正常の捜索

「何処だ……何処にいる……逃がさないぞ……」


 上空を飛びながら、大陸を睨みつける。この大陸の何処かにあいつがいる。僕を騙し僕の心をずけずけと踏み荒らしたあの女が。


「僕が狂ってる訳ないんだ……! あいつは絶対にこの世に存在する……! 必ず見つけ出して皆の前に連れて来てやる……!」


 あれからも僕は捜索範囲を広げて世界を探していた。もはや砂場に落ちた一粒の塩を見つけるがごとく非現実的な試み。だがここまで来て見つからないなんて許されない。


 存在をアピールするだけアピールしてそれ以後は姿をくらまし霞のように痕跡を掴ませない。いやらしいやり口だ。見事僕を騙して真実を知ったのだから何か少しくらいのアクションを起こせばいいものを。


「目撃証言すら残さない……! 徹底して狡猾……! ふざけやがって……!」


 何故誰に聞いても何の情報も落とさないんだ。普通ならこの規模で逃走する人間が人里を経由しない事は不可能なはずで、こんな事はあり得ない。ドロシーは世界を横断しながらそこに住む誰にも見られていないのだ。まるでそんな人間なんてはなから存在しないかのようじゃないか。



「ドロシーはいるんだ……ほら、こんななんだ……」


 自室の机に座り、紙にペンをガリガリと擦り付ける。彼女の似顔絵。まだ幼さを残す少女の顔が鮮やかに描かれていく。


 あの時の森の事は今も細部まで思い出せるのだ。這いつくばって地面を調査するドロシー。僕を見つけて驚いた顔をするドロシー。レビテーションで浮かされて驚くドロシー。だがその一つ一つを比較してみるとその輪郭はやけに不確かで、それぞれの体型すら一致しない。


 僕は描き上げた似顔絵を部屋の壁に貼った。上手く見える。ドロシーらしい特徴をちゃんと表現できている。



「お、おい、あんた! ドロシーじゃないのか!?」


 名も知らぬ町の往来で振り向いたのはドロシーとは似ても似つかない中年の女だった。恐縮して人違いを告げると、彼女は怪訝そうな顔をして去っていく。すれ違い様の顔は間違いなくドロシーに見えたのだ。


 ノウィンでドロシーじゃない少女を呼び止めて以来、ドロシーを見かける事が多くなった。その度に心臓が激しく脈打ち不安に苛まれる。無視して通り過ぎたい気持ちを抑えて、その全てに声を掛けてきた。もう嫌だと思いながら、それでも確認しない訳にはいかないから何度も何度も。


「何なんだよ……ドロシーって……お前は一体何なんだよ……」


 世界を飛び回りドロシーを探す頻度が減って来た。診療所の仕事をしている時間以外はただノウィンをふらついている事が多くなった。村の中にドロシーがいるはずは無く、たとえドロシーを見かけても声を掛ける必要は無かった。


 村を歩いていても相変わらず誰も何も言ってこない。彼女は僕を罠にはめて全ての情報を聞き出したはずなのに、もう何日も音沙汰が無い。それをやった目的が何か必ずあるはずなのに、不自然なまでにその先が消えているのだ。



「ドロシーは……いる……いるのだ……確実に……」


 机に敷いた紙にペンを走らせる。もはや怒りを線ににじませるような荒々しい描き方ではない。何処かすがるような、祈るような所作。いつか辿り着くための祈願みたいに彼女の顔を形作っていく。


「僕は間違ってない……彼女はそこに……明日にだって……」


 僕は描き上げた似顔絵の裏面にのりをつけ、部屋の壁に押し付ける。僅かに残っていた木目の見えるスペースが埋まると、一つの節目を記念するように紙の上の顔が笑った気がした。


 壁一面を覆い尽くす無数の顔がこちらを向いていた。膨大な数の紙が生き物の鱗のように壁を飾り、かさかさと擦れ合う音を立てる。紙面をはみ出さんばかりの勢いで描かれたドロシーが他のドロシーと手を繋ぎ、一つの巨大なドロシーとして顕現しているかのようだった。


「今度こそ上手く描けた……今度こそ、証明されたぞ……僕の正気が……!」


 人外じみた顔形で笑う無数のドロシーの中、たった今貼り付けたドロシーの可憐さは一際輝いている。世界にただ一つしか存在しない最後の希望。ようやく辿り着いた選ばれしドロシーの放つ神々しい光は僕の煤けた魂を浄化させていくように思えた。


 だがそれも初め数秒の事。じっと見ている内に周りから侵食されるようにどんどんと顔の歪さが際立ってゆき、隠しきれない醜悪が内側からにじみ出る。古ぼけたランプに照らされる薄暗い部屋の中、やがて今貼り付けた絵がどれだったのか見分けすら付かなくなってしまった。


 僕は無言でまた机の上の紙にペンを這わせ始めた。ドロシーに会わねばならない。頭の中のドロシーを完璧に描き出す事ができなければ、僕は狂った殺人鬼という事になってしまうのだから。

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