ドロシーの事を聞かせてやる!

 背の高い広葉樹が深緑の葉をひたすらにひしめかせる森の中。木漏れ日の下で威嚇の雄たけびを上げるのは強力な酸のブレスを武器とするイエロードラゴンだ。対してその矛先に佇むのはBからランクに更新の無い冒険者ライト。まばゆい閃光が一瞬あたりを包むと、途端に竜の声は途絶えて消える。


「どれだけ探したところで、せいぜいが魔物ばかり……」


 じっと右手で弾ける高圧電流を見て独り言ちる。辺りを震わす雄たけびは止み、ずしんと倒れ伏す大型モンスターから消し炭の真っ黒な香りが漂ってくる。


 結局の所、何処を探しても見つからないという結果だけが目の前に重なり続けていた。必死の思いで世界を駆けずり回って、何故か何もしていないという結果だけが残る。いつから僕は何もせずただ生きているだけになってしまったのだろうか。



「えっと、ライト君……先週二回しか仕事してないんだけど……」


 診療所のノーマン先生は顔を出す度に出勤態度について口を出してくる。言いにくそうに紡がれるその言葉を聞くたび、世界捜索の成果の無さを責められているような気になり、視界が暗くなる。


「クソ……クソ、何処にいるんだよ……いらないものばかり見つかって……クソ……」


 世界を探して探して、見つからなければ気力が尽きて診療所に足が向いて。だけど現実逃避に顔を出しているはずの診療所でさえ、ドロシーの事を頭から追い出す事はできない。わかっている、仕事をし続けてばかりではいずれ駄目になる。こんな風に息抜きが必要だ。だが僕が息を抜いている間にもドロシーを失った世界はどんどん壊れていっている。


「やはり駄目だ! こんな所で油を売っていないで、世界を探さなくては!」


 僕は勢いよく立ち上がり、机をバシンと叩く。座っていた椅子が吹っ飛び、壁にぶち当たって砕け散った。


「ライト君、今日はやめてくれよ! 今日は抜け出さないでくれって! ローザさん今日いないんだから!」


「先生、世界は混沌のただなかにあるんですよ! 僕が直さなきゃいけないんですよ!」


「頼むから患者を治してくれ!」


 僕は先生と椅子の破片をそこに残し、診療所をダッシュで外まで突っ切った。入口をくぐりかけていた魔法使いがぎょっとして後ずさっていたが、僕は強大な使命を前に後ずさっている訳にはいかない。


「世界を救うんだ! 元の世界を取り戻せるのは僕だけなのだから!」


 僕は速やかにノウィンから抜けた。この歪み切った世界を正すべく大空へと飛び立っていったのであった。




◇◇◇◇◇◇




「……で、何でここにいるんだよ」


 目の前に見える光景に頭を抱えた。変な網状の木に覆われた台地。自然の中にそびえ立つ自然の産物のようでありながら、明らかに人間の都合が反映された人口の天然。


 飛んでいる内に僕の行き先がここに向いたのは当然だった。世界の捜索に力尽きて診療所まで逃げ帰った僕が、燃料切れのままにまた世界に身を投じればそれはこうなる。手頃な別の用事に墜落してしまうに決まっている。


「さっさとプラチナのやつに食料でも渡して帰ろう」


 カバンの中には適当な屋台で買った適当な食べ物が無駄に山ほど入っている。こんなに贅沢に買ってくる必要も無いだろうと思わないでもないが、かといって少量だと手土産みたいになるのがイヤだった。


 網目の隙間から中を覗いてプラチナの姿を探す。広さはあれど何も無い台地において一人の魔物を見つけるのは非常に簡単だ。やや薄い色の台地の地面と比べても、あいつの白色の髪は目立つからな。


「ん?」


 考えながら雑に見渡した台地を更に数秒無心にキョロキョロ見渡す。薄い黄土の中に白を探し左右させる視線。


「……いなくね?」


 魔物の姫の姿が見えない。どれだけ目を皿にして探しても、見つかるのは風に舞う砂埃くらい。何もない土の上に何もないのを見つけるのに秒もいらなかった。


「え!? 逃げられた!? おいおい!」


 自らの招いた失敗に焦りと憤りが声に出る。雑に網状の木で囲っただけで深く考えなかったのがまずかったか。いや、だがこれを抜ける事なんてできるのか? 刃物を通さないどころか火でも燃えない、弱点を突いてすら突破できない最強の木だ。思いつく限りの魔法では脱出できないはずだが、裏技があったのだろうか。薬で溶かすような僕の知らない知識を使ったのかもしれない。


