個
あれから更に二日経ち、もちろん特に成果は無かった。雑巾を掛けるように世界を飛び回って、くたびれた精神のままに故郷に帰る日々。特筆すべき事が何もない故に省略しても一切問題の無い、どれだけ頑張っても後で思い返した時にそこに何も残っていない、そんな経験。ほんとは真面目に世界のために使っていた時間の方が多いのに、いつの間にかほんの数十分のどうでもいい他事の方が主役みたいになってしまうような、そんな。
「流石に治りが早いな……」
上空、台地を囲む木の檻をすり抜けて呟いた。眼下に見えるのは一匹の人型の魔物。ひょこひょこと片足を引っ張りながら檻の内周を歩いていた。僕の日々の捜索とは比べ物にならないくらい段階が進んでいる、治癒の具合。
強い魔物……というか、マナが潤沢な生き物は生命力に満ち溢れている。深い傷を与えたと思ったはぐれ魔物なども、仕留め損なって一週間も経てば綺麗に完治していたりするものだ。推定Sランクともなれば4日前の骨折なんてもうほとんど治っていてもおかしくはないだろう。
「憂鬱な光景だな……」
時を経て同じ場所に来れば、その間の成果の無さを否が応でも意識させられる。僕を残して目の前の世界だけが二日進んでいる光景は、一種の嫌がらせにも近い無常を含んでいた。
僕は無造作に上空から魔物の姫に接近した。声を掛けようとも思ったが、面倒くさい。いっそ空から食料袋だけ投げて帰ろうかとも思ったくらいである。
50mほどの距離に近づいたあたりで、魔物はこちらに振り向き、足を止めた。何処に立って何をしていたらいいのか悩むように少しだけキョロキョロしていたが、もちろんそこから何かする事もない。
僕は風を解き、地面へと着地した。そのまま魔物へと歩を進め、お互いの顔が見える程度の距離まで進む。肌の色の関係でよくわからないが、血色は良いように見えた。
「じっとしていても体がなまるからな。運動していたんだ」
特に重要でもない情報を教えてくれる。僕は今こいつの体調を確認したが、別にこいつの体調を知りたい訳ではない。
「ここは風通しが良くて良い所だよな。今日は雨が心配で来てくれたのか?」
魔物はジョークなのか何なのかを言いつつ軽く笑った。だがその視線はどことなくそわそわと揺れており、僕の持っている袋を気にしている様子だ。この前来た時に食料を入れていたのと同じ袋を。
「ほら、食料だ」
特に勿体ぶる事もせず、肉や果物の詰まった袋を魔物に投げる。それをキャッチしてその感触を確認した魔物の姫の顔は、また目に見えて明るくなった。
もちろん食い意地で喜んでいる訳じゃないだろう。奴が気にしていたのは自分に対する僕の意向だ。三日分の食料が指すのは、少なくとも三日殺す気が無いという事。前の対面からここまで、今の状況にあらゆる想像を巡らしていたであろうこいつは、そのたった数日の生存チケットをなにより確かめたかったのである。
「これだけ食料を持ってきてやったんだ、あと二日もすれば治るだろうさ」
「ああ、足はもう治ってるよ」
「は?」
袋を手さぐり確認しながら事も無げに言う目の前の魔物に、ぽかんとした顔になってしまう。治りが早いどころじゃなくて治っている? 完治しているって事か?
