約束の場所
今日も僕は世界を旅して回っていた。無限に広がる捜索範囲、一向に見つからない目標。僕が追わない限りは誰もドロシーの実在を主張する者がいないため、どれだけ成果が出なくとも追いかけるのをやめる事はできない。 僕が追い続けている限りは そこから逃げるドロシーが世界の何処かに浮かび続けてくれるのだ。
「クソ……! もう訳がわからない……! 何が真実なのか……!」
僕を騙した女がここまで見つからない。やっぱり僕が狂っているのだろうか。悪夢を見ているだけなのだろうか。
思えば片鱗のようなものはあった。今まで自分の気持ちが抑えられずに思考が暴走してしまうような事は何度かあったのだ。アナスタシアとの最後の邂逅を僕は夢とも現実とも判断できていなかった。
だが、かといって森でドロシーと会った全ての出来事が僕の妄想だなんて事が本当に有り得るのか? 森で見た彼女の姿は今でも鮮明に思い出せるし、彼女とのやり取りとそれによって生じた生々しい感情はとても頭の中だけのものとは思えない。
なにより会話の内容だ。タイムトラベルなんて今まで小耳にも挟んだことの無いようなユニーク過ぎる概念。それを僕の頭が全くの無から生み出してしまう事など、本当に有り得るのだろうか。時を遡って過去へと向かい、既に起きた事実を変えてしまうだと? そんなの著名な小説家だってそうそう考え付かないに違いない。
だったら……まさか、ドロシーは本当にタイムトラベルで逃げたのか? 僕を危険な存在と認識した彼女は村に来た過去を消し、今は遠い地にいると?
だが仮に過去が変わっていたとしても僕は彼女を見つけられるはずだ。彼女はステラの死を知って以降のタイミングでノウィンに向かったはずなのだから、せいぜいノウィンから数カ月程度でたどり着く人里の中にいるはず。もちろん見落としているとすればそれまでだが、どうにも感覚的にしっくり来ない。それに僕だけが彼女の記憶を保持している理由だって結局納得の行く解答が出ていないのだ。
「クソ……! ほんとになんだってんだあの女、ぶっ飛ばしてやろうか……!」
考えれば考える程、奴への憤りが再燃してくる。たった一度の邂逅でまさかここまで苦しむ事になるとは。森の中での真剣に僕の会話を聞いているような態度を思い出し、口の中で毒づくのを抑えられない。
「ふざけやがって……! ふざけやがって……!」
毒づきながら、僕は歩いていた。ノウィンの森の中だ。森の奥の岩の砕けた場所へと向かっていた。
彼女への憤りに気が狂いそうになるが、それはそれとして僕はあれから毎日ドロシーとの待ち合わせの場所へと足を運んでいた。自分を騙した相手を血眼になって世界中探し回りながら、その一方でもしかして今日こそは本当に来てくれるのではないかと森の奥まで足繫く通っているのだ。
ある訳ないじゃないかそんな事……僕自身もう何百回もそう思っているのに、なのに日が変われば森の方が気になって確認せざるを得ない。まるで妄想にすがる狂人のように森に通うのを止める事ができないでいる。
こうして進んでいる間にもドロシーへの怒りは止まる事を知らない。だがもしかしたらこの先に本当に彼女がいるかもしれないのでなんとか顔に気持ちが出るのを抑えている。誰もいない森の奥に行くにつれて僕の顔は穏やかなものになり、そして森を出る頃にはまた鬼の形相に戻っているのだ。
「……ん?」
だがそうして怒りを誤魔化そうと口角を上げようとした矢先、今日はなんだかいつもと様子が違う事に気付く。森の奥から人の気配がする。まるで人目を忍ぶようにこそこそ会話する声が聞こえるのだ。
僕は木々の間を走り抜け、素早く対象へと接近する。そして身を隠すのにちょうどいい大木の裏に陣取り、いつかのように木陰からそっと顔を出した。
「あいつら……何でこんな所に?」
そこにいたのはギルド本部から派遣されてきた二人組だった。巨漢の荒くれ者ゴルドーと、癖のある口調の小男ギース。彼らが僕の目的地である砕けた岩の広場でなにやら話をしていたのだ。
「今更こんなとこまで来てなんかやる事あんのかあ?」
ゴルドーが欠伸混じりにギースへとぼやく。その表情と態度は一目見ただけで明らかにやる気無さげな様子だった。
「しょうがねーすよ、なんかしらやってないと後でどやされるんすから。適当に怪しいとこでも見つけましょ」
それに対応するギースの方も、態度で言えばやはり面倒くさそうだ。片手間という程度の熱心さでレンズのついた妙な形状の道具で周囲を観察している。
「ほんとにそんな可能性あんのかあ?