「前に来た直後に抜け出していたとしたら、今頃もう……ん?」


 思考を巡らせながら台地の上を睨んでいると、視界の中に微かに何かが映った。平らな土の上に舞う砂ぼこりの隙間から微かな白。すぐに砂煙の中に隠れてしまうが、確かに別の何かがあった。


 よくよく見ると、その砂ぼこりはおかしかった。風に煽られて移動する訳でもなく一か所にとどまり、その定点に砂を巻き上げ続けている。ずっと観察していればその埃の奥に確かに人型の影が確認できる。


「あいつ何やってんだ?」


 網の内側に入り、上空からすっと近づく。砂の中にいるのはやはりプラチナだ。土の上に寝そべり風の魔法で砂煙をまとって体を隠している。そしてその視線の先には、ごそごそと動く小さな何かが見えた。


「あれは……鳥か?」


 どうもプラチナは小鳥を観察しているらしかった。本来あの檻の中にはプラチナ以外の生き物はいないはずだが、小鳥程度なら網目を抜けて中に入る事もできるだろう。


 そしてその鳥達はよく見るとつんつんと地面をついばんでいるようだ。さっきも言ったように台地の上には草も生えないので、地面をついばんでいるという事はその上に何か置いてあるという事になる。


 僕は音を立てないようにすっとプラチナの背後に降り立った。近付いてわかる、チュンチュン鳴きまくる小鳥の意外な騒々しさ。その小鳥たちにプラチナは適当な間隔でちぎった芋を放り、その食べる姿を観察していた。


「おい」


 気持ち抑え目な音量で声を掛けると、プラチナは驚き飛び上がってこちらを振り返った。その拍子に砂を巻き上げていた風の魔法も解け、砂埃は宙に拡散して消えていく。


「な、何だ? 何で音を消して近付いてくるんだ?」


 かなり警戒している。まるで暗殺でもされかかっているような緊張感だ。


「いや鳥がうるさかっただけだろ」


 確かに僕は静かに近付いて観察はしていたが、鳥の声が無かったらこいつも普通に気付いていただろう。というかそうじゃなければなんだかこっちが悪いみたいになって嫌なので、そうだという事にする。


 向こうは多少納得したように警戒を緩めるが、まだ何処か体に力が入っている様子だ。


「今日も食べ物を持って来てくれたのか? ティータイムに相手が欲しいならご馳走になろうじゃないか」


 警戒しつつも相変わらず変な口数の多さを披露してくれる魔物の姫。僕はそれを聞いて持ってきた袋を肩に担ぎ直し、奴に背を向けた。そして何歩か進んだ先でまた振り向き直し、魔力を練りこんだ踵で地を叩く。


 前触れもなく足元の地面が破裂し、ノックで起こされたかのように数本の植物が姿を現す。巻き付き合い絡み合いながら急成長するそれらが形作っていくのは、一本の支柱を軸としてそこに平らな円盤が乗る形……木のテーブルだ。そしてそれに見合った高さの椅子状の木がこちらに一つ。向こう側に一つ。


 僕は袋を逆さにし、テーブルの上でがさがさと振る。種々の食料の詰まった内部から選ばれたように出てきたのはコップとポットだ。きちんと底面を下にして木の天板に着地し、更にそのポットの内部からコポコポという水音と共に良い匂いの湯気が出始める。


「ほれ」


 促すようにプラチナへ声を掛けつつ、二つのコップへと順番に紅茶を注ぐ。奴はこちらの意図に判断のつかない様子でテーブルと僕を交互に見比べている。


「座っていいのか?」


「ああ」


 ぶっきらぼうにそう返し、見本のように座ってみせる。


 プラチナは気持ち丁寧に椅子を引き、膝に手を置く形で座った。そして椅子の座り心地でも確かめるかのようにもぞもぞと落ち着かなそうにした後、ちらりと自分の側に置かれた紅茶のカップを見る。


