しつけると、ぐいぐいアレックスに迫ってくる。


「その気風きっぷ、気に入ったよぉ!! あと、あんた。めちゃくちゃべっぴんじゃないのおぉ~~早く言ってよぉぉぉぉぉぉ……その気風でその見た目、修行さえきっちりすりゃあ、いつかはうちの看板だよ! パトロンばんばんつき放題で豪遊必至、余生は好き放題、そんな人生目指さない? どう!?」


「ほ、本当ですか? じゃなくて、その、実家から許可が出ないので……」


 おろおろするアレックス。

 俺は彼の肩を抱えて、しっしっと女団長を追い払う。


「つか、俺の歌姫にほいほい唾つけないでくださいよ!!」


 女団長はそんな俺たちをニヤニヤ見回し、腕を組んだ。


「ふーん。訳あり貴族のお嬢さまと騎士ってとこ? まあいい、好きにしな。あたしも他人の夢が叶うところを見るのは大好きさ。舞台と楽団は貸したげる」


「舞台と楽団……? それって……」


 目をぱちくりするアレックスと俺。

 俺たちは、顔を見合わせて考える。

 数秒後、俺は叫んだ。


「本気の舞台ができる、ってことじゃねえか!!」



■□■



 町の広場は、朝市が終わったあとは子どもの遊び場になる。

 再び賑わうのは、夕方からだ。

 だけど今日は特別。

 日が暮れる前から、仮設舞台が用意された。


「緊張してる? アレックス」


 テントの控え室で、俺は聞く。

 隣にはドレス姿のアレックス。


「そ、そそそそんなこと、なななななないよ?」


 こっちを向いた顔は、めちゃくちゃ硬い。

 可哀想なくらい緊張してる。

 俺は少し、申し訳なくなった。


「ごめんな、アレックス。俺が無理言って付き合わせた感じになっちゃって」


 俺が思わず苦笑すると、アレックスは目を瞠った。


「レン」


「いやー、俺って結局、父親似なんだよな! 熱血っていうか、猪突猛進っていうか。周りのこと置き去りにして、突っ走っちまうっていうか……」


 そっぽを向いて、俺は言う。

 その腕が、アレックスにつかまれた。


「えっ」


 思ったより強い力。ぐいっと引き寄せられる。

 鼻と鼻が触れそうな距離で、俺たちは顔を見合わせた。

 すぐ近くで見るアレックスの目は、すごく、深くて――静かで。


 俺は、ぞくり、というか、ひやり、とした。


 なんだろう……威厳? カリスマ?

 アレックスには、そんなものがある。


「これは、僕らの夢だ。そうだよね?」


 澄んだ声が響く。

 僕ら、と言われた瞬間、俺の胸はちりりと燃えた。

 小さな炎を、ともされた。

 俺は笑う。


「うん。……そうだ」


 熱が育つのを感じながら、俺はポケットを探る。

 取り出したのは、町で買った口紅だ。

 平たい陶器のケースには、花模様。

 中身の色は、紫がかった上品なピンク。


「これ、似合うと思って買ったんだ。使うか?」


「かわいいケース……」


 アレックスは嬉しそうに目を細め、俺を見上げる。


「僕、口紅使ったことない。君、塗ってくれる?」


「あ、ああ、うん……」


 そりゃそうだよな。初めてだったら、他人がやったほうが上手く行く。

 俺は慌てて円い口紅ケースを開けると、中身を小指の先にすくった。

 アレックスは静かに目を閉じて、顎を上げる。

 びっくりするほど無防備。


 ……うわ。

 なんだ。え。マジ、何。何!?

