お前は誰だ お前は誰だ

 口の中に何かが入っているので顎を動かしていた。舌の上に乗ったものを歯で噛みちぎってずたずたにして奥に流し込めば栄養が取れる。そうか、今は昼で僕は食事を取っているのか。周りの人間も黙々と口を動かしているから、この考えは当たっているようだ。


 何処かわからない場所で黙々と食事をこなす。何かわからないものを口の中に入れて咀嚼している。何かわからない味にまずいと言う。何かわからない硬貨で代金を支払って、その場をすぐ後にする。


「今食べたのがドロシーじゃなかったらいいな」


 今の一連の流れの中にいくつドロシーが混じっていたかわからない。食事がドロシーだったかもしれない、周りの人間がドロシーだったかもしれない。味がドロシーだったかもしれないし、何処かわからない場所がドロシーだったかもしれない。ドロシーの無い日常が一番だが、どうしても混じってしまうのだから仕方がない。最近こんな事ばかりずっと考えている。


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 今日も今日とて意味の解らないドロシーの言葉に頷きを返す。どうやって情報提供者に会ってどうやってここまで来たのかもよく覚えてないが、とにかく今日も捜索を完了できた。適当に会話を終わらせた空気を作り、さっさとその場を立ち去っていく。


「あまり長くいると僕もドロシーになってしまうからな……」


 開いて閉じて手の平を見つめ、まだ自分が自分として存在している事に安堵する。情報提供者達は目を離した次の瞬間にはドロシーだろうが、僕は丈夫さが999999だからまだ大丈夫だ。僕は深入りしなければ自分を保っていられる。世界中のドロシーを見つけ切ってしまうまでに、なんとかノウィンで会った日の真相を探らなくてはならない。


「何で約束を破って逃げた!? 何でだ!?」


 いつまでも曖昧に相槌を打っているだけでは埒が明かないので、たまには強い態度で相手を責める。ユニーク能力の事、姿をくらました事、あらゆる謎を正義の元に詰問していく。だがいくら僕が問い詰めた所で、向こうはただの民家の壁なので返事は返ってこない。


「ドロシーじゃなかったか……」


 不発に終わった問い掛けに対して軽く肩を落とす。これは世界の仕組みに習熟する事によって自然と行き付くテクニックなのだが、世界の全てのものがドロシーたりうる事を利用して目に映る全てのものを詰問していけばいつでも片手間でドロシーの秘密を追及する事ができるのである。いまだ真実に辿り着けていない僕にとってこの手法は非常にありがたく、町を移動する最中などはよく空や地面を問い詰めながら効率的に歩いている。(※間違っても自分の所有物、体の一部などに話し掛けてはいけない。ドロシーになっても問題がないものに話し掛ける事)


「おいうるせーんだよてめえ! うちのガキが怖がんだろうが!」


「あぁ……?」


 急にガラの悪い男が話し掛けてきた。理不尽な言い草にこちらも思わずにらむような目つきになる。


「ドロシーに話し掛けてるだけだろ!」


「頭おかしいのかてめえ! 一人で家にでも閉じこもってろ!」


「黙れ、お前もドロシーにしてやろうか! ほらドロシーだ! お前は次の瞬間にはドロシーだ!」


「何言ってんだお前!」


 一触即発の危ない男にこちらも相手をドロシーにする事で対応する。だが男の数歩後ろで心配そうにこちらを見つめている子供が目に入り、僕ははっと我に返った。


「い、いやなんでもない! お前はドロシーじゃない! ドロシーじゃなかった!」


「なんだと!?」


 変わらず険悪な態度の男をその場に残し、僕はそそくさとひとごみを潜り抜けた。離れた区画へと逃げ込み、噴水のへりに腰掛ける。


「僕は……僕はなんて事をしようと……」


 先の自分の所業を思い出し、愕然とする。いくらイライラしていたからって、気に入らない相手をドロシーにしてしまおうだなんて。


「あんな男にも子供がいるんだ……ドロシーでない子供がいるんだ……」


 全てのドロシーでない人間にはドロシーでない家族がいる。その当たり前の事実に気付かないほど余裕を失っていたなんて。この世のドロシー以外の人間はみんな家に帰れば家族や仲間がいて、みんなドロシーを知らない。一人の人間をドロシーにするという事は、その絆ごとドロシーにするという事なのだ。


「知らないだけなんだ……彼らは、知らないだけで……決して、悪くはないんだ……」


 もう誰も巻き込んではいけない。こんなのは僕だけでいい。僕だけがドロシーの世界性を理解して、僕だけがドロシーを探すんだ。たった一人で世界ドロシーを相手にする、それが僕に与えられた役目なんだから。だからできるだけ誰も巻き込まないように世界中で情報提供者を募るんだ!