不意の言葉に心臓が跳ね上がる。
眠そうな顔した不真面目そうな男達から唐突に飛び出した事件の核心に迫る話。こいつらは犯人を魔物と見ていたのでは無かったのか?
「そりゃ可能性はあるでしょ。村民感情の手前あいつらには言ってないすけど、今回の件は色々訳わからんすからね。やり口が格闘なのもよーわからんし、聖魔法の痕跡があったのも謎」
ヒールを使用した事すら嗅ぎつけてられている。流石に犯人の姿形が解るような事は無いようだが、普段の印象とはかけ離れた綿密な調査に動悸が早まる。村で休暇ついでとばかりに飯を食い漁っていたような男達が事件の不可解な点を軒並み洗い出している。
「つっても結局はやっぱり魔物の仕業かもしれねーんだろ? 全部無駄になりそうだけどな」
「そっすね。でも良いんすよ、どうせ仕事やってるアピールすから」
そう言いどうでもよさそうに懐から紙束を取り出すギース。嘘だろ? 単なる上司へのアピールのためだけに僕が追い詰められているっていうのか?
「とにかく適当に犯人の目星付けて調査検証するしか無いすね」
ギースは爪の長い手で器用に紙束から一枚の紙を取り出す。
「まず単に知り合いという観点から行くと幼馴染のジョシュアが第一候補。Aランク戦士の力があればまあ犯行は可能すわな」
「ああ、なんかやたら村で幅利かせてる奴な」
「村長がインドア派だから色々任されてるらしいす。……ただこいつは事件を知るまではバリオンにいたという事になっているので、戦士の足の速さを加味した上でもやや考えにくい位置すかねえ」
バリオンにいるジョシュアには犯行は難しい。一言で示される当たり前の事実だが、そこに至るまでの淡々とした論理展開に否応なしに汗がにじむ。
「あとは接点はそれほどでもないが、単に可能というだけなら孤児院の院長ベアトリクス、それと村長の弟であるガラハド。どっちも元Aランク冒険者すね」
容疑者の名前が挙がる度に動悸が激しくなっていく。もう次の瞬間に僕の名前が出てもおかしくはない。いつだ? 僕の名前はいつ出てくるんだ?
「……ま、やれたとしたらそいつらすね。基本的に被害者のステラがそれなり強いから、村内にはあんま犯人の候補がいないすわ」
「ふーん。じゃああとの線は部外者って事か」
「そうそう。残りのデータはぜーんぶ部外者っすわ」
肩透かしのようなギースの言葉に、全身の力が抜けていく。あれだけ用意された紙束は全て部外者の情報だ。あれだけ候補がいれば僕に疑いの目が向く事はまず無いだろう。
「あ、そうそう。あとはユニークスキル持ちのライトも犯人の候補には入るっすね」
突然差し込まれた一言に肺から全ての空気が絞り出されそうになる。ライトと言ったか? 今、こいつは僕の名前を言ったのか? 僕を疑っているのか?