「飲んでいいのか?」


「はよ飲め」


 魔物は少し動作が固いながらもカップを手に取り、口を付ける。飲む前に息で冷まそうとしたりはせず、そのままこくりと喉を鳴らす。


「あれ? 美味しいな」


 一口飲むと、少し目を見開いてそう言った。そしてこちらが促さずとも二度三度飲み、その度に感心したようにその赤い飲み物に視線を溶かしている。


「香り高いというか、鼻に抜けるというか。淹れ立てだからかな。へえ。こういうのが良いんだな」


 紅茶の温かさにほっとしたのか、先程よりもリラックスした様子で喋り出す。冗談めかしてティータイムがどうのと言っていた割には、素直に楽しんでいるようだ。


「知ってるよ、こういう時に何処の茶葉かを当てた方が勝ちなんだろう。リンダルム地方が茶葉の名産地らしいと聞いた事があるから、そこかな? でもこことは違う大陸らしいからもっと近くのマイナーな町かもしれないな」


「後ろの鳥うるさいから追い払ってくれない?」 


 餌をついばむピーチクパーチクの大群を背後に何か語っている魔物の姫に言う。カムフラージュの砂埃が霧散した後も意外に逃げずひたすらじゃがいもを食らっており、さっきから会話の邪魔で仕方が無いのである。


 プラチナはカップを持たない方の手をすっと上げ、指を鳴らした。そしてそれに呼応するようなタイミングで小鳥は一目散に空へと飛び立っていく。


「どうだ?」


「何がだよ」


 何故か得意げな魔物に雑に返す。知った事ではない。


「鳥が去った理由さ。もちろん指を鳴らしたから逃げた訳じゃない。それと同時に地面を土の魔法で軽く蠢かせ、鳥を追い払ったんだ。種を明かせば簡単だけど、一瞬どうやったのかわからなかっただろ」


 無駄に親切な手品師のようにぺらぺらとやった事の解説をする魔物の姫。まあそりゃそんな風に見えたさ。土か風か水か知らないが、その場に干渉して小鳥を驚かせたのだろうと考えるのが普通だ。だが僕の中にはその当たり前の発想とは別にある一つの疑念が生じていた。


「お前、操ったんじゃないのか」


「え?」


 目をぱちくりとさせるプラチナ。意表を突かれたような顔だ。


「お前には生き物を操れる特別な力があって、それで小鳥を利用しようとしていたんじゃないかと言っているんだ」


「あはは! なんだそれ! 私は今まで多くの魔物を見てきたが、そんなユニーク能力みたいな事ができる魔物は見た事がないな!」


 おかしな話だとばかりに笑い出す魔物の姫。確かに火、水、光などの特性には当てはまらないし、聖や魔にもその手の魔法があるとは聞いた事が無い。


「だがお前はを操っている」


 笑い返す事なく、僕は言った。


 目の前の魔物は大群を扇動し町を襲わせた前科のあるモンスターだ。生き物を操る能力なんて今だかつて発見された事は無いが、こいつは過去にそれを成している。だったら今も網目を抜けられる鳥を操り、外界と何らかの接触を図ろうとしたのではないか。


「え、操るって……あれそういう意味だったのか?」


 だがまたもプラチナは寝耳に水とばかりの態度だ。こちらの指摘に何か少しでも動揺する事は無く、ただ双方の認識のギャップを感じさせるような空気を発している。


「だってお前、魔物を操って町を襲わせたんだろ?」


「それは町は襲わせたし確かに操ったとも言えるが、そういう事じゃない。私はただダンジョンを出ただけだ」 


 何を言っているのかわからない。ダンジョンの魔物を使った事は知っているが。


「ダンジョンの魔物はボスを守るためにそこにいる訳だろ。だから生成したダンジョンのボス部屋を抜けたら、そいつらもついてくる。そこを人間の町まで扇動してなすりつけただけの事だよ」


 何だ? つまり直接的な命令ではなく魔物の生態を利用してけしかけたって事か? ボスに追随する性質、人間を襲う性質を用いて町にけしかけた?