『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 今日もドロシーとの遭遇で一つ町が沈む。この町にも多くの人が住んでいるだろう。彼らはきっと明日も変わらぬ日々が待つと信じ切っているだろう。それを壊すのが僕だ。この町のドロシーを見つけたがためにこの町はもう元の姿には戻らないのだ。


「解読する……! 町の犠牲を無駄にせずにドロシーを解読するんだ……!」


 意気込むような呟きも全て虚しく響く。町は有限だ。無駄に人里を食いつぶしながらドロシーを見つけ漁り、それでも解った事など何も無い。目の前にそびえ立つのはいつものドロシー。問い掛けに返ってくるドロシー音も何も変わりはしない。


「駄目だこんな……こんな事じゃ……」


 罪悪感と焦燥感に突き動かされながら、なんとか耳に届く音を解読しようと試みる。ドロシーの姿に暗号が隠されていないかと危険をかえりみず凝視する。だが何も解読できない。ドロシーの音もドロシーの姿も魔法帽っぽい頭部もドロシーという名前に隠されたアナグラムも、全て何も答えを見つけ出す事ができない。


「難し過ぎる……僕にはドロシーが難し過ぎるんだ……無理だ、解読なんて……解読なんて……とても……」


 ぼやけた視界の中でうわごとのように呟く事しかできない。二重三重に耳の奥で拡散するドロシーに苛まれながら解る所から一つでも解こうともがくが、もはや視覚も聴覚も限界だった。周囲を囲む膨大なドロシーに翻弄され、もはや自分を保つ事が危うくなっていく。


「もう……駄目だ……もう、 駄目……」


 ドロシーが目の前にいる。僕と対峙している。いつもの音を出している。ドロシーの顔、ドロシーの音、ローブっぽい服、魔法帽っぽい頭部、感覚器官に殴りこんでくる猛烈なドロシーの嵐についに僕は意識が飛びそうになり、そして




「……?」



 ふと、に気付く。


 いつもどおりの巨頭。いつもどおりの怪音。いつも通りの意味不明。だが何かがおかしい。何か、この場にそぐわないどうしても気になる何かがある。


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 ドロシーは僕の思考に関係なく音を出し続けている。こちらを見ているのか見ていないのかわからない眼差しを拡散させ続けている。頭長の三角が揺れている。


「やっぱりそうだ……」


 ほとんどいつもと変わらない目の前の光景にたった一つだけ違いがある。ともすれば見逃してしまいそうな、だが確かにそこに存在するほんの小さな不可解。


 それはもしかしたら無視しても構わない程度だったのかもしれない。いくらでも理由の付けられる事柄だったのかもしれない。だがあまりに難解な目の前の問題にやられた僕は、気付けば吸い寄せられるようにそれを指さしていた。崩れてひざまずく姿勢から改めて立って向き直る、相手の方。


、何処かで会った事ないか?」


「え?」


 唐突な言葉にぽかんとする。路地裏の一角でドロシーをよく見かけると教えてくれた……今回の


「いや、俺はそんな覚えないけど……何処かって何処で?」


「え、ああ……えーと……」


 男が不思議そうに問い返すのに、僕はしばし考える。はっきりとは思い出せない……だけど何処かで会ったような気がするんだ。何処だったか……あれは確か、確か……



「……?」


 男は僕の回答に対し、やはり数秒怪訝な顔をしていた。だがやがて何かに気付いたようにハッと息を漏らし、そこからみるみるうちに不審な挙動を取り始める。


「い、いや、俺はそんなとこ行った事ないけどな! こっから結構遠いんじゃねえか!? 気のせいだよ!」


 露骨に焦りながら笑い飛ばす男。特別な鋭さが無くてもわかる明白な。今まで頭を悩ませてきた難問と比べてはるかにわかりやすいおかしさ。


「そ、そういえば用事を思い出した! 俺は帰るから、この後は好きにしてくれよな! じゃな!」


「あ、おい……」


 言うが早いか男はばたばたと走り去って曲がり角へと消えていく。ぽかんとしながら見送った後にふと振り向くと、ドロシーもまた反対側の曲がり角へと消えるのが見えた。


「ドロシー……?」


 ドロシーが僕が去るよりも先に自ら去っていくのは初めての挙動だった。明らかにいつもと違う事が起こっている。何かがある。真実かどうかはわからない、だが何かが確実に。


 前後見比べて数瞬悩んだ末、僕は建物の上へと飛び乗った。視線の先には慌てたように逃げる情報提供者の男。跡を付ける。気付かれないように音を立てず。


「一体何だと言うんだ……」


 男はちらちらと後ろを振り向きながら逃げ続ける。世界を蝕むドロシーとは比較にもならない不格好だ。何故だか胸がざわざわとし始めた。

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