はがれた

 それからも僕の毎日は何の成果も生み出さなかった。世界の何処を探してもドロシーは見つからないし、起死回生のアイデアが思いつく事も無い。診療所の仕事すら放棄してただ世界を右往左往する僕は、やみくもに空の星を追いかける人型の羽虫のようなものだった。


「へー、ガラキア大陸を探したんだな。暑いと聞くがどうだった」

「これはデススコーピオンの肉なのか? 保存食みたいな干し肉はあまりおいしくないな」


 成果の無さに比例するようにプラチナに会いに行く事が増えていた。日毎に重くなる僕一人だけで抱えてきた無限の暗闇。どうせいなくなる魔物に対し、ゴミを不法投棄するみたいに無遠慮に膿を吐き捨てていく。 


「沼地なんて探しても見つかるのはモンスターだけじゃないか?」

「ドロシーが過去に消えていた場合、現代で痕跡を探すのは難しいと思うが」

「世界を救う? ドロシーはそんなに重要な人間なのか?」 


 捜索に関係ない台地に向かう頻度はどんどん増えていった。常習性のある痛み止めで不治の病をごまかすように。油の切れたランプをカチカチ点火して一瞬の灯りを求め続けるように。行けども行けども終わりの見えない世界、無限の広さの袋小路。その途方もなさに圧殺されまいと、ほんの小さな灯りを必死にカチカチとこすりつづける。カチカチカチカチ。


 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカ

 カチカチカチカチカチカチカチカ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

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 カチカチカチカチカチカチカチカチ

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 カチカチカチカチカチカチカチ

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 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカ

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 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 カチカチカチカチカチ

























「ちょっとライト! なんだいあれは!」 


 思考に沈みながら歩いていたところ、唐突な呼びかけで現実に戻される。まばらな修繕跡の古い木の廊下の先、僕の寝泊りしている部屋の前に院長が立っていた。


「あの気味悪い絵はなんなんだい! 部屋中に貼られて壁も見えないじゃないか!」


 空いた部屋を指しながら院長の言う事に、ぞわっと肌が泡立つのを感じる。僕が追い求めて追い求めて、それでも一向に辿り着かない、もはや人智を越えた領域に到達した悪夢的存在。


「あれは……世界の破壊者だ」


「あのねえ、前衛芸術にかぶれるのは構わないよ。でも部屋を掃除する子が怖がるだろう? ちょっとは片づけとくれよ」


 しょうのない子だとでも言わんばかりに溜息をつくベアトリクス院長。断絶を感じる。壊れてしまった世界を元通りにするべくドロシーを追い求める僕が、世界と一番遠い場所にいるのだ。その理不尽を心の奥にぐっと抑えつけながら、僕もまた聞こえないくらいの大きさで溜息をつく。


「今は大人しく片付けよう。だけどいつか皆も気付くだろう、この事の意味に」


「気持ち悪い子だねえ」


 うながされるままに部屋の中に入り、絵へと対峙する。僕とドロシーの辿ったこれまでの軌跡。何の成果も無かったとはいえ、それは世界を修復しようと足掻いた僕の旅の記録だ。それを掃除がしにくいなんて理由で崩してしまってもいいのだろうか。そして僕が考えている間にも院長は端からべりべりと絵を剥がしていっている。


「触るな! 世界の歪みに飲み込まれるぞ!」


「歪んでるのはあんたのデッサンだよ」


 目の前の聖画の意味を理解しない院長に今度は本当に溜息が出る。だが院長の言う事も間違ってはいない。僕の描き出すドロシーは本物のドロシーにいつもあと一歩足りない。だからいつまで経っても僕はドロシーに会えないのだきっと。



 



「……いや、待てよ」


 自らを納得させんと提出した理屈に疑問が浮かぶ。


 本当にそうだろうか。


 確かに僕の絵はいつもドロシーに辿り着けない。だが、現実のドロシーに辿り着けないという理解は本当に正しいのだろうか。


「僕がこのまま描き続けて紙の中にドロシーを見つけられれば、現実でも見つかるかと思っていた。だけど……それがだったとしたら?」


 僕はドロシーに会うために紙の中を探し続けた。だけどドロシーは見つからない……そう、紙の中にはいなかったのだ。ならばこの絵に描かれたドロシー達の本当の役割は……。


「そうか! つまりなんだ! 僕は今までドロシーを紙の中に見つけるために絵を描いていた! でも違う! これは現実のドロシーへと至るだった! 今は僕だけしか知らないドロシーが絵によってこの世界に顕現する! つまり皆の中に生まれるんだ!」


「なあライト、あんた最近ほんとにまいっちまってるんじゃないかい。先生に見てもらったらどうだい」


 思わぬ所から開かれた突破口に興奮が収まらない。青天の霹靂。世界を探し回った事は無駄じゃなかった。世界で一番ドロシーに会えなかった僕が、ついにその焦がれの中にドロシーへと辿り着く鍵を見出す事ができたのだ。


「最後の一歩は……と!」


 全ての糸が解け、視界が開けた瞬間だった。

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