追跡
森に踏み入って程なく、大きな魔法帽を被った後ろ姿を確認する。奥に向かって走る彼女を木の陰を渡りながら追跡していく。
これまで漠然と早まっていた心臓の鼓動がより明確に体を激しく揺らし始めるのを感じる。少女の後ろ姿に釘付けとなった視界が呼吸で上下するたび、堅気の人間が身を置くべき状況から遠ざかっている事を実感せざるを得ない。
「何してんだよ……何だってんだ……」
誰にも怪しまれたくない身にありながら、リスクの高すぎるこの行為。こんなところを誰かに見られでもしたらと気が気でない。だが同時にこの少女を放置して孤児院でじっとしているなんてできやしない。
幸いな事に少女は僕の尾行には一切気付かず、一方向を目指して今も足を進め続けている。だがそれを追えば追う程、森に入る前に抱いた予感が確信へと近づいていく。やはり彼女はあの場所を目指している。ステラの死の真相に近付こうとしている。
「クソッ……! どうすりゃいいんだよ……」
あやふやだった道の先が明確になってきたことにより、この突発的な尾行の計画性の無さが浮き彫りになっていく。彼女にただついていくだけでは何ともならないのに、僕は何をどうするためにその後を追っているのか。
彼女はついに例の場所へと辿り着いた。ステラが大岩を砕いた事で生まれた岩のベンチの広場。そこでそのまま通り過ぎてくれという祈りも虚しく、彼女は足を止めて立ち止まる。そして岩に腰を掛けて休む訳でもなく、その場所の様々なものを観察し始めた。
もう確定だ。彼女は間違いなくステラの死を追っている。事件の真相を突き止めて、その犯人を明るみにしようとしているのだろう。
「なんて事を……! なんなんだよ一体……!」
木の裏の僕はただ口から無意味な言葉を漏らす事しかできない。早鐘の心臓が体中をせっつき回し、何かをする準備だけがひたすらに完了し続ける。そのくせ頭だけは空回りして目の前の光景をただじっと見続ける事しかできない。
「どうすれば……! どうすれば……!」
少女が這いつくばって地面をじっと見ている。周囲の木々に異常が無いか一つ一つ確認している。たまに手で触れてその質感を確認していっている。
「どうすれ……ば……」
ふと、空回っていたはずの頭が一つの事実に気付く。無策な僕は目の前の少女の様子をただじっと見ているしかできなかった。そしてそのことによりある一つの事実が目の前に浮き彫りになってきたのだ。
現場に辿り着いた少女はなんとなく辺りを観察したり触ったりするだけで、あとは腕を組んでうーんと悩むくらいの事しかしていない。事件のずっと前から散らばっていたはずの岩の破片をしげしげと眺めたり、かと思えばステラが腰かけていたとされる平らな岩に一切目もくれなかったり。つまりはたから見てあまり意味の無い
「あんなんで何をしにきたんだ?」
ただでさえギルド本部の職員によって調査が終わっている場所だ。あのような場当たり的な観察で何か新しい情報が見つかるとも思えない。村の人間が思い詰めて調べに来たというのなら話もわかるが、村出身の僕が見覚えのない事からも彼女は外部の人間で間違いない。
「マジで素人なのか? 何のために来たんだ?」
よほど正義感の強い人間が事件に疑問を持って調べに来たのか、あるいは僕の知らないステラの知り合いなのか。ステラはずっと村にいたのだから、訪問者の少なかった昔のノウィンでそう村外の知り合いがいるとも思えないが……。
そうして少し冷静になった僕は頭に空いた余裕で様々な事を考え始めてしまっていた。彼女が初めの印象ほど脅威では無いかもしれない可能性、彼女がここに来るまでに辿った道筋や彼女の素性の予想。
そしてその思考は僕の行動に少しの大胆さを加える事になる。余裕と同時に油断。彼女の事をより良く観察しようと、木から無意識に顔を出してしまっていた。そしてまさにそのタイミングで
急に少女がこちらに顔を向け、
忘れかけていた心臓の鼓動を唐突に思い出させられる。見られた! 村民ライトが
彼女は驚き立ち尽くしていた。一人と思って入った森の中、未知の人物が遠目にこちらを見ていた事に気付いた絶句の顔。僕を見ている。僕を見て、何事かを思っているんだ。凄まじく急速に回転し始めた頭で、きっと、何事かを!
彼女の前で挙動不審を晒してはいけない。一秒でも早く彼女からの僕に対する印象をただの通りすがりとして塗り替えなくては。
なのに開きかけた口は空気に乾くのみで何の言葉も発する事ができない。気まずさからのささやかな身振り手振りが逆に後ろめたさを裏付けていく。ただただ何もできないままに数秒の時が流れ、そしてその間に少女の動揺は見る間に大きくなっていき。そして
「あ、あの! 誤解しないでください、部外者ですが
彼女は慌てながら、弁明するようにそう言ってきた。僕の挙動不審さを気にも留めず流し、もっと何か別の事こそが争点であるとでも言うかのように。
「え……えっと?」
追及される立場で物を考えていた僕は、そのまま虚を突かれたように間抜けな返事を返した。とにかく、少なくとも今すぐ不審者として断罪されるような展開にはならないようだ。彼女は何かまずいものでも見つかったかのように視線を横にさまよわせていた。
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