「こいつは戦闘能力が低くてパーティを追い出されるくらいだから正直暗殺とか荷が重そうすけど……でもまあ、ユニーク能力がなんかすげー事になって勇者殺せるくらい最強の能力が開花したとかなら可能性はあるすね」
「なんじゃそりゃ、すげークソ理屈じゃねーか」
「でも実際ユニークスキルって理屈通じないすからね。本人の自己申告が全てだし、予想外の余白隠れてる事も多いんすよ」
木陰の裏で会話を聞きながら膝が崩れそうになる。僕がこの域に至るまでのイレギュラーが完全に想定されているのだ。木の幹に体重を預けてなんとか体を立たせているが、もはや顔を覗かせる事すら恐ろしくてかなわない。
いや、本当にこれがただの想像なのか? 奴の言った事はあまりに当たりすぎている。最後に満を持して僕の名前を出してくるあたり、ここに僕がいる事すらばれているんじゃないのか? 本当は僕がやったと気付いているんじゃないのか?
まさか……
僕は木陰から飛び出し、奴らの前へと姿を現した。先ほどまでお互い向き合って会話をしていた二人は、物音に呼応するようにばっとこちらへと顔を向ける。
「お前らだったのか……? お前らが……」
こちらの顔を確認した二人は、また見たくない物でも見たような面倒くさそうな顔になる。紙束をしまいながら「あーらら」と呟くギースに対し、ゴルドーは大仰にため息をついた。
「聞かれてるじゃねえかお前よお~。どーすんだ一体、ああん?」
「だってえ、ここ普通は誰も来ないすからねえ。あれから数カ月も経ってそんな物好きがいるとは思わないでしょお」
僕の事なんてお構いなしに会話をする二人に焦りが加速する。こいつらは僕が何をして何を思うかなんて全く歯牙にも掛けていないというのか。世界を駆けずり回る僕の焦りを完璧に操っていなす自信があるというのか。
「こ、答えろよ。お前らなのか? お前らが、お前らがあの女を……」
あの女を使って僕を探っていたのはギルド本部なのか? ギルド本部の力なら人間一人逃がすくらい朝飯前だ。そう考えればいくら探そうがあの女に辿り着けない現状も十分に説明が付く。
「はあ? 違うに決まってんだろ、なんでそうなる!」
「違うってなんだ!」
そうだ、何が『違う』なんだ! 僕はあの女としか言ってない! やっぱりお前らが全ての黒幕なんじゃないのか!?
「だから、俺らが殺した訳ねーだろうが! 何を半端に聞き違えたのか知らねえが、なんでギルドの人間が
馬鹿馬鹿しいとばかりにゴルドーが怒鳴り散らす。品性の欠片もない大男が心底呆れたようにこちらを見下す様は、数ある侮辱の中でも最大級のものだろう。
「トンチキな兄ちゃんすねえ……勇者殺しはほぼ魔物の仕業すから、あんたが首突っ込んでもしょうがないすよお」
子供でもあやすように吐かれたその言葉に、思わず奥の歯を擦り合わせ軋ませる。
クソ! 何なんだこいつら! 無関係なのか!? あの女の仲間なのか!? そもそも何で今までさんざ食ってばかりだったのに急に仕事をし始める! まるで僕の不安に呼応するかのように的確に僕を追い詰めてくるじゃないか! まさかこいつらは僕が見ている幻か何かなのか!? 僕の狂った脳みそがありもしない脅威を作り出しているだけなのか!?
「う、うう、ううう……!」
得体の知れない目の前の二人に思わず後ずさる。人も風も周りの木々も全てが僕の作り出した幻なんじゃないかと、途方も無い恐怖が押し寄せてくる。世界は本当にあるのか、僕が最強のステータスで飛び回ったあの大空は本当に存在するものなのか。耳を横切る風の音にあの女の声が紛れ込んでいるような気がした。緑と空のコントラストが何処かあの女の顔を表しているような、有り得ない、でもそんな気が
「うわああああああああ!」
緊張に耐え切れなくなった僕は、弾かれるようにその場から逃げ出していた。走るに合わせて森の奥に突き抜けるこの視界すらいつまで続いてくれるのかわからない。いつか突然真っ黒な虚無に行きつくのではないかと、走る程に気が気では無くなっていく。
僕は今どこを走っているのだろう。ここは何処なんだ。誰か教えてくれないか。
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