 当たり前のように言っているが、正直それは新情報だ。雑魚モンスターの帰属意識はダンジョンにあるものとされていたが、正確にはボスについていたらしい。雑魚モンスターはボスがダンジョンにいるからこそダンジョンに留まっていたのだ。


「でも正直あれは言うほど成果は出ないんだ。できたばかりのダンジョンにはあまり魔物がいないし、かといって増えるのを待っていると人間が発見して入ってくるかもしれない。見つかりにくい場所にダンジョンを作ってひたすら待機する事になるが、ただただ気を揉むだけの時間であまりやりたくは無いんだよな」


 「だからワイアームに加勢させたいのだが……」と愚痴るように言って、また一口紅茶を飲むプラチナ。ダンジョンのボスをやるのも意外に大変らしい。


 とにかく生き物に指示が出せない事だけ解ればそれでいい。まあ魔の魔法を全て使える僕にそれができないので、薄々そうだとは思っていたが……とりあえず後で魔物がボスに追随する性質だけ検証しておけばいいだろう。僕は紅茶を一息に飲み干し、大きく息を吐いた。


「不機嫌そうだな」


 突然プラチナがそんな事を言い出す。意表を突かれる気持ちと、内面に踏み込まれたような不快感に少し気がささくれ立つが、ここでそれを表に出すのも癪に障る。


「機嫌が良い時なんてあったかな」


「それはわからないが、なんとなく前と違う気がした。何かあったのか?」


 そう言いつつ、目の前の魔物は食料袋の口を開けて中を確認している。僕はより深いため息を頬杖に乗せつつ、網目越しに広大な空を見た。


「ドロシーが捕まらなくてね」


「ドロシー?」


 プラチナの視線が僕の方に向く。


「最低な奴さ! ほんとは僕との約束なんて何とも思っていなかった、一番卑怯な大ウソつきだ!」


 魔物は僕の言葉に少し目を見張り、軽く腰を浮かせて座り直した。


「ドロシーって人間の名前だよな。そんなに悪く言うのか? 何者なんだ?」


「ユニーク能力者」


 それを聞くとプラチナは少し警戒したような顔になる。


「……かどうかは定かではないけどな」


 持って回ったような言い回しにプラチナは疑問符を浮かべた。先を促すようにこちらの顔を見つめている。


「あいつはタイムトラベルのユニークスキルを持つと自称していた。過去の世界に介入し、既に起こった出来事を変えられるというスキルだ。だけど、それを実際に見た者はいない。奴は僕の過去を変えてくれると言いながら、裏切って行方をくらました」


 話しながら当時の光景や感情が蘇る。目の前の魔物が「過去を……」と小さく反芻した。


「あいつの力でを救えるなんて思っていたのは僕だけだ」


 奴を責めながら、吐く言葉はどうしても自嘲になる。奴が何を考えていたかなんてわからない。わかるのはありもしない夢を見ていた自分の滑稽さだけだ。


「つまり、だから追いかけてるって事か? 逃げられたから?」 


「ああ。このままにしてはおかない」


 こんな何もわからない状態で終わりにはさせない。どれだけ見つからなくても何日でも捜索し続けるのだ。


「へえ、そうなのか。へー……ユニークスキルを持つと言って……でもタイムトラベルは無くて……へー……」


 話を一通り聞いて、感心したような声色で反応する魔物。紅茶を飲みながら何事かを咀嚼している。


「なんだか興味深げだな」


「興味深いさ、全然知らなかった! こんな話聞いた事がない!」


「そうなのか?」


「ああ、驚いたよ!」


 適当に聞き流しながら空のコップに紅茶をつぐ。今の話にそんなに面白い所があっただろうか。


「だって、人間同士でも追いかけて殺そうとしたりするんだなって!」


 煮えたぎる鉄のような血が頭を駆け巡るのは一瞬だった。特に他意も無いようなその弾む調子の一言。感情の限りをテーブルの上のティータイムに叩きつけ、拳に押された天板が甲高いきしみ音を響かせる。


「殺さないんだよ!」


 空を震わせるような怒気を孕む大声。魔物はまるでその言葉に弾かれたように、瞬間椅子ごと引きずる形で数十センチ身を引いた。声と椅子のこすれる音が檻の中に混ざり合い反響し、それが宙に解けて消えた後はただ静寂と無言だけがその場に残った。


「……あっ、いや」


 叫んだ後で我に返る。魔物は自分が何を踏んでしまったのかもわからず、椅子に背をへばり付けて混乱していた。降って湧いた死地の中に正解を探さんと、開いた瞳孔の視線を目前の至る所に飛ばしている。


「と、とにかく殺すための追跡じゃない。人聞きの悪い事を言うのはやめろ」


 変な罰の悪さに言い訳のようなテンションで言ってしまう。こいつがいつも警戒しているから形だけ取り繕ったのに、これじゃ全部台無しじゃないか。


「ごめんなさい……」


 プラチナはただ一言だけ固い声色で返した。必要以上の言葉を使わない、最低限の対応。まるでこちらがどんな言葉を許容するのかわからない化け物だと言われているようで、流石に自らの行いを恥じ入る気持ちになる。


「お、お互い悪かったって事だよな、うん。水に流そう」


 僕は相手の気を落ちつけようと、紅茶を注ぎ直して再度渡した。何がお互い様なのかは知らないが、魔物な時点であっちの方が悪いからまだ大丈夫だろう。


 プラチナは難が去ったと見なしたのか単に僕に従ったからなのか、また椅子を近付けて座り直す。しかし渡されたカップを両手で取るも、香りだけ確かめるように口元へ持っていくだけだ。カップ越しにこちらの顔をうかがっている。


「だ、大体お前らこそじゃないか」


 無言がいたたまれず、とにかく何かを言う。


「お前らこそって?」


「だから……魔物だよ。魔物こそ、なんであんなに人間を殺したがるんだ。何をあんなに憎んでいる」


 まだ心配そうな魔物の姫を前に、連想をたよりに言葉を重ねていく。


「いいか、お前らは生物としておかしい。ダンジョンで増える生態なんかじゃない、人間に向けられる無尽蔵の殺意が生き物としてどうかしてるって話だ。魔物は人間を殺そうって時に一体何を考えている?」


 喋っている最中に魔物の厄介さを思い出し、問い詰めるような言い方になる。他の全ての都合に優先して人間の殲滅を目指す異様の生き物。そんな目の前の相手が何を思って生きているのか、究極とも言える質問。


「さあ」


 積年の因縁に対しての短すぎる返答に、少しイラっとする。


「魔物に襲われる人間達ぼくたちはいつも必死だ。死にたくない、目の前の暴力が許せない、仲間を失いたくない。みんな死に物狂いで戦ったり逃げたりしているんだ。なのにお前は僕らにそうさせる、その自分の行動の意味すらわからないとでも言うのか?」


 今度こそ明確に問い詰める。世界の同胞たちを害し続け、覚えてもいない僕の家族を殺した、仇敵への問い。これは特別な恨みじゃない。全ての人間が普遍的に持つ、魔物へと返り向かう当然の恨みだ。


の考えなど解る訳ないさ」


 僕の詰問を聞き終えたプラチナは、一言そう言った。特別な感情も感じさせない、特に何事も無い常識だと言わんばかりの……だが明確にその対象と自分を分ける意識を感じさせる一言だった。


「ワイアーム達が言う事によると、あれらには自我などほぼ無いらしい」


 話がかつてプラチナとも一緒にいた最強の魔物、ワイアームへと飛ぶ。


「ワイアーム達は最初はもっと小さく弱いドレイクやドラゴンだった。彼らは生まれてからずっと何も考えず疑問も抱かずに来る日も人間を狩り続けた。だがある日マナを溜めてワイアームへと進化した時、途端に人を襲わねばという意識が消え、頭の霧が晴れたように様々な事を考え始めたという」


 語られる魔物の内面。人を襲う怪物の。


「彼らは口をそろえて言っていた。と」


 プラチナは紅茶のカップを置き、その揺れる水面に視線を落とした。


「シンプルな話だ。魔物は魔王の作り出したものであり、それが体現する憎しみはもはやこの世の誰のものでもない。意志が遺志となり何の意味もなくなった今でも、魔物はただ魔王の意思を愚直に世界に示し続けている」


 他人事のように自らの創造主を語るプラチナ。


「君達も知っているだろうが、強大な力を持つ魔物だけはその命令から抜け出す事ができるんだ。もしかしたら別の命令が課されていたのかもしれない……とかな、フフ」


 強い魔物には直属の護衛として自らを守るように仕向けていた……ありえない話ではない。そしてその命令は今や無効。想像でしかない話ではあるが、筋は通っている。


「私は生まれた時からだった。だから獣達の気持ちなどはわからない。だがなライト、重要なのは憎いかどうかじゃない」


 プラチナの視線が思考の内側からこちらへと向く。


「重要なのは魔物と人は敵同士だという事だ。滅ぼされる前に滅ぼす事が重要なんだ。それが私達が生まれた時からずっと共有している、たった一つの真実なのだからな」


 魔物はまっすぐにこちらを見据えながら微かに口角を上げた。まただ。あの日ワイアームや僕に対して見せた顔。対象の脅威性を理解し念頭に置ける思慮深さを見せながら、次の瞬間には同じ相手の前で容易に死地へと踏み込みはじめる理解の及ばない行動理念。当たり前に死を恐れる生物としての顔と世を俯瞰して己を軽んじる虚無主義の間、矛盾じみた感情の不整合に狂気を感じざるを得ない。


