ついに来た邂逅

 意味が分からなかった。あの女が目の前を歩いている。ドロシーなんて偽名を使って僕を騙しておきながら、今までさんざ全力で逃げておきながら、いつの間にかノウィンの往来にまで戻って来ていたのだ。その行動の意味不明さは全く僕の側から計り知れる事なんて一つもない。だが理解できなくとも僕の体は心の内の憤りのままに率直にその少女へと近づいていた。


「おい、お前!」


「ひゃっ!?」


 その華奢な肩をひっつかみ体をこちらに向けさせると、彼女は驚いた様子で目を見開いた。その予想外みたいな反応が僕の心に更に怒りを募らせていく。今更何を驚く事があるのだ。こうだからお前は逃げていたのだろう。


「何故ここにいる! 一体どういうつもりだ!」


「えっ? えっ!?」


 彼女は少し怯えたように目線をさまよわせる。だがそんな所作で僕が誤魔化される訳が無い。


「すっとぼけるのはやめろ! まさかこの顔を忘れた訳じゃないだろう!」


「お、覚えています! 覚えていますけど!」


 少女は必死な様子で応答する。もしも話し掛けた用件が別であれば、ここで同情して語気を緩めていたであろう。僕は更に目の前の女を鋭く睨みつけた。


「貴様は一体何者なんだ! 目的は何なのか今すぐ言え! 一体僕の秘密を知ってどうするつもりだったんだ!?」


「ひ、秘密? 何の?」


 話の進まなさに奥歯を噛み締める。まるでこちらが悪者みたいに見せるその態度に僕の苛つきは頂点に達していた。何故あそこまでずけずけと踏み込んでおきながらこれで逃げ切れると思っているのだろうか。


「おいおいライト、どうしたってんだ一体!」


 そこに、後ろから村の男が一人やってきた。雑貨屋の手伝いをしている30代の男だ。


「今はあんたには関係ないだろう! 放っといてくれ!」


「そうはいくかよ! 目の前でそんな風に女の子に怒鳴ってるのを見過ごせるか!」


「僕はずっと探していたんだぞ! ずっと探していて、それでようやくこいつを見つける事ができたんだ! 邪魔すんなよ!」


 僕が必死の気持ちで手を振って去るようにアピールすると、男は困惑したような顔をした。


「それって、あんたが探してたドロシーって女の話か? この子はドロシーなんて名前じゃないぜ」


 そうだ、この女はドロシーじゃない! 偽名で僕を騙した名も知れぬ卑劣な女だ!


「名前なんて問題じゃない! この女が間違いなく僕を騙したんだ、どういうつもりなのかハッキリさせたいだけだ! 僕だって普通に聞けば正直に話しただろうに!」


「あーもう、わかったわかった! わかったよ!」


 聞きたくないとばかりに男が僕の言葉を遮る。


「じゃあこの紙にそのドロシーとやらの顔を描いてみなよ! 人違いじゃないって言うなら、ちゃんと描けるはずだ!」


 なんだそれ!? 男がカバンから差し出した紙とペンをぐっと睨みつける。こちらを呆れた様子で見る男もいまだ怯えた様子の女も、今は全てが気に障わった。裏地に透けて見える陽気に安売りを告げる広告キャラクターまでその心情を逆撫でしてくる。


 僕は紙を荒々しく奪い取り、自前のペンを取り出して顔を描き始めた。馬鹿にするのもいい加減にしろ、顔の特徴くらいちゃんと覚えている! 少し眠そうな目、同年代と思しきやや幼い顔つき! 森の中、砕けた岩、調査する少女、周辺情報まで含めて今でも明確に思い出せるんだ!


「ほら、描けたぞ! これを見ろ!」


 さっと描き上げた似顔絵を前に広げて差し出す。彼らは僕に絵心なんて無いだろうと馬鹿にしていたかもしれないが、冒険者はダンジョンで見かけた知らないモンスターを絵として記録し後で調べる事もあるのだ。特徴を捉えて描写する術についてはそこそこ覚えがある。


 男は差し出された似顔絵を見て驚いた顔をした。顔を近づけてまじまじと観察し、隣の女と絵の中の顔を交互に見比べている。そして最後に紙越しに僕の方を見て、一言こう言った。


「お前……これ、本気か?」


 不可解な反応だった。こちらの顔を観察するような、慎重に見極めようとするような……何かこちらがとんでもなく場違いな事をしているとでも言いたげな、怪訝そうな目つき。僕はその様子に押されるように、差し出した似顔絵をこちら側へと向けて確認する。


「……あれ?」


 そこに描かれていたのはなんだかよくわからないものだった。


 不自然に凸凹に形どられた顔の輪郭、左右で高さの揃わない大きすぎる黒々とした目。鼻は顎のやや左から外にはみ出し、斜めに横断する大きな二つの口が顔を三つの領域に分断している。


 それは明らかに少女の顔ではなかった。少女ではなく、強いて言うなら……何だろうか? これは一体何だ? あえて形容するにしても適当な言葉一つすら出てきやしない。見れば見る程によくわからない、ただその一言しか言えない何かの絵だったのだ。


「ふざけんじゃねえよ! 何があの女だ! ドロシーだ! こんな顔の女がいる訳ねえだろうが!」


「い、いや……え、あれ? なんだこれは」


 本当に意味がわからなくて混乱する。紙がすり替えられたような様子も無かった。というか僕が受け取ってからここまでこの紙はずっと僕の手の中だ。


「これでハッキリしたな! おかしいのはあんたの言ってる事だ! さあさっさとその子にも謝っとくれや!」


 男に荒々しく言われ動揺する。なんだこれは? ようやくドロシーを見つけたというのに、何で僕の方が謝るなんて事に……。


「そもそも最初からおかしいと思ってたんだ俺は! だってあんたが探してたような女、だーれも見た事無い・・・・・んだからな!」


 そら見ろと言わんばかりに男はこちらを睨みつける。そんなの知りたいのは僕の方じゃないか。なんで誰も見てないんだ、絶対に世界の何処かにはいるはずなのに。


「ライトさんどうしちゃったの……昔は優しかったのに……」


 女がショックを受けたようにそう言う。よく見たら村民の少女だ。村にいるのだから考えれば当たり前だ。さっきまではあの女だったのに。


「まったく何だってんだ! もう俺の姪に近付かないでくれ!」


 男は僕を突き飛ばすと、少女の肩を抱いて歩き出した。そして気が済まないとばかりに顔だけ振り向いてこう言う。


「あんたさあ……ほんとに狂ってんじゃないのか?」


 そう一言だけ漏らし、男はそのまま去っていった。村民の男。村民の少女。出戻りの冒険者に絡まれて迷惑そうに去っていく、たったそれだけの日常の一幕。




 何という事だ。僕は狂っていた。






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