 一瞬、情緒がぐちゃっとなった。

 わけわからん。

 呼吸ができない。

 ぼーっとする。

 だめだ、落ち着け。

 何やってんだ、俺。


 落ち着け。慎重に、慎重に。

 こいつをきれいにすることだけ、考えろ。


 息を吸って――吐いて。


 俺は小指を、すっとアレックスの唇に滑らせる。

 びっくりするくらい、なめらかで、柔らかい感触。

 青ざめていた唇に、色が生まれる。


 それは黄昏の美しさ。

 もしくは、夜明けの空の、泣きそうになる美しさ――。


 ……やっぱり、俺のアレックスは世界一だ。


「――いってこいよ、アレックス。君は世界一だ」


 アレックスが女神みたいに微笑む。

 微笑んで、俺を押し放す。

 そうして、片足を引いて、優雅な一礼。


「ありがとう。いってきます」


 ふわふわのドレスを揺らして、アレックスはテントを出て行く。

 細い腰にはでっかいリボンが揺れているけど、王者みたいな後ろ姿だ。

 俺はわくわくした気分で外に出る。

 アレックスは舞台に上るところだった。

 まだ観客はいない。

 けど、今だけだ。


「なんだ? 誰、あれ」


「歌い手さん? まだそんな時間じゃなくない?」


 乗り気じゃなさそうな声で囁きあいながら、人々は足を止める。

 ホラ見ろ、そうだろ? 一度見たら、目を離せないだろ?

 みんなみんな、俺たちの夢の形に、魂をとられてる。


 ひとり、ふたり、十人。

 観客がふくれあがっていく間、アレックスは舞台の上で、目を伏せていた。

 銀のまつげに、夕暮れの光が乗る。生きた宝飾品みたい、

 ――きらり。

 やがて光をこぼして目を上げて。

 アレックスがみんなを見る。


 そして、言う。


「初めまして、こんにちは。僕は、ずっと、こうしてここに立つ女の子たちを見るのが好きでした。女の子たちの、夢を見るのが、好きでした。そしていつか、彼女たちになりたいと思っていました。

 ――それが僕の夢だと気づいたのは、ほんの少しだけ前のことです」


 澄んだ声は、凜としていた。

 美しい抑揚に、誰もが聞き入っていた。

 アレックスは言葉を切ると、舞台上から俺を見る。


「僕に夢を気づかせてくれたのは、僕の大切な友達。初めての、友達です」


 口紅で彩られたくちびるが、笑う。

 俺の頭の中で、何かが白く弾ける。


 ああ――夢だ。


 ここに、夢がある。


「僕は、僕と、大事な友達の夢を抱えて、ここにいます。もしよければ、ほんの少しだけ……僕らの夢を、一緒にみていってください!!」


 アレックスは言い、しなやかな右手を挙げる。

 同時に、楽団がシンバルを鳴らした。

 湧き上がるように太鼓が鳴る。

 弦楽器が走り出す。

 興奮が、喉元までせり上がってくる。


 我慢できなくなったときに、アレックスが歌い出す。

 澄み切った声で、頭の芯がぐらぐらする。

 

 わあっ、と歓声が上がった。

 もう誰も不審げな顔なんかしていなかった。

 みんな、みんな、頬を紅潮させていた。

 みんな、みんな、歌に酔っていた。

 拳を握って。体を揺らして。石畳を踏んで。

 アレックスが歌っているのが、ずいぶん古い歌だと気づいたのは、しばらくしてからだった。昔、伝説の歌い手が歌った歌だ。懐かしいくらいの歌だったけれど、アレックスが歌えば最先端に思えた。


 俺はいつしか、叫んでいた。


「アレックスーーーーーーーー!!!!」


 楽団の音の向こうで、アレックスが俺を見つける。

 そうして、顔全体で笑い、手を振ってくれた。


「レン!! ありがとうーーーー!!」


 ありがとう、だなんて。俺が言わなきゃいけない言葉だ。

 アレックスは、俺を信じてくれた。

 全身で、全力で、信じてくれた。

 俺は、自分の本名すら明かしていないのに。


 俺は必死に叫び返した。


「アレックス、俺、ほんとは違う名前なんだーーー!!」


「え? 何? 聞こえない!!」


 気づけば辺りはひとの海で、歓声の渦だった。

 アレックスは俺のほうに耳を向ける。

 

「俺、ほんとは、っ……」


 息を吸いこんで、腹に力をこめた。

 本当のことを言う。

 本当の意味で、友達になるために。

 そのためになら、周囲に馬鹿にされてもいい。

 今までの自分なんか、捨ててやる。


 俺が決めたとき。

 背中がひやっと寒くなる。


 慣れた感覚。


 これは――殺気だ。

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