「ふふ……さっき君が鳥を操ってるんじゃないかと言ったのがな、ちょっとおかしかったよ」


 魔物の姫が思い出すように笑う。


「私達は何も操れないのにな」


 そう言い、そこにある紅茶を一口飲む。特別な感情は感じられなかった。目の前にある事実の確認のようにただ紅茶の味と香りを楽しんでいる。


 僕も紅茶を飲んだ。小鳥の声はもはや遠く聞こえない。特別言う言葉も無く数秒の時が流れていった。


「それで、これは結局何処の紅茶なんだ。リンダルム地方かこの辺の茶葉というのは結構当たってそうだと思うが」


「え? 知らんが」


 僕が黙って話が終わったと思ったのか、急に別の話題を振ってくる。


「いや、そういえばメルド大陸でも名産だという話があったような気もするんだよな。淹れ方が違うなんて話も聞いた事が……いやそれは別の飲み物だったか? 詳しくは知らないが、炒った豆の茶が飲まれている地方もあったかも……」


「お前うるさいやつだな」


 いまだ未知の部分の多い魔王と魔物の関係性を語られた後に、どうでもいい紅茶の話を延々とされると温度差が凄い。そもそも紅茶の産地を当てるゲームって何だ、絶対ローカルな一部のグループがやってるだけのやつだろ。


 まあとはいえ、人間こっち目線だとなかなか貴重な話を聞かせてもらった事だ。紅茶が何処産かなんて気にしてもいない事柄には答えられないが、礼は必要だろう。


 僕は肩に下げた鞄の中に腕をつっこみ、底面をかき漁った。手の先に触れたいくつかの中から適当なものを選び、それを掴み出す。


「これやるよ」


 硬貨より小さい程度のそれを目の前に放る。至近距離で投げられたそれをプラチナは危なげなくつかみ取る。


「これは?」


 受け取った物を手の平の上に確認する魔物。きらめく白のリングだ。


「なんかプラチナ製の指輪だってさ。いらないからやる」


 以前金にあかせて適当に何個か買ったアクセサリーだ。結局使わなかったので鞄の底に余っている。


「そこそこ貴重な話を聞かせてくれたから、礼代わりだ」


「ふーん」


 まあ魔物に貴金属なんて何も使い道は無いだろうが、礼をしたという事実はそこに残るだろう。プラチナはしばらくじろじろと指輪を眺めていたが、やがて特に躊躇もせずに空いた手の指へとその指輪をはめた。


「ありがとう」


 もらったから受け取ったという程度のテンション、何かその視線の先に向かう感情があるのかないのか、指にリングをはめた魔物は感謝の言葉を述べた。


 日も暮れてきたし、そろそろ村に戻る時間かもしれない。いつものように紅茶を一気に飲み干し、魔法で水洗いし風で乾かす。いつの間にか飲み終えていたらしいプラチナのカップも同じように洗う。


 思えば魔物風情に少し話し過ぎてしまった感はあるな。ドロシーの裏切り、対する僕の怒り。他の誰にも明かした事の無い僕の抱える業の一端をあっさりとさらけ出した事実は、知らない他人の前で裸になったような不快感として後から心に浮き上がってくる。


 だけどまあいい。どうせこいつはいつか始末するんだ。いつまでもこのままにしておく訳にもいかない決まりきった運命の存在。部屋の置物にプライバシーへの配慮を要求しても仕方ないように、消える命の魔物を気に掛ける必要なんて何らありはしないのだから。 


 綺麗になったティーカップを鞄に突っ込み、デザートに砂糖菓子をかじる。魔物は先程もらった指輪を外したりはめたりしながら、夕日に照らされる光沢を観察していた。僕はそれに毛ほどの関心も持たず、次はどの地方を探索するべきかをずっと考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る