「じゃあ何で添え木を外さないんだよ」
「え? いや外れないのだが」
しばし真顔で考える。脚全体に蔓で巻き付いて固定されている添え木。周囲を囲む何物をも通さない檻と同じくらい固い、植物のギプス。
「……解けろ」
僕が魔力を介して操作すると蔓はその拘束を緩め、本体の添え木ごと床へと転がった。魔物の姫は涼しそうに脚を曲げ、しばらくぶりの解放感を味わっている。別に魔物の治療なんて適当で良いのだと雑にやっていたが、こうして仕事の粗が明るみになるとごくごく普通に失敗した感が出るので良くない。本当に良くない。
「ふん!」
僕はテレキネシスで魔物が持っている袋の中身を絡めとり、串焼きを何本も手元に引き寄せた。やけ食いのようにわしわしと連続でかぶりつくと、今度は冷えた肉により口内の温度が奪われていく。魔物には冷めた料理で十分だろうと保温の事なんて考えていなかった次第である。
「いいか魔物の姫。僕は気が利かないんじゃない、ただ魔物に気を利かせる必要が無いと判断したまでだ。そこのところを勘違いしてくれるんじゃないぞ」
僕の能力的な不足ではないという理屈を全部説明してみるが、そんな事を言っても魔物の姫は「そうか」と返すのみだ。僕しか気にしていなかったような事が無駄に形になってこの場に現れてしまった。これではいけない。別の話題が必要だ。
「お前、名前は」
「魔物の姫じゃないのか?」
事も無げに返す。そういう事を言っているんじゃない。
「必要になったら好きに呼べばいいさ。魔物の姫と呼ぶならそれでいい」
言い方から察するに、やはり名前は持っていないようだ。そういえばワイアームもこいつの事を貴様だのなんだの呼んでいたし、基本的に魔物は自分らに固有の名前を付けたりはしないのだろうな。
しかしさっき呼んだ感じ、なんか「魔物の姫」は長くて面倒くさいんだよな。かといって魔物はざっくりしすぎ。姫とは死んでも呼びたくない。いっそ適当にポチだのシロだの……いや、結局自分の方が嫌気が刺しそうだなそれは。
まあそうだな、こういうのは基本的に見た目から名前を付けるのが簡単だろう。こいつの特徴と言えば珍しい瞳と肌の色。そしてなにより白く透き通るような髪。
白、ホワイト、シルク、シルバー、いや……プラチナ。
そうだ、プラチナだ。この気品ある美しい色合いを現すには光刺す気高さのプラチナが唯一ふさわしいだろう。うん、プラチナ……いいなそれ。プラチナに決定! プラチナだ!
「じゃあこれからお前の事は魔物の姫って呼ぶから」
「え? いや、だからそう呼んでただろ」
冷静に考えたらなんでいちいち魔物に名前なんて付けて呼ぶ必要があるんだ。こんなやつ魔物の姫で十分だろ馬鹿馬鹿しい。無駄に考える時間を使って損した気分だ、こっちはこれでも忙しいのに。
僕は改めて手に取った肉を炎魔法でじっくりと炙り、それを熱々のままに口に放り込んで香ばしい塩辛さを楽しんだ。炎を使えないらしい魔物の姫はそのままもそもそと食べているが、もちろんそれをいちいち温めてやる義理なんてない。何かこちらの顔を見ているが、知った事ではないのだ。
「君の名前は何ていうんだ」
「あ? 僕はライトだ」
「そうか。ライトは魔法を使わない治療法なんてよく知ってたな。それにワイアームの事なんかも」
「教えてくれた先生が物知りだっただけだ」
僕の語るうんちくのほとんどはマリアからの受け売りだ。パーティに彼女がいたことによってただの孤児だった僕の知識と視野は大きく広がった。思えば彼女には相当良くしてもらっていたのに、こちらから返した物などほとんど無かったな……。ちょっと過去を思い返すだけですぐに脳が自己嫌悪に浸されていく。目の前の魔物が「そうなのか」などと頷いているが、もう何の話だったかもよく覚えていない。
僕は頭の中を洗い流すため、複数の串焼きを口に放り込み舌にこすりつけた。口内に積もる振り塩が暴力的な塩辛さで感覚を支配してくれて、心と脳が最高に整っていく。魔物が不思議そうにこちらを見ているがこの快感はぼくだけのものだざまあみろ。この肉の名前はウマミートンに決定